「ヨセフの夢(2)」創世記39章

【主がヨセフとともにおられたので】

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主 人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすること すべて を成功させてくださるのを見た。」創世記39章2.3節

ヨセフは兄弟たちに捨てられ、奴隷に売られるという過酷な試練のなかで訓練さ れました。
彼は試練を通して、神の夢を実現するに相応しい人物へと整えられたのです。

大切なのは信仰による心の態度です! 神を信じていれば、神が全部オートマ チックに全てをやってくれる。そんな都合の良い約束は聖書のどこを探し ても ありません。
神を信じるとは、たとえ困難な状況であっても、必ず意味と目的があると前向き 肯定的に困難に向かっていくことと言えるでしょう。

ヨセフは奴隷商人に売り飛ばされ、エジプトまで連れていかれるまでの辛く、孤 独な荒野での期間、自分の心と向き合い、憎しみに生きるよりも赦しを 選び、 過去に生きるのではなく今を精一杯生きる心の態度を身に着けていきました。

もし彼が自分を捨てた兄への復讐心で心が一杯だったら、過去の思い出にだけ生 きて今が見えなかったら、エジプトでの活躍のチャンスを無駄にしてし まった ことでしょう。
心が憎しみや過去にだけ向いていたら、主人の言いつけしか守ることのできない 奴隷のままで終わったことでしょう。しかし彼は信仰による心の態度 で、今置 かれた状況を信仰によって前向きに捉え、自ら積極的、主体的に生きることによ り奴隷以上の者になりました。

ヨセフは奴隷であっても、自由人のように生き、周りの人からもそのように認め られました。その反対に自由が保障されているのにもかかわらず、奴隷 のよう に窮屈な人生を送っている人もいます。自分を傷つけた人への憎しみと、辛い過 去や失敗を手放さないなら、自分で自分を奴隷にしてしまうので す。

ヨセフの信仰、心の態度を見習いましょう!
聖書にはこのような励ましのことばがあります。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いも のは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」第二コリント5 章17節

キリストは私たちの呪われたすべての過去を十字架で葬り去って下さいました。
私たちは復活されたキリストとともに今を精一杯、前向きに肯定的に生きましょう!

ヨセフが鎖につながれ、エジプトで売られるためにシナイの荒野を引きずられて いたとき、彼はもう一つ大切なことを得ました。これが最も大切なこと です。

それは主なる神との個人的で親しい関係です!

これこそ、決してなくなることのない永遠の宝物です!

ヨセフは主を先祖の神としてしか知らなかったと思います。先祖アブラハム・イ サク・ヤコブの神として、家の神、宗教の神としてしか知らなかったの でしょう。
しかし主は、宗教の神や死んだ神ではありません!生きていて力があり、無から 有を創り出し、災いを祝福に変え、荒野に川を流す神です。そして愛の 神、私 たちを愛し、一人ひとりと個人的な親しい関係を築きたいと願っておられる方です。

ヨセフは父の家にいるあいだは、残念ながら主の語り掛けに気付かなかったよう です。
兄弟から捨てられ、愛する父と離され、何にもない荒野を鎖につながれ、自由も 奪われて引きずり回されいるとき、初めて主なる神の語りかけに気付い たのです。

孤独も、時には必要です。神の子であるイエスさまも、忙しい公生涯のなかでも 良く荒野に退いて祈っておられたと聖書に書いてあります。神に用いら れた器 の多くは、神と深い関係を持つために荒野に退きました。私たちも私たちに語り かけてくださる神の親しい声を聞くために、聖書だけをもって静 かな時間、荒 野の時間を持ちましょう!

主イエスとの親しい時間、主イエスの愛を聖書のみことばを通していつも新しく し、恵みに満たされる時、心から新しい力が溢れてきます。
前向き肯定的な思いも、神の愛に支えられなければ決して長くは続きません。
神の愛に押し出される時、私たちは自然と前向きに肯定的に生きる者へと変えら れます。

【エジプトでヨセフの成功】

「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてく ださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を 側近の 者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。」創世記39章 3.4節

主との親しい関係、個人的な関係はヨセフの内面を変えただけではありません。
周りの人も、確かに神がヨセフとともにいることを認めざるを得ませんでした。

私たちは触れるもの、見るものに似ていく性質があります。
この世のものだけを見ているなら、いつも変わりやすく流されやすい者になるで しょう。
しかし主を霊の目で見ているなら、イエス・キリストとの個人的な時間を一番大 切な時間にするならば、私たちは主に似た者に変えられていきます。
私たちは神を映し出す神の似姿、神のイメージとして造られました。

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊で す。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、 顔の おおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光 へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、 御霊なる主 の働きによるのです。」第二コリ3章16-18節

ヨセフは神の姿を表す者として生きました。彼のするすべてのことは成功したと あります。
これは私たちに希望を与えることばです。この世に合わせ、この世に受け入れら れようとして自分を誤魔化す必要はありません。イエスを深く知り、イ エスの 愛に感度して生きるとき、今日も世の中で成功すると確信します!
宗教的に生きるのではありません!キリストの愛に生きことです。

【主はよせふのゆえに、このエジプト人の家を祝福された】

「それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を 管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と 全財産 とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福され た。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。」 創世記39章4.5節

神はヨセフを通してエジプト人の家を祝福されました。
神はアブラハムを召されたとき、「地上のすべての民族は、あなたによって祝福 される」と言われました。神は神とともに歩む者をとして、まだ神を知 らない 人々をも祝福し、救いに至る道を示して下さるのです。これが私たちがこの世界 に遣わされている理由です。
私たちの置かれている家庭、職場、学校、地域において、皆さん一人一人が祝福 の存在になり、周りの人々に祝福を流すのです。あなたによって家庭 が、職場 が、地域が祝福される時、祝福を受けた人はあなたに、そして祝福の源である神 に心を開くでしょう。

これが私たちに与えられている祭司としての務めです。私たちはキリストを信じ ることにより、神とまだ神を知らない人々をつなぐ祭司としての働きを も与え られています。

あなたの周りの人々は、あなたを通して神の祝福を得たいと願っています!
私たちが神とともに生き、神の愛に満たされ、生きるとき、祝福は自然とあなた から流れ出て、あなたの周りの人々を豊かにすると確信します。

自分に与えられている祭司としての務め、神を知らない人々に祝福を流す大切な 務めを覚えましょう!

【ヨセフの試練】

「これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、『私と寝ておくれ。』と 言った。」創世記39章7節
試練は必ずやってきます!神に愛され、祝福されていたら問題は無くなるという 約束は聖書にはありません。もちろん信仰により、問題は課題へと変え られて いきますが。

ヨセフにやってきた試練、それは性的な誘惑でした。「私と寝ておくれ」とあま りにも露骨な表現で書かれていますが、性的な罪に対する誘惑は私たち の周り に溢れています。
男性は特に、お金、性的な問題、名声(評判や評価:周りの人々からどのように 思われるか)がいつも誘惑であり、試練となります。

ヨセフはどのようにして、試練を乗り越えたのでしょうか?

「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょ う か。」                                                       創 世記39章9節後半

ヨセフは神に対して罪を犯せません!と言いました。ヨセフは罪を犯すことに よって、自分を愛し、いつもともにおられる方を悲しませたくないと思っ たの です。
神に対する愛が、彼を罪から守りました。

神の愛を覚えましょう!私たちを愛し、私たちを罪と悪から解放するために十字 架に付けられたイエスを覚えましょう。イエスは血を流し、いのちを捨 ててま でも私たちを罪から守ろうとしたのです。その愛を覚えるなら、私たちはもはや 罪と遊び、罪を喜ぶことは出来なくなります。

罪を犯してはなりません!何故なら罪は誰一人として人を幸せにすることがない からです。罪は必ず、その時はスリルがあり興奮し感情が高ぶっても、 結ばれ る実は滅びです。
宗教的な戒律であなたを縛ろうとしているのではありません。
その行為が人を幸せにするか、それとも結局は人を傷つけ、空しさと滅びに至る のか、神を悲しませるのか、喜ばせるのか、聖霊と聖書のことばによっ て吟味 してください。

「それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそば に寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。」10節

ポテファルの妻はしつこい人でした。毎日ヨセフを性的な罪に誘惑したのです。
「悪魔はあなたほど、ものぐさでない」とマルティン・ルターは言ったそうです が、悪魔は人ではないので寝ることも休むこともありません。悪魔は誘 惑の手 を休めることはないのです。ヨセフは良く分かっていたのでしょう。ヨセフはポ テファルの妻のそばに近づかないようにしました。罪から、誘惑 から逃げるこ とです!

自分を惨めにさせ、自由を奪い、滅びに導く一切のものを捨て去り、離れましょう。
【主はあなたを決して見放さない!】

「ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こう して彼は監獄にいた。しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを 施し、 監獄の長の心にかなうようにされた。」 創世記39章20.21節

ヨセフは無実の罪で捕えられ、監獄に入れられてしまいます。
私たちは正義を行っても、この世では正しく評価されない、また誤解や迫害を受 けるときすらあります。正義を行って、この世に捨てられたとしても、 決して 私たちを見捨てず、話さない方がおられます。主はどんな時でも、私たちを離れ ず、私たちを見捨てません!

主がともにおられるならば、監獄の中さえも天国に変わるのです!

神さまに背を向け、無関心なこの世に流されて、自分から神さまを、信仰を手放 してはなりません。この世の中をどんなに愛しても、受ける報いは永遠 の滅び です。
この世から理解されず、捨てられるときがあったとしても、それは一時的で、神 がともにおられるなら必ず、私たちはどこにいても栄えます。これは神 の約束 です。