「ぶどう園の主人と労働者のたとえ話」

【自分が変われば世界が変わる】

イエスさまを信じても、何も人生に良いことが起こらないという人がいます。
そうかもしれません。イエスさまを信じても、世界は変わらず、あなたの周りの 人が変わることもないでしょう。

それならば、なぜ神を信じるのでしょう。
世界を変えるためではなく、自分を変えるためです。

自分を変えず、周りの人を自分に都合よく変えようとすることは信仰と呼びません。
それは魔術であり、ご利益宗教です。

イエスさまが宣教を開始されたとき、まず初めに言われたことばは「悔い改めな さい」でした。悔い改めるとは、心を変えることです!あなたの心を変 えるこ とです!

あなたの心が変わるとき、世界はあなたにとって別の意味を持つからです!
私たちの心が神のことばによって変えられるとき、私たちの周りの全てのものは 新しい意味を持ち、全てが変わって行くのです。

大切なのはまず自分の心を変えていただくこと、自分の心を変えるために、神の ことばを積極的に信仰をもって聞き、理解し、受け入れることです。

神のことばが私たちの心を、価値観を変えます。

今日もイエスさまのたとえ話から分かち合います。
イエスさまのたとえ話の主題は神の国であり、その価値観です。
神の国の価値観を知り、受け入れるとき、あなたの心は変えられます!

変えられたあなたから、神の国は拡大して行きます!

【ぶどう園の主人と労働者のたとえ話】

ぶどう園の主人と労働者のたとえ話は、イエスさまのたとえ話の中でも分かり難 いたとえ話かもしれません。その理由は、常識と違っている部分がある からです。

ここが、普通のたとえ話とイエスさまのたとえ話の違うところです。
たとえ話というのは、ある事柄を伝えるために、直接言うよりも、相手がもっと 理解を深められるようにするものです。だから聞いていて、深く納得で きるも のでなければたとえで話す必要はないのです。しかし、イエスさまのたとえ話に は納得できない部分が残るたとえ話もあります。しかし、そこに こそ神の国の 価値観が隠されてるのです。

このたとえ話で理解し難い部分はどこでしょうか。
多分、一日中働いた労働者と、一時間しか働かなかった労働者に同じ賃金が支払 われた所だと思います。「おかしい!」「不公平だ!」そのように思わ れる方もい らっしゃるでしょう。

一時間しか働かなかった労働者に、気前よく一日分の給料を払うのは良いでしょう。
しかしそれなら一日中働いた労働者には、もっと多く給料を払うべきだと。
そうでなければ、ぶどう園の主人は不公平な人だと思われるのでしょう。

このように考えてしまうと、イエスさまのたとえ話が分からなくなってきます。
何がイエスさまのたとえ話を、本当に伝えたいことを見えなくさせているので しょう。

イエスさまのたとえ話を見えなくさせているものは、私たちの常識にあると思い ます。

長く働いた者、能力のある者、魅力的な人間は価値があり、当然、高い評価がさ れるべきだ。そして一時間しか働けなかった者、能力の低い者、魅力の ない人 間には当然低い評価がされるべきとする常識がイエスさまのたとえ話を見えなく させているのではないかと思うのです。

しかし、この常識と思える評価、それは正しいのでしょうか?
長く働いた者、能力のある者、魅力的な人間には価値があり、高い評価が与えら れるべきで、そうでない人間は価値が低く、低い評価しか与えられない という 常識です。

ところで先日、人間の抱える悩み、苦しみの全ては人間関係にあるという話をし ました。
これはある心理学者の意見であって、極論ですが、ある真理を伝えていると思い ます。
人は人間関係で傷つき、心を病むのです。いのちは関係の中にあるからです。
悩みや苦しみ、病の原因が人間関係にあるのなら、癒しはどこにあるのでしょうか?
癒しも回復も、関係にあると確信します!
正しい関係に私たちが生きるとき、私たちは癒されると確信します。

私たちにとって常識と思えることが、実は自分を苦しめ、生きる喜びを失わせて いることがあると思います。

猫を見ていてそう思いました。猫は心を病みません。五匹猫を飼っていますが、 四匹は野良猫や事情があって飼えなくなった猫を引き受けました。
引き受けた猫の中には血統証が付いた猫もいます。最近はネットで血統証を辿る こともできます!すると、おじいさん猫、おばあさん猫がチャンピオン 猫だっ たそうで驚きました。しかし、猫自身はそんなこと全く関係なしで生きています。
血統証が付いていようが、山梨で段ボールに入っているところを拾われようが全 く気にしません。毎日、美味しい餌を与えられ、撫でられることに喜び いっぱ いで生きています。

猫が心の病気に掛からないのは、他人が勝手に作った評価や価値を受け入れない からだと思います。

私たちは隣人を見るとき、どのように見ているでしょうか?
肌の色、学歴、収入、どんな会社で働いているか、どんな車に乗っているか、ど んな服を着ているか、身長が高いか低いか、瘦せているか、太っている か。
それらを見て、常識のふるいに掛ける。そして、この人は価値ある人、この人は 価値が低い人と勝手に判断してしまう。

他人が勝手に判断しているなら、それはそれで良いかもしれない。
しかし、その判断を自分に同じように当てはめ、受け入れてしまう時、いのちは 輝きを失ってしまうと思うのです。

今は小学生でもダイエットが流行っているそうです。太った、瘦せた!
「自分は太っているから・・・」という子供の顔には輝きが消えかけています。
明らかに間違った価値観が子供の心をおかしくしているのです。
しかし、これは子供に限ったことではありません。大人の私たちにも同じよう に、間違った価値観を常識、正しいと受け入れて自分の心を苦しめてはい ない でしょうか?。

身長、体重、学歴、肌の色、年収、家柄、それらは能力や外見であって、私たち の本質、いのちの価値を測るものでは決してないのです!
そのような外側の尺度でいのちの価値を測るとき、いのちは輝きを失います!

私たちは神との正しい関係を失った時から、自分のいのちの価値、自分のほんと の価値を見失ってしまいました。

神を見失ったとき、神だけでなく、自分のいのちの価値、生きる意味や目的、い のちの輝きも失っているのです。その時から、目に見えるもの、手に触 れられ る偶像を拝み始め、目に見えるもの、手にできるもので自分の価値を測りだした。
ますますいのちから離れていったのです。

神に立ち返りましょう!私たちを創造した唯一の創造者のもとに帰りましょう。
創造者である神だけが、あなたの本当の価値を判断することが出来るのです。

ぶどう園の主人は天の父をたとえています。労働者は私たちです。
天の父はどれだけ働いたか、どれほど能力があるかで人を判断しません。
その能力は神ご自身が目的をもってそれぞれに与えたものだからです。
神は一人一人をその存在に応じて認め、受け入れ、評価してくださるのです!

天の父はあなたにも、みなそれぞれに一デナリを与えて下さいます。
この一デナリは当時の労働者の一日分の賃金です。
しかし、このたとえの中では一デナリはキリストご自身のいのちをたとえています。
一デナリが少ない、多いはないのです。キリストのいのちだからです。
すべての人に神は御子イエスのいのちを十字架で与えて下さった!
あなたのいのちの価値は、神の御前に一人子イエスさまと同じに価値があるのです!
それがあなたの本当の価値だと神は言われるのです!

ぶどう園は神の国を表しています。これが神の国の真理であり、常識なのです!
この価値観があなたの心に、心を支える土台となるとき、あなたの心は必ずいの ちの輝きを取り戻します。これが神との正しい関係です。
神との正しい関係を取り戻すとき、私たちの心は癒されます。あらゆる人間関係 が癒されていきます!

キリストの十字架で流された血潮、いのちの一デナリを私たちは信仰をもって受 け取りましょう。