「イエスのたとえ話Aわたしは良い羊飼い」聖書箇所:ヨハネ福音書10:1-18節

【たとえを理解するために】

イエスさまの教えの特徴は、たとえ話を多く用いられたことです。
イエスさまがたとえ話を用いられた理由はマタイ13章12節で、「持っている者は
さらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも 取り上げら
れてしまうからです。」と答えておられます。

先週はこの箇所を当時のユダヤ人の信仰から説明させてもらいましたが、もう少
し、私たちに対することばとして説明したいと思います。

わたしはこのイエスさまのことばをこのように理解します。

「神を変えたいと思う者は、さらにイエスの教えがわからなくなり、自分を変え
たいと思う者は、さらにたとえ話によって心が豊かにされるためであ る。」

「信仰」と一口に言っても、大きな幅があります。日本の伝統的なご利益信仰
と、イエスが教える信仰はまったく性質の違うものです。それを先ず覚え なけ
れば、聖書は分からない、イエスの教えは分からないのです。

信仰は、神を自分の願望に合わせて都合よく使うものではなく、信仰とは、神の
願いに自分を合わせることなのです。

イエスのたとえ話、イエスの教えは、神を動かし、自分を取り巻く辛い状況を都
合良く変えるための魔法が書かれているのではありません。
自分の心、認識、物の見方を変えるために書かれているのです。

「聖書、神のことばを通して自分を変えたい!変えられたい!」と願う人は聖書
を通して人生が豊かになります。しかし「自分は変わりたくない!周り の人
を、周りの状況を変えて欲しい」と願っている人は聖書をいくら読んでも、分か
らないのです。

神に対するアプローチを変えて下さい!

日本の伝統的な信仰は、神に願いを叶えてもらうです。
しかし、聖書はそのまったく反対です。神の願いを私たちが聞くのです!
それがいのちの道、幸せの道だと聖書は教えているのです。これが悔い改めです。



【わたしは〜です】

ヨハネ福音書でイエスさまは、たとえを用いてご自分が誰であるかを教えておら
れます。
「わたしは〜です」という箇所が七カ所あります。
ぜひヨハネ福音書を開いて、その箇所を探してみましょう。

「わたしはいのちの〜です。」 ヨハネ6章48節

「わたしは世の〜です。」 ヨハネ8章12節

「わたしは羊の門です。」ヨハネ10章7節

「わたしは良い羊飼いです。」ヨハネ10章11節

「わたしは〜です。〜です。」ヨハネ11
章25節

「わたしは〜であり、〜であり、〜なので す。」 ヨハネ14章6節
「わたしはまことの〜。」ヨハネ15章1節          
どんな人間関係でも、相手が誰であるのかを知ることは不可欠です。それが長く
続く大切な関係であればあるほど、相手が誰であるのかを知らなければ なりま
せん。
相手が親であるなら、親子関係になります。自分の親なら、私たちは信頼できます。
相手が妻なら、異性であっても親しい、親密な関係を築きあげることが出来ます。
通りすがりの、誰だか分からない人とは信頼できる関係を築けません。
イエスさまは私たちと永続する、いのちの関係を築くために、ご自身を明らかに
しておられるのです。

【わたしは羊の門です】

「そこで、イエスはまた言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げま
す。わたしは羊の門です。』」ヨハネ福音書10章7節

イエスさまはご自身を羊の門とたとえられました。素晴らしい約束が書かれてい
ます。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安
らかに出入りし、牧草を見つけます。」ヨハネ10章9節

イエスを救い主として信じるなら、誰でも救われます。
そしてキリストの門の内には守りがあり、平安があります!
誰もキリストの救いから、私たちを奪い去るものはいないのです。
そして牧草がります。私たちの霊も魂も体も、全ての必要がキリストにあって満
たさます。

イエスさまの約束は真実です!私もイエスさまを信じて、霊も魂、体もあらゆる
必要が豊に満たされています!

【わたしは良い牧者です】

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者でな
く、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き 去りに
して、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。」ヨハネ10
章11.12節

イエスさまは良い牧者です!
羊飼いは決して、決して、羊のために自分のいのちを犠牲にすることはありません。
羊が羊飼いのために犠牲になるのです。羊のために羊を飼う羊飼いはいないのです。
しかし、イエスさまは私たちのために、ご自身のいのちを与えて下さいました。
イエスさまの羊になるということは、イエスさまのいのちをいただくことなのです。

雇い人や狼が何のたとえなのかはよく分かりません。パリサイ人や以前に現れた
偽キリスト、自分だけを肥やしているサドカイ人の祭司たちを指してい るのか
もしれません。
何時の時代にも自分の欲望のために人々を利用する宗教家、政治家は存在します。

どんなに立派なことを言っても、今まで一人として私たちの罪のために十字架を
背負った宗教家、政治家はイエスさまの他に一人もいません。イエスさ まだけ
が良い羊飼いです!

私たちはイエスさまの羊です。イエスさまの声にいつも聞き従いましょう。
イエスさま声を聞き分けるために、いつも聖書から、神のことばを学びましょう。
イエスさまの声に聞き従う時、私たちは守られ、満たされます。

あなたの牧者は誰ですか?自分の牧者が誰であるか、それがあなたが誰であるの
かを決めます。イエスが牧者でないなら、あなたは雇い人の羊であり、 いつか
狼に食べられてしまうかもしれません。私には牧者はいないという人、あなたは
羊に似た山羊かもしれません。イエスさまは世の終わりの日に、 羊と山羊を分
けると言われました。
山羊には、その罪を贖う者がいません。

イエスを自分の牧者として、その声に導かれましょう!