「タラントのたとえ」聖書箇所:マタイによる福音書25章1-30節

今日のたとえ話は先週の「賢い娘と愚かな娘のたとえ話」に続くたとえ話です。
25章には三つのたとえ話があります。これは24章の世の終わりの教えに続き、キ リストの再臨を待つのに相応しい弟子としての態度、信仰姿勢を教 えるための たとえ話です。

今日のたとえ話からキリストの再臨に備えるに相応しい信仰の姿勢を学びましょう。

【能力(タラント)のない者は一人もいない!】

「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のよう です。
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラン ト、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。」マタ イ25章 14,15節

イエス・キリストは天から再び戻られるまでの間、弟子たちに大切な働きを委 ね、それを成し遂げる能力(タラント)と賜物(カリスマ)を与えられま した。
芸能人のことをタレントと言いますが、タレントの語源は聖書のタラントにあり ます。
ですからキリストを信じる者は誰でもタレントなのです!

そしてクリスチャンにはすべて賜物が与えられています。賜物、それは神からの 霊的なプレゼントのことですがカリスマタと言います。これも能力の飛 び抜け ている人をカリスマと言いますが、これも聖書が語源です。キリストの弟子は誰 でもタレントでありカリスマです!一人一人に神は能力を与え、 その人でしか 成し遂げることのできない働き、使命を与え、それを成し遂げるカリスマ(霊的 な能力)が与えられているのです!

自分には能力がない!などと不信仰な態度は捨てましょう。
自分に与えられている能力に気付いていないだけです。あなたにも必ず能力があ ります。

ただ、イエスさまも「おのおのその能力に応じて」とたとえの中で語っておられ るように、能力の違いはあるようです。しかし能力の違いは決して価値 の違い ではないことに注意しなければなりません!ここは重要なポイントです。

能力の高い人=価値のある人では決してありません!これはこの世の考え、価値 観です。
しかし神の国では能力の違い=価値の違いではありません。能力の高い人も、低 い人も、価値は同じ一デナリです。これはデナリのたとえ話で学びまし た。
長く働ける人も、働けない人も一デナリ。そして一デナリは最高の報酬、なぜな らキリストのいのちの代価だからです。

神が能力の違いを許されたのは、それぞれの能力に応じた働きがあるからです。
世界は多様で複雑です。どんな状況、どんな問題にも答えられるように、能力の 違い、賜物の違いを神自ら創造されたのです。

工具箱を開けると、プラスのドライバーだけでも何種類もあります。
大きいドライバーは、小さいドライバーよりも価値があるでしょうか?
そんなことはありません!大きいドライバーは大きいネジを回すため、小さいネ ジは回せません。それぞれの働きに応じてドラバーにも大きさがあるの です。
私たちも同じです!それぞれに異なった能力があり、そのように神が造られたの です。
人間の価値を測ることができる一つの物差しなど存在しないのです。

能力は人と自分を比較して、自分の価値を決めるためにあるのではありません!
神と人に自分でしか出来ない貢献をするために与えられたものです。
人と能力を比較して、自分は何もできないと決して自信を失わないで下さい。

あなたはカリスマです!タレントです!あなたには確かに能力が神によって与え られています。自分の能力に気付きましょう!それを神と隣人に仕える ために 使いましょう。

【人生の清算の時がやってくる】

「さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をし た。」19節

主イエスは必ず帰ってこられます!いつになるか、それは誰にも分りません。
キリストの再臨が明日か、それとも10年、いや100年後、1000年後になるかは分 かりません。しかし私たちが地上の人生を終えるときは遠から ずやってきます。
そして、必ず清算の時が来ます! 地上の人生をどのように生きて来たのか、い のちを私たちに貸し与えて下さった神に申し開きをしなければならない のです。

神が私たちに委ねられた第一のタラントはいのちかもしれません。
いのちは私たちのものではありません。いのちは神のものです!
私たちのいのちは神から期間を決めて貸し与えられているもので、神の時に返す のです。いのちは人間が造ったものではありません。どんなに努力して も寿命 を延ばすこともできません。いのちの主は神です!

私たちはこの大切ないのちが神のものであることを決して忘れてはなりません。
このいのちをどのように用いたのか、神に説明しなければならないことも忘れて はならないのです。私たちはそれぞれの生き方に従って、神から評価さ れます。
詳しいことは分かりません!聖書に書かれてある以上に強調することは信仰のバ ランスを欠いてしまうので十分に気を付けなければなりません。
キリストの恵みで救われた私たち、御子を十字架に付けてまでも私たちを愛し、 こどもにして下さった天の父の愛を見失っては決してなりません。恵み よりも 自分の行いに頼るならば、大切な信仰を失ってしまいます。恵みの上に立ちつ つ、しかし、恵みに甘んじて、今の大切な時を無駄に過ごさないた め、罪に流 されないために、神の評価が待っていることを忘れてはならないのだと思います。

【評価されたしもべ】

「すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。 『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。 私は さらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い 忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあ なたにたく さんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」20.21節

五タラント預かった者、二タラント預かった者もともに主人から評価されます。
どうしてこれらの者は主人から評価されたのでしょうか。倍に増やして返したか らでしょうか。しかし五タラントの者と二タラントの者に対する評価が 同じな のを見ると、金額の問題ではないようです。 五タラントであろうと、二タラン トであろうと、王にとっては「わずかなもの」に過ぎません。王 が評価したのは 彼らの「忠実」さにあったと言えるでしょう。「忠実」が繰り返されています。

天のお父さんは、私たちが何をしたか、どんなに大きなことをしたか、もちろん それも認めてくださるでしょう。しかし評価の基準は私たちの「忠実」 にあります。

忠実(ピストス)は、他の聖書箇所では「真実な者」、「信頼できる者」と訳され ています。

天の父の心を知り、イエスさまの教えのことばを知って、心から応えていきたい と前向き、肯定的に人生に取り組む姿勢、それが「忠実」な生き方であ り、「信 頼できるもの」ではないでしょうか。

天の父の愛を知り、その愛に応えていきたい!その愛を多くの人に分かち合いた いと願う人の人生に多くの実が結ばれていきます。人の目に見える成果 だけが 評価されるのではありません。私たちの神の愛に応えようとする信仰の姿勢が評 価されるのです。

神は五タラントをわずかな物と言われます。一タラントは六千デナリでした。
一デナリが労働者一日分の賃金ですから、一タラントは六千万!五タラントは三 億円!
しかし神の目から見ればわずかな物です。永遠の世界の尺度からするとわずかな 物です。
この世で目にするどんなに素晴らしい物も、大きな物も、神が私たちに天におい て与えようとするものに比べれば、どれもわずかであることを覚えま しょう!

この世はどれだけ大きなことをしたかが評価されるかもしれませんが、私たち神 の国を待ち望むものは、神に対する忠実さ、真実さ、神に信頼に値する 者と認 められることのほうに価値があります。委ねられているものを活かして、神の栄 光を表しましょう!
【評価されなかったしもべ】

「ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなた は、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわ かって いました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきまし た。さあどうぞ、これがあなたの物です。』ところが、主人は彼に答えて 言っ た。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所か ら集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私 の金を、銀 行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返 してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げ て、それを十タラ ント持っている者にやりなさい。』24-28節

残念ながら、このたとえ話には主人から評価されずお叱りを受けるしもべが出て きます。
彼がなぜ主人から評価されず、叱られたのか、その理由から学びましょう。

主人は決してお金を求めていたのではないことを改めてここで見出すことが出来 ます。
一タラントを倍に増やさなかったから叱られたのではありません。
銀行に預けて、少しの利息だけでも良かったのです。この点だけを見るとお金に 厳しい主人に思われますが、そうではなく、主人としては僕を信頼して タラン トを委ねたのに、その主人の信頼に全く応えようとしなかった僕の態度を悲しま れたのです。

他の僕に比べれば、委ねられた額は少なかったかもしれない。
しかし、それも主人の配慮です。この僕なら一タラントが丁度良いだろう。五タ ラントを委ねるのは荷が重いだろうと主人の配慮なのです。能力を活用 して、 自分らしくタラントを活用してごらんと主人は僕を信頼したのです。しかし、し もべは全く主人の心に応えようとしなかった。そればかりか、主 人の好意を曲 げて捉えています。
この僕は主人から与えられたチャンスを無駄にしたため「悪い怠け者」と評価され てしいまいました。

怠け者(オクネール)、このことばは「躊躇する」、「優柔不断」と訳せる語と同じ語 源から派生したことばです。決断できないために、行動に移せな いという意味 です。
「あれにしようか?これにしようか?」と考えているうちに何も行動せず、人生 を終えてしまったのです。残念なことです。

自分の人生にも、あれこれと選択を迷うことが多いのですが、この実を結ぶこと のない優柔不断な態度はどこから生まれてくるのでしょうか。このたと えの中 では、怠け者の僕の主人に対する思いがあまりにも否定的であることに気付きます。

「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひ どい方だとわかっていました。私はこわくなり・・・」とあります。主 人に対 する否定的な思いが恐怖感を引き起こし、否定的、消極的な行動につながってい ます。

私たちは天の父に対してどのような思いを持っているでしょうか?
怠け者の僕と同じように、神はケチンボで、金にうるさく、評価の厳しい恐ろし い神だと思っていたら、当然、そのような神に喜んで仕えることはでき ません!

罰を恐れる心からは何の肯定的な結果も引き出すことはできません。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑 罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないの で す。」第一ヨハネ4:18

天の父に対する正しい思い、父に対する感謝と愛だけが実を結ぶ行いを生み出し ます。
悪魔・サタンは神に対する間違った恐れを抱かせようとします。
カルト宗教も恐怖や恐れで人をコントロールしようとします。
それら一切の嘘を心の中から取り除き、愛と恵みに満ちている天の父を見上げま しょう!

【成長の霊的な原則】

「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っている ものまでも取り上げられるのです。」29節

大切な成長の原則をイエスさまは私たちに教えておられます!
「だれでも」とあるように、この原則はすべての人に当てはまるものです。
たとえの中では、能力はどの僕にも与えられています。だから能力を持っている か無いかではありません。天の父の愛に応えようと、積極的・肯定的・ 自発的 に与えられた能力、持っている能力を用いる姿勢、態度のことを教えています。

能力のない人は一人もいません!また、人と比べるための能力ではありません。
神と隣人に仕え、貢献するための能力、力、才能です。
神の愛と神の素晴らしさを表すために、積極的に使うのです。使えば使うほど、 ますますその能力は増し加えられていきます。

私たちは与えられた能力を、自分が置かれているところで発揮しましょう。
家庭において、職場、学校において積極的に貢献しましょう。
自分が置かれている場所で、必ず課題や問題に気付くはずです。それに自分が出 来る方法で取り組むことです。それが自分に与えられている霊的な賜物 です!
一人ひとり気付くことが違うはずです。それに取り組む方法も違うはずです。
それが一人一人に与えられた能力であり、才能なのです。
躊躇せずに、まず小さな一歩を踏み出しましょう!
神があなたを遣わしている自分の場所で、自分の能力を最大限引き出して、神の 素晴らしさを表しましょう。