「救い主の誕生」聖書箇所:ルカ2:1-7、ピリピ2:6-11

「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それ
で、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 ヨセフ
もガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行っ
た。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっ ているいいな
ずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにい
る間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それ で、布にくるんで、
飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」ルカ福
音書2章1-7節

2千年前、救い主イエス・キリストは歴史の事実として誕生されました。
その誕生は預言の成就であり、信仰者たちが長年待ち望んでいた約束の実現でした!
今日は救い主イエス・キリストが生まれた意味を聖書から学び、その意味を信仰
をもって受け止めたいと思います。

ピリピ人への手紙2章6-11節の箇所からイエス・キリストの誕生の意味を分かち
合いたいと思います。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができな
いとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同 じよう
になられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実
に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高 く上げ
て、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によっ
て、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべて が、ひざをかが
め、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神が
ほめたたえられるためです。」ピリピ2章6-11節

クリスマスはイエス・キリストの誕生日と考えられています。
それは厳密には正しくありません!ひとり子なる神が人間となられた日、それが
クリスマスです。神のひとり子はクリスマス前から、いや世界が造られ る前か
らおられたのです。
コロサイ人への手紙1章15.16節にはこのように書いてあります。

「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた
方です。
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるも
の、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて 御子
によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られた
のです。」コロサイ1:15.16節

クリスマスにベツレヘムで生まれた大工の子イエスが頑張って努力してキリス
ト、救い主と呼ばれるようになったのではありません!
そうではなく、万物の創造主がクリスマスの日に人間の形をとってマリヤから生
まれ出て下さったのです。

人が頑張って神になってのではありません!人が神になることは決してできない
ことです。しかし創造主が人の形をとることは可能でしょう。
しかし、なぜ? なぜ創造主、全知全能の唯一不変の神が人間の、それも赤ん坊
で生まれてきたのでしょう。そこにこそ、クリスマスの真の意味がある と思い
ます。

【なぜ神は人となられたのか】

ピリピ2章6-11から神が人となられた三つの意味を分かち合いたいと思います。

@全ての人に仕えるため

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができな
いとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同 じよう
になられたのです。」
ピリピ2:6.7
イエス・キリストは家畜小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされました。
家畜小屋での出産、普通では考えられないことです。しかし家畜小屋で生まれる
のが普通の人たちもいました。奴隷です。奴隷は当時、話しのできる家 畜と考
えられていました。
イエスさまが家畜小屋で生まれたのは決して偶然ではありません。その人生を象
徴しています。すべての人に仕えるため、最も小さい者となって人生を 始めら
れたのです。

イエス・キリストは私たちの全ての重荷を背負うために、全ての人よりも小さく
なって、貧しくなって生まれて来て下さったのです。
全ての人の苦しみと悲しみを理解するために、社会の最も底辺から人生を歩まれ
ました。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯さ
れませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われ たので
す。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにか
なった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではあり ません
か。」へブル4章15.16節

キリストは私たちの弱さをご自分で体験されました。だから罪びとを責めず、裁
かず受け入れて下さるのです。全ての人を神の御前で弁護士し、永遠の いのち
に導くためでした。
へブル人の著者が勧めているように、私たちは大胆に恵みの御座に近づき、助け
と導きをいただきましょう!

A十字架で死ぬため

「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われたのです。」ピリピ2章8節

キリストは家畜小屋で奴隷と同じ場所から人生を始められましたが、その終わり
はどうだったのでしょう。キリストが人生を終わられた場所はゴルゴダ と呼ば
れる丘の上に立てられた十字架の上でした。ゴルゴダそれは骸骨と呼ばれる処刑
場でした。
十字架刑は最も残虐な処刑の方法です。ローマ人はどんな犯罪を犯した者でも
ローマ市民権を持つ者には十字架刑を課さなかったそうです。外国人の犯 罪
者、それも殺人を犯した極悪人にだけ十字架を課しました。十字架刑はもっとも
呪われた人間の死に方でした。
イエス・キリストは家畜小屋で人生を始められ、十字架で呪われながら死んでい
きました。
これは歴史上の事実です。

十字架! 十字架を背負うためにこそ、神の独り子は人となられたのです!

あなたを罪の永遠の滅びから救いだし、罪を完全に赦すためには、罪の全くない
方が身代わりに罪の呪いの十字架を背負わなければならなかったので す。
イエスはあなたが罪とともに滅んで欲しくなかった、永遠の闇に消え去って欲し
くなかったのです。身代わり罪の呪いをその身に背負って下さったので す!

あなたは、あなたの罪を全てイエスの背中にゆだねましたか?
あなたの罪を赦すために流されたイエスの血潮を信仰によって受け取りましたか?
神が人となられたのは、罪の奴隷であった私たちを解放するため、キリストが身
代わりとなるためでした。私たちが罪の呪いから解放されるために、身 代わり
に呪われた者として死ぬためでした。私たちはキリストの犠牲によって、完全に
救われ、自由にされたのです!

Bすべての口がイエス・キリストは主と告白するため

「すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほ
めたたえられるためです。」ピリピ2章11節

神が人となられたのは「イエス・キリストは主である」と告白するため、そして
父なる神がたたえられるためです。

「イエス・キリストは主であると告白する」、これはいったい何を意味するので
しょう。
これは決してキリスト教徒を増やそうということではありません!
もっともっと深い意味です。「私はイエスの生き方に従います」、「イエスは私
の生き方の模範でありゴールです!」の意味です。
イエスが自分を低くして、全ての人と神に仕えたように、私も自分の謙遜の限り
を尽くして隣人と神に仕えることがイエスを主とすることです。

あなたの人生の「主」は誰ですか?あなたは誰を模範に人生を送っていますか?
あなたのゴールは何ですか? 人となられた神、イエス・キリストを見上げま
しょう!