「幸いな人」聖書箇所:マタイ福音書5章1-12節

【山上の説教はクリスチャンライフの土台】

「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに 来た。
 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。」マタイ5章1.2節

このマタイ5章から7章までの箇所は「山上の垂訓」、また「山上の説教」と呼 ばれている箇所です。イエスさまの数々の説教を一つにまとめている箇 所とも 考えられています。

山上の説教は最後の部分に、この教えを人生の土台とすべきとのことばをもって 締めくくられています。

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自 分の家を建てた賢い人に比べることができます。」マタイ7章24節

山上の説教で語られている教え、それはクリスチャン人生の土台です!
イエスさまの教えの意味をよく理解し、納得し、実践しましょう。
この教えが人生を支える堅固な岩、土台であるなら、どんな試練がやって来ても 崩れることはありません。流されることはありません!

しかしクリスチャンであっても、イエスさまの教えを人生の土台としていないな ら、山上の説教が土台でないならば、残念ですが試練の時、流され、痛 手を負 うかもしれません。
山上の説教をよく理解し、実践することで堅固な人生の土台を築き上げましょう。

また山上の説教を実践する人、その人こそがキリストの弟子です。
その人は本当にキリストの弟子であり、生き方によってイエスさまを表す人にな ります。

【幸いな人とは・・・】

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイ5章3-10節
 山上の説教は「幸い」で始まります。天の父なる神、そしてイエスさまはあな たの幸せを第一に願っています!あなたが真に幸せな人生を送ること、 これが 神の一番の願いです。

自分の息子、娘の幸せを願わない親がいるでしょうか?
天の父なる神は、イエス・キリストによってご自分の子どもに迎えた皆さん一人 ひとりの幸せを何よりも願っています。

そして幸せは、皆さん本人も願っているもののはずです。
幸せな人生を願わない人が果たしているでしょうか?
みな誰もが、幸せを追い求めて生きています。

しかし幸せを求めながらも、心からの幸せをあなたは手にしていますか?
どんな状況、どんなことが起きたとしても、あなたの幸せは無くならないでしょ うか?

また、あなたが幸せになることによって、誰かが不幸せになってはいないですか?
本当の幸せは、決して奪ったり、勝ち取ったりするものではありません。
また、いつか無くなりはしないかと不安を抱えながらのものでもありません。

山上の説教では八つの幸せが書かれています。この幸いは決して無くならない真 の幸いです。イエスさまは、本当の幸いにあなたを導くために来られま した。
イエスさまの教えが、あなたを本当の幸いへと導きます!

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏さ せ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、 御名 のために、私を義の道に導かれます。」詩篇23篇1-3節

ダビデは主に導かれる人生の幸いを詩篇で歌っています。

「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたし は、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」ヨハネ 10章10.11節

イエスさまご自身、ハッキリと私たちを豊ないのちへと導く魂の牧者であると 言っています。主イエスさまのことばを信じ、真の幸せへと私たちを導く 教え を実践しましょう。

【心の貧しい者は幸いです。】

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」マタイ5章3.4節

「心の貧しい者」とはどういう人なのか?この理解が大切です。
ルカ福音書6章20.21では単純に「貧しい者」「飢えている者」になっています。
それに対しマタイでは心、霊を表す「プニューマ」が加えられています。

イエスさまが幸いだと言われた「心の貧しい者」とは、神を飢え渇いて求めてい る人のことを指すと考えられます。単純に、経済的に貧しいことが幸い と言っ ているのではありません。なぜなら、貧しくても神様をまったく求めていない人 は少なくありません。
お金を必死に求めているのに、それでも貧しい人決して幸いとは言えません。

「心の貧しい者」、この人は世の中のお金、財産、学歴、ファッション、そのよ うなものでは心が満足しない人です。それらの虚しさを知っている人で す。
幸いの源を、お金や、学歴、自分のスタイルやファッション、友達からチヤホヤ されることに置いていない人です。幸いの源を神とし、幸せを神にのみ 求めて いる人です!
神さまとの親しい関係をいつも第一にし、他には求めない人です!
この人こそ幸いな人です!

神に霊と魂が満たされて、この世のものでは一切満たされようと考えていない 人、この人は神の国を必ず手にするのだとイエスさまは言われているので す。

あなたは何処に、何に、幸せを求めていますか?

人に心を満たしてもらおうと思うならば、残念ながら親にも失望する時が来ます。
夫にも妻にも失望する時が来るでしょう。兄弟、友人にも失望します。
誰も自分で自分を満たすことすら出来ないのです!
どうして他人を満足させることが出来ますか?

異性に慰めを求め、結婚に心の満たしを求める人がいます。
その結婚は必ず不幸になるでしょう。互いに自分を幸せにして欲しいと願ってい るからです。それは奪い合う関係、自分の幸せを相手に任せてしまって いる無 責任な結婚です。
そうなると不平不満を絶えずパートナーの責任にするようになるでしょう。

幸せになろうとしてする結婚は、必ず互いを不幸せにします。
幸せで、満たされた人が結婚することによって、初めて幸せが溢れる結婚になり ます。
相手を満たそう、満たそうとするからです。

この世の何者も自分を満たすことは出来ません!
そうです、神のみがあなたを満たすことが出来るのです。これが真理です。
神によって心を満たされた人、心から溢れるもので周りの人を満たすことが出来 ます。

あなたは心の幸いを神にのみ求めていますか?それとも、まだこの世の誰かに、 この様の何かに未練を残してはいませんか?神にのみ幸いを求めましょ う!
【心(霊)の貧しい者となるために】

神が祝福される幸いな人となるために、進んで心(霊)の貧しい人になりましょう!

@毎日のディボーションを実践することで、自ら進んで神の御前に貧しくなりま しょう。

イエスさまですら、朝早く起きて、天の父との親しい交わりの時を持ちました。
イエスさまにとってそれ以上の幸せな時はなかったからです。

「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『まことに、まことに、あなたがた に告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分 からは 何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうの です。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子 にお示しにな るからです。』」ヨハネ5章19.20節

父なる神との親密な時間、それはイエスさまに力を与え、導きを受ける時でした。
イエスさまの活動はすべて、祈りを通して父なる神に示されたことでした。
私たちも自らを貧しくし、虚しくして神を求めましょう!

A信仰を建て上げ合う関係を積極的に作ることで、心(霊)の貧しい人になりま しょう!

一人では健全な信仰生活を送ることは出来ません。あなたの魂を見張る霊的な監 督(牧師)、信仰のお兄さん、お姉さん、信仰の友が必要です!

「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主 の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による 祈り は、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしそ の人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あな たがたは、 互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の 祈りは働くと、大きな力があります。」ヤコブ 5:14-16

罪や心の問題の癒やし、解放の土台は謙って自らの内面を分かち合うことから始 まります。自分一人で大丈夫と考えるほど高慢な人はいません。神の御 前に貧 しく、小さくなりましょう。それが幸せの第一歩です。

B分かち合うこと、仕えることで心(霊)の貧しい人にないましょう!

世の中の考え方では、自分に集めれば集めるほど豊で、幸せになれると考えます。
神の国では反対です。与えれば与えるほど、分かち合えば分かち合うほど、自ら が豊かになります。神の国のために貧しくなる人が、もっとも豊な人な のです。

神から受け、受けたものを積極的に隣人の愛と建て上げのために分かち合いま しょう!