「アブラハムの妻、サラの一生」
聖書箇所:創世記23章

「サラの一生、サラが生きた年数は百二十七年であった。サラはカナンの地のキ ルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのた めに嘆 き、泣いた。」
創世記23:1.2節
アブラハムの妻サラは百二十七年の生涯を終えました。
聖書に亡くなった時の年齢が記されている女性はサラだけです。
彼女は信仰の母としての特別な地位が与えられているからだと考えられます。

へブル人への手紙はサラの生涯をこのように述べています。

「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与 えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからで す。そ こで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また 海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。」 へブル11:11.12

へブル書では信仰の人々に数え上げられているサラですが、旧約聖書の記事をみ ると本当にそうなのかと疑いたくなることも書かれています。
神さまに相談することもなく下女のハガルを夫アブラハムに与えて妾とし、こど もが出来るやいなや嫉妬によりハガルを苛める。自分に子供が出来る と、自立 することが到底難しいハガル・イシュマエル親子を追い出してしまう。また自分 に子供が出来ると告げたみ使いを笑い、笑ったことを指摘され ても平然と否定 する。どこに信仰者としての模範があるのかと不思議に思うのです。

(1)    恵みの視点

私たちはここに神の視点と人の視点の違いを見るのです。
人間ですから、罪深く、弱さもあります。旧約に書かれているサラの行為はその まま事実です。しかし神の目から見たサラの生涯もまた真実なのです。
神はサラの弱さ、罪深さを恵みで覆い、彼女の優れたところ、信仰に歩んだ生き 方をしっかりと見てくださるのです。

私たちは神の視点を学びましょう! 人間の視点は良いところよりも、人の悪い ところ、弱いところ、成功よりも失敗を大きく見てしまう傾向がありま す。
神の恵みの視点、赦しの視点で人々を見ましょう!

まず自分を神の恵みの視点をもって見ることをお勧めします。
自分の弱さ、欠点を大きく見ることをせず、自分の良いところ、自分らしさを神 に感謝しましょう。自分の長所を探すことを喜びにしましょう。
神の視点、恵みの視点を学んだら、私たちは自分にも、周りの人々に対しても優 しくなれるでしょう。それが人間関係を豊かにする秘訣です。
神が私たちを愛し、赦し、ありのままを受け入れ、良いところだけを見てくださ るのですから、私たちも同じようにまず自分を愛し、赦し、ありのまま で受け 入れ、良いところだけを見ていきましょう。自分に優しい人は、他人に対しても 優しくなれます。
自分に厳しい人、自分を責める人は、他人に対しても厳しく、責める人になります。
神の視点を学ぶとき、私たちは自分と自分の関係、自分と隣人との関係にも大き な変化、癒しと回復が起こると確信します。

(2)確かな神の選びと計画

サラを信仰の母とし、イサク、ヤコブと続くイスラエル民族の母としたのは神ご 自身でした。神がサラを選び、神がサラを信仰の母としたのです。

神の選びの確かさ、その計画の確かさを覚えましょう!
サラには確かに弱さ、罪深い性質もありました、しかしサラを選んだ神が彼女を 信仰の母としたのです。神の選びと計画の確かさを覚えましょう!

サラを選び、アブラハムを選ばれた神はあなたも信仰の勝利者として選ばれました!

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のために は、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同 じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長 子となら れるためです。
 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認 め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方である なら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方 が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらない ことがあ りましょう。
 8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるの です。
 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみ がえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにと りなして いてくださるのです。
 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦し みですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、 ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべ てのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、 今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イ エスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

私たちには弱さがあります、過去に大きな失敗があるかもしれません、また自分 ではどうしようもできない悪習慣があるかもしれません。
しかし、どんなマイナスもキリストの愛からあなたを引き離すことはありません!
全能の神は必ずあなたを選び、建てたご計画のように、御子イエスに似た者へと 引き上げ、変えてくださるのです!信じましょう。

【サラの埋葬】

23:19 こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレす なわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。
 23:20 こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れて アブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。創世記23章19.20節

信仰の父と呼ばれるアブラハムもその妻サラもともにヘブロンのマクペラの洞窟 に埋葬されました。アブラハムが生きているときに所有したのは、この マクペ ラ、墓地だけだったようです。

トルストイの小説に「人にはどれほどの土地が必要か」があります。結局、人が この地上に所有できるものは自分を埋めるほどの土地だけであるという ものです。

私たちの人生は必ず終わりが来ます!その終わりを意識せずに、正しく人生を歩 むことはできません。

7:1 良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。
 7:2 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての 人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。
 7:3 悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。
 7:4 知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。
 7:5 知恵ある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。

地上の人生が永遠に続くのでは決してありません。誰にも終わりが来ます。
この世で得た地位も名誉も財産も、すべては無くなります。
地上の人生は永遠を生きるための準備期間です!神の御前に名前が覚えられる人 生、神とともに永遠を生きるための準備期間なのです!いのちの書に名 前を記 されて初めて、死の日は生まれる日にまさるようになります。