「いのちのパン」聖書箇所:ヨハネ福音書6章22-40節

【なくなる食物のためでなく…】

「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。あ なたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パン を食べ て満腹したからです。
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のため に働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この 人の子 を父すなわち神が認証されたからです。』」ヨハネ6章26.27節

イエスさまを探し求める熱心な人達がいました。彼らがイエスさまを求める理由 は、イエスさまの奇跡に驚いたからです。この箇所の直前は「五千人の 給食」 と呼ばれる奇跡をイエスさまは行われました。五つのパンと二匹の魚で男性を五 千人、女性や子どもも含めるときっと一万人近い人々を養われた のです。彼ら は食べて大変に満足しました。そしてイエスさまをメシヤ、キリストと受け入 れ、イスラエルの新しい王さまにしようと願っていました。

イエスさまが自分たちの王さまになってくれたら、食べることに心配しなくても 良い、また自分たちの必要を満足させてくれると思ったのでした。

神は私たちの必要をご存知です。人間は食べ物、飲み物がなければ直ぐに死んで しまう弱いものです。神は私たちの必要をご存知で、私たちが願う前か ら既に 知っておられます。神は私たちの必要を豊かに満たして下さるお方です。

しかしイエスさまが来られた理由は、私たちの日々の必要を満たすためだけに来 られたのでしょうか。イエスさまが来られた理由は、私たちのもっと大 きな必 要、もっと重要な必要を満たすために来られました。

それはイエスさまだけが満たすことの出来る私たちの必要でした。

神に日々の必要を祈り求めることは大切なことです。イエスさまが教えて下さっ た主の祈りの中にも、日々の必要を求める祈りが含まれています。
祈りが叶えられることは嬉しい体験です。私たちは祈りを通して神を体験します。

日常に起きるさまざまな問題、神に祈り、導きと助けを受けて乗り越えることを 通して、私たちは神を親しく知ることが出来ます。

しかし、天の父はそれ以上のものをあなたに与えるためにイエスさまを遣わして 下さったのです! 無くなるものではなく、決して無くならない永遠の ものを イエスさまはあなたに与えたいと願っています。
フランス人の哲学者パスカルは「人間には神でしか満たすことの出来ない真空が 心にある」と言いました。

パンや食べ物、心を満足させる音楽や芸術、家族や友人、どれも私たちには必要 ですが、いつまでも私たちを満足させることは出来ません。
心の真空、心の穴が塞がれていなければ、心はいつも寂しい、満たされない思い だけが残ります。この真空、心の底に開いた穴は神だけが塞ぐことがお 出来に なるのです。

【神が遣わした者を信じること、それが神のわざです!】

「すると彼らはイエスに言った。『私たちは、神のわざを行なうために、何をす べきでしょうか。』イエスは答えて言われた。『あなたがたが、神が遣 わした 者を信じること、それが神のわざです。』」ヨハネ6章28.29節

心の底に開いている穴、心の虚しさを満たすのに必要なこと、それは「神が遣わ した者を信ずることです。

私たちの心の最も大切な必要を満たすために神が遣わした方、その方こそイエ ス・キリストです!そしてイエスさまは「信じること」だと言われまし た。
神が遣わした救い主イエス・キリストを信じる時、私たちの心の底に開いている 穴は塞がれ、人生に対する虚しさは無くなります。

どんな良い物を受けても、穴から出ていき、その度に虚しさを覚え、もっと欲し い、もっと欲しいと何かを求め続けていた人生から、心の穴がキリスト によっ て塞がれ、良いものを心から感謝し、喜び、満たされる人生に変えられるのです!

神が遣わした救い主イエス・キリストを信じることです。

【何を信じるのか?】

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢 えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くこと があり ません。』」ヨハネ6章35節

イエス・キリストを信じなさいと言われても、どのように信じたら良いのか分か らない方もいらっしゃるでしょう。イエス・キリストを信じるとは、彼 のこと ばを信じるのです!

イエスさまは言われました。「わたしがいのちのパン」だと!
イエスさまはいのちのパンと言われました。ここで使われている「いのち」は ギ)ゾーエが使われています。これは肉体のいのちを表すギ)プシュ ケーに対し て、霊的ないのち、永遠のいのちを表すことばです。
イエスさまは私たちの心、心の一番深い部分である霊を満たし、生かすために来 られた方です。
イエスの教え、導き、愛と励ましの言葉が私たちの死んでいる霊を生かすのです!
心の奥深い部分、霊の部分は神と人格的な交流によって初めて生きるのです!
それはキリストの語られたことばを心から受け入れる、信じる時に霊は生かされ るのです。

イエスさまはあなたの永遠のいのち、霊的ないのちを生かすために来られた方です!

「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときに も、決して渇くことがありません(35節)」とイエスさまは約束され ました。

本当でしょうか?クリスチャンは飢えること、乾くことから完全に開放されるの でしょうか。
キリストを信じたら飢餓や貧困の問題はなくなるのでしょうか。
イエスさまの言われたことばの意味はどこにあるのでしょう。

 11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は 彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多 く、ま た、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
 11:24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
 11:25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが 三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
 11:26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受 ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
 11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物 もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
 11:28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会 への心づかいがあります。
 11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれか がつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
 11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
 11:31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽 りを言っていないのをご存じです。
 11:32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監 視しました。
 11:33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。
第二コリント11章23-33節

パウロという人物はキリストを信じ、キリストに従った故に大変な人生を歩んだ ことが書かれています。受けるよりも与える人生、得るよりも失う人生 です。 強くされるよりも弱くされる人生、楽しむよりも、他の者のために悲しむ人生に 変えられました。


多くの人はキリストを信じて人生に損なこと、マイナスの出来事が起きるなら信 仰を止めようという人がいます。キリストを信じても人生が思うように ならな ければ信じる必要がないと。
パウロはどうだったでしょう?キリストを信じる故に、これだけの損を体験した パウロはキリストを捨てたのでしょうか?答えはもちろん、NO!でし た。

なぜパウロは苦しめられ、飢え、乾き、惨めになり、いのちを脅かされてもキリ ストを信じ続け、キリストに従い続けたのでしょうか?

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたし の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたので す。です から、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを 誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮 辱、苦痛、迫 害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからで す。」Uコリント12章9.10節

パウロは肉体に訪れるさまざまな苦しみ、飢え、乾きを上回る、神の恵み、霊の 満たし、いのちをキリストから受けていました!

キリストが与える愛と恵みを奪うことの出来るものは、この世には何一つありま せん!
キリストの愛と恵みは、私たちの弱さを完全に覆い、どんな時でも私たちを支え ることが出来るのです。これが心の穴をキリストによって塞がれた者の 生き方 です。

肉体を支えるパンも必要です。しかし、この世のパンはいつか無くなり、そして 心の深い必要までは満たすことは出来ません。
しかし、神の与えるパンは違います!キリストはあなたに生きていることの本当 の意味を与え、励ましと慰め、教えと導きを与えて下さり、肉体的な弱 さ、苦 しみ、辛い状況も跳ね返す力をあなたに与えて下さるのです。

あなたは神が与えて下さったいのちのパン、イエスさまを心にお迎えしましたか。
あなたのために人となり、あなたを生かすために、あなたの全てのマイナス、罪 の負債とその罰を十字架で受け取って下さったイエスさまをあなたは救 い主と して心に迎え入れましたか。
心の扉を開いて、この方を受入ましょう!