「家畜小屋での誕生」聖書箇所:ルカ福音書2章1-8節

【主イエスは歴史の中に生まれた】

「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であっ た。」1.2節

福音書を書いたルカは、イエスさまの誕生の状況をこのように語っています。
ルカは福音書の冒頭で「すべてのことを初めから綿密に調べております」と述べ
ているので、これは正確な調査に基づくものであると考えられます。
キリストはいつ誕生したのか?
西洋暦で紀元前(BC) と紀元後(AD) を分けるのはキリストの誕生です。
しかし実際には4年以上の誤差があると言われています。
マタイの福音書ではヘロデ王キリストが誕生したベツレヘム一帯の幼子を虐殺し
たことが書かれていまが、ヘロデ王が死んだのがBC4年なので、キリ ストはそれ
以前に誕生したことになるのです。

ルカがキリスト誕生の歴史的な状況を記したのは、何年何月何日に生まれたのか
を正確に伝えることが目的ではなく、キリストが私たちの歴史の中に、 事実と
して誕生したことを伝えるためでったと思うのです。

キリストが生まれたことは、神話やおとぎ話ではありません。歴史的な事実なの
です。
キリストの誕生に関しては、天使が現われたり、処女が身籠るなど不思議なこと
が多いです。そのため、福音そのものが空想や夢物語、神話であると思 う人が
いるでしょう。
しかし、ルカはキリストの誕生は歴史的な事実であり、その他の出来事も決して
作り話ではなく、同じように事実であることを私たちに伝えているので す。

キリストは歴史の事実として、処女マリヤから生まれ、ユダヤ総督ポンテオ・ピ
ラトの時、十字架を背負い処刑されたのです。そして三日目に歴史的な 事実と
して復活され、四十日後に昇天され、歴史的な事実として再臨されるのです!

キリストの救いは事実なのです! 私たちはこの視点を欠いてはなりません。
もし歴史的な事実に福音が基づかないなら、福音には何の力もありません!
パウロは言っています。

「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、
私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリスト は、
眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」第一コリント15章19.20

「イエスが神かどうかは分からないが、とにかく苦しい状況から助けて下さい!」
このような祈りを何回繰り返しても、信仰があなたを支える力になることはあり
ません。

神が私たちを救うために人となられた、人間イエスとして生まれて下さった!
これは確かな事実である。イエスは人類にとって最も大きな問題、罪と死の問題
を十字架と復活をもって解決された!これも事実である。だから、イエ スは私
たちのその他すべての問題にも導きと解決を与えて下さる。この信仰にこそ力が
あるのです。

歴史的な事実として救いの道を開いて下さったイエスさま、この方を人生の土台
とし、人生のゴールと定める時、私たちの人生は揺らぐことはありませ ん!

【布にくるんで飼い葉桶に寝かせた】

「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産ん
だ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場 所が
なかったからである。」                         
        ルカ2章6.7節

イエス・キリストは家畜小屋で誕生されました。キリストは「油注がれた者」の
意味であり、国王、預言者、祭司だけがその職に任じられる時に頭に油 を注が
れました。
キリストは王の王であるお方です。その方がなぜ家畜小屋で生まれたのでしょう。
神は全能ですから、キリストを家畜小屋ではなく、ヘロデの王宮、大祭司の豪邸
に誕生させることは簡単なことです。しかし、そうではなく家畜小屋で 生まれ
たのは何故でしょう。

もしキリストが王宮で生まれたのなら、確かにそれはキリストにとって相応しい
場所です。
キリストは人々の上に立つ支配者にはなれるでしょう。しかし、それでは決して
人々の心を理解し、すべての人々の友になることは出来なかったでしょ う。

家畜小屋での出産、それは王には相応しい場所ではありませんでしたが、ある
人々には普通の出産場所でした。それは奴隷です。当時、奴隷は人間とし ては
認められず、主人からは家畜同様に見られていたのです。彼らの出産場所は家畜
小屋でした。

キリストが家畜小屋で生まれたのは、奴隷にされた人々の苦しみ、その悲惨な境
遇をも体験し、最も小さく弱い人々の友となるためだと思われるので す。

キリストは私たちの友となるために、私たちが受けた苦しみ、貧しさ、辛さを全
て体験されました。 私たちを愛し、私たちを理解するため、キリスト は私た
ちよりもさらに身を低くされたのです。重荷を背負うには、荷よりも身を低くし
なければ背負うことは出来ません。キリストは私たちを支えるた めに、全ての
人よりもご自身を低くされたのです。


「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめ
たたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを 慰めて
くださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、ど
のような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」 Uコリント1章3.4節

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」
なぜなら神はキリストにあって、人の全ての苦しみを体験されたからです。
キリストはまだ誰も体験したことがない苦しみを十字架で体験されました。

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」

キリストは弟子に裏切られ、友に売り飛ばされ、自分の民に捨てられ、父なる神
にも見捨てられたのです。呪われた者となって死んで下さった。
だからこそ、キリストは全ての人を慰めることが出来るのです。
キリストは私たちの辛さを本当の意味で唯一、理解し、受け止めることが出来る
からです。
キリストは分かってくれるのです! キリストは背負って下さるのです!
キリストだけが私たちの慰めの神です!

キリストの慰めを体験して下さい!

それはあなたも孤独で、理解されず苦しむ隣人を慰め励まし、友となるためでも
あります。
パウロも多くの苦しみを体験した人です。
パウロは苦しめられましたが、しかし決して「被害者」では終わらなかった。
パウロは苦しみを通して慰めの神を知り、同じ苦しみを受ける者の友となりました。

いじめは本当に辛い体験です。慰めて下さる神に出会うことがないなら、いじめ
た人を恨み、憎しみ、否定的な感情の牢獄にやがて閉じ込められてしま います。
キリストもいじめられました。人々から罵られ、暴行を受け、殺されたのです。
キリストはあなたの苦しみを受け止め、辛さをともに背負って下さいます。
キリストはこそ、あなたの友です!

キリストが自分の友であると分かる時、慰めを知ります。キリストの慰めを知る
時、私たちは被害者意識から、憎しみや呪いの牢獄から解放されます。 そして
同じ苦しみにあっている人の友となり、神の慰め、励ましをもって慰め、励ます
者に変えられるでしょう。

あなたは誰かを恨んでいませんか、憎しみや怒りで心をすり減らしてはいませんか。
キリストを見あげましょう!
あなたの苦しみを背負うために、家畜小屋で生まれ、十字架を背負われたイエス
さまの生涯を見あげましょう。あなたがキリストの愛に出会うことを願 います。