「ヨセフの夢」マタイ福音書1:18-25

今週は降誕節(アドベント)の第二週になります。今回は救い主イエス・キリスト
の地上での育ての父に選ばれたヨセフから信仰を学びたいと思いま す。

【夫のヨセフは正しい人であって、】

「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内
密に去らせようと決めた。」マタイ1:19

神が救い主の地上での父親として選んだヨセフは「正しい人」でありました。
神に用いていただくために大切なこと、それは「正しさ」にあるといえるでしょう。
神は不正を喜ばれず、不正な人物を用いることはされません。

「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」マタイ 5:16

「正しさ」、それは神の栄光を表すために大切なクリスチャンの生き方と言える
でしょう。

「正しさ」は大切ですが、この「正しさ」が人を傷つけることもあります。
自分を正しいとして、相手の間違い、欠点だけを指摘する正しさ。
正しさを一方的に主張して、間違いや弱さのある人を踏みにじるような正しさ。
人間関係では、「正しさ」がトラブルを引き起こすことも少なくありません。

誰かと喧嘩するときも、殆どの場合、自分が正しくて、相手が間違っているとい
う前提があります。自分が間違っていると認めていたら喧嘩にはなりま せん。

このように考えると、「正しさ」に魅力を感じなくなります。
新約聖書の中で、自分の「正しさ」を主張したのはパリサイ人でした。
彼らは自分たちこそ正しいとして、イエスさますら十字架に付けたのです。
このように自己主張する「正しさ」は怪しいし、危険です。

一方ヨセフの正しさは、自己主張する正しさではなく、神に認められる「正し
さ」です。神はヨセフの中に、何をご覧になって正しいとされたのでしょ うか。

「彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」19節

ここにヨセフの正しさが表れていると思います。
相手の非を責める正しさではなく、罪を犯した者に対しても、相手の弱さを覆う
正しさ。ノアが酔いつぶれて、裸で寝転がっていた時、ハムは父親の情 けない
姿を見て蔑み、他の兄弟達に告げました。しかしセムとヤペテは父の恥ずかしい
姿を見ようとせず、恥を覆いました。神はセムとヤペテを祝福さ れ、ハムの行
為を喜びませんでした。

神は罪を責めるものよりも、罪を覆うもの、人の弱さを思いやるものを正しいと
認められるのです。そして、この正しさは、神の正しさに通じます。

「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が
救われるためである。」ヨハネ3:17

神の正しさは、人を責めるためではなく、私たちを憐れみ、回復させるためのも
のです。神はこの同じ心を持っているヨセフを、ご自身のひとり子を地 上での
養父とされました。
私たちも、天のお父さまの正しさに生きましょう!
パリサイ人のような宗教的な正しさではなく、人々の回復のため、罪を覆い、助
ける正しに生きましょう。天の父はそのような人を求めておられます。 そして
そのような父の心を持つものを世の癒やしと回復のために用いられます。

【ダビデの子ヨセフ】

「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。『ダ
ビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に 宿って
いるものは聖霊によるのです。』」マタイ1:20

ヨセフはこの時、とても動揺し恐れていたことが御使のことばから分かります。
マリヤを去らせるのも、また受け入れるのも、どちらにしてもヨセフにとっては
恥は免れません。事情を隠してマリヤを去らせれば、婚約者に逃げられ たと言
われるかもしれない。
お腹の子を自分の子どもとして受け入れれば、周りの人からはヨセフが不品行の
者と思われる。今まで正しく生きてきたヨセフにとっては大きな苦しみ であり
ました。

恐れ、不安を抱えるヨセフに、御使は「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけます。
直前の系図から、ヨセフの父はヤコブとあります。(マタイ1:16)
このダビデはヨセフの先祖でもあり、イスラエルの王ダビデを指しています。
ダビデ王は信仰の深い王として有名でした。ダビデはまだ少年だった時、ペリシ
テ人の巨人で戦士であるゴリアテを石一つで撃ち倒した勇士としても有 名です。
ダビデの子とは、ヨセフがダビデの信仰、勇気を引き継いでいることを思い起こ
させるための呼びかけであると思われます。

自分がキリストにあって何ものであるのか?それを知り、思い起こすこと、それ
が恐怖を、不安を乗り越えさせる力になります!

自分がキリストにあって何ものであるのかを忘れてしまうと、私たちは簡単に不
安に飲み込まれてしまいます。キリストにあって自分が何ものであるの か、い
つも聖霊とみことばを通して思い起こしましょう!

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみです
か、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。私た ちは、
私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧
倒的な勝利者となるのです。」ローマ人への手紙8章35.37 節

聖書にはキリストによって私たちに与えられた約束、励ましのことばに満ちてい
ます。
聖霊は聖書のことばを通して、不安を乗り越える力と導きをいつも与えて下さい
ます。

あなたはキリストにあって圧倒的な勝利者です!

【その名をイエスと名づけなさい】

「その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。そ
の名をイエスとつけなさい。この方こそご自分の民をその罪から救って くださ
る方です。」マタイ1:2021

私たちのために生まれた救い主について、御使のことばを見てみましょう。

「その胎に宿っているものは聖霊によるのです」。

イエス・キリストは100%人です。そして100%神です。
人間はどんなに努力しても、聖書の神(唯一の神、創造主)になることは出来ません!
しかし、創造主が人間になることは不可能ではないはずです。
イエス・キリストは神がある大切な目的を果たすために、人となられたお方なの
です。

「その名をイエスとつけなさい」

イエスの名前は、当時のイスラエルでは特別な名前、不思議な名前ではありませ
んでした。「ナザレのイエス」と呼ばれることがありますが、それは 「イエ
ス」の名が特別でなく、ありふれた名前であって、出身の村の名前を付けない
と、他のイエスと区別できなかったぐらい普通の名前でした。

「イエス」はギリシャ語読みの名前です。ヘブル語だとヨシュア(イェーシュア)
です。
これはヘブル語で「主は救い」を意味します。神が遣わされた救い主はイエスだ
けです!

「この方こそご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

イエスさまは私たちを何から救ってくださるのでしょう?これが大切です!
イエスさまは私たちを罪から救って下さる。罪がもたらす永遠の滅びから私たち
を救って下さるのです。

人間は、人間を造られた神といのちの関係を持って、初めて本来の人として生き
ることが出来るのです。神との関係がなかったら、糸の切れた凧、目的 地を見
失い大海をさまよう舟のようなものです。

神との真の関係を妨げているのが罪です。この罪が取り除かれ、神といのちの交
流を取り戻す事こそ救いです!

イエスは私たちの罪を身代わりに背負い、罪の罰を身代わりに受けるために人と
なられたのです。私たちは罪によって失ったものを、イエスの身代わり によっ
て再び得ることが出来るのです。イエスが背負った十字架は、ほんらい私たちが
背負うべきものでした。
その十字架をイエスは私たちに代わって背負われたのです。

イエスは身代わりの死を遂げられましたが、三日目に復活されました。
イエスを罪から完全に救って下さる救い主として信じる者に、復活のいのちのを
与えて下さるのです。

イエスを信じ、イエスを通して天の父なる神といのちの交流を再開しましょう!
イエスを通し、いのち、喜び、平安が豊に流れてきます。
イエスを信じるものには、聖霊の保証があります。それは、この世のものでは得
られない喜び、平安、心の安らぎです。

この救いは死んだ後に与えられる救いではありません!今、与えられる救いです。
今、信じるあなたに、神のいのちが注がれるのです。赦しが与えられるのです。

【ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして・・・】

「ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入
れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子ども の名を
イエスとつけた。」                           
      マタイ1:24.25

ヨセフは眠りから覚め、「あーよく寝た!いい夢を見た!」と言って済ませませ
んでした。夢ではありましたが、御使に命じられたとおりに実行したの です!
ここが大事です。
神がイエスを通して与えられた救い、受け取るためには信仰の行動が必要です。

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」ローマ10章10節
心で信じ、信じたことを口にし、信じたとおりに生きましょう!