「イエスのたとえ話@種まきのたとえ」
聖書箇所:マタイ13章1-23節
【なぜイエスはたとえで語られたのか】

イエスさまの教えの特徴は、たとえを用いられたことです。
福音書の中には、イエスさまのたとえ話が多数収められています。
今月は福音書の中から、イエスさまのたとえ話を分かち合いたいと思います。

イエスさまは、なぜたとえを用いて弟子たち、また群衆に話されたのでしょうか。

「というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っ
ているものまでも取り上げられてしまうからです。」マタイ福音書13 章12節

これがたとえで教えられた理由です。
ただ、これは直接的には当時のユダヤ人に向けて書かれていることを忘れてはい
けません。
二千年前のユダヤ人たちは、メシヤ(救い主)が来て、全ての問題を解決してくれ
ると信じていました。外国人から祖国を解放し、全ての外国人を支配 する強
国、神の国にユダヤを変えてくれると信じていたのです。メシヤ(救い主=キリス
ト)が全てやってくれる。

それに対しイエスさまは、正しいメシヤ・キリストに対する態度、信仰を持たな
ければ、ユダヤ人だからといって神の国に入れると思ったら大間違いだ と言っ
ているのです。
キリストに対する正しい信仰、態度を持たなければ、ユダヤ人が持っていると
思っている神の国に入る特権さえも失ってしまうと警告しているのです。

たとえ話はキリストに対する正しい信仰を持つ者、また偏見なしに神を求める者
には、神との関係をさらに深め、信仰を強める働きがあります。しかし キリス
トに対して勝手な願望を持つ者には理解できない、神の国の真理から遠ざける働
きがあるのです。

ユダヤ人たちは残念なことに、真の救い主が分からず、神の国がイエスさまに
よって示されたにも関わらず入ろうともしませんでした。先祖から何百年 間も
メシヤと神の国を求めながら、本当にやって来た神の子を自らの手で殺してし
まったのです。

これは聖書を学ぼう、また信仰を持とうとする私たちへの大きな教訓です!

自分の願望、欲望を叶えてもらうための救い主を求めても、イエスは分かりません!
生きている時、自分勝手に生き、さんざん家族や回りの人を苦しめて、死後は極
楽に行きたい!そんな都合の良い天国を聖書は約束していません!
イエスさまも、聖書も自分のためにあるのではありません!
救いとは、自分のための神ではなく、神のための自分に変えられることです。
聖書は自分中心ではなく、神中心なのです!それが分からないと、いくら聖書を
学んでも、聖書が言っている中心にはたどり着けません。

イエスさまのたとえ話は、私たちの信仰を清めます。正しくします。
たとえ話から、救い主イエスさまのこと、神の国のこと、先入観を捨てて学びま
しょう。

【種まきのたとえ】

この種まきのたとえは、イエスさまのたとえの中でも理解しやすいたとえです。
なぜなら、イエスさまご自身が解説をされているからです。

「ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。御国のことばを聞いても悟らない
と、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばた に蒔
かれるとは、このような人のことです。」マタイ13章18.19節

イエスさまの話が、決して農耕に関する教え、種まきに適する土地についての話
ではなく、霊的な真理を悟らせるためのたとえであることが分かりま す。
種まきがまいた種は、「御国のことば」だと、イエスさまが教えておられます。

イエスさまのたとえ、その主題(テーマ)は神の国です。神の国とは神との関係です。

御国のことばを悟るとはどういうことでしょうか。
このたとえ話には、四種類の土地が出てきます。一つは道ばた。二つ目は土の薄
い岩地、三つ目はいばらの土地、四つめが良い地です。

一つ目の道ばたの土地が実を結べなかったのは何故でしょう。
御国のことばを聞いても悟らなかったからです。御国のことばを悟ることが大切
です!
それでは、御国のことばを悟るとは、一体どうすることでしょう。

御国のことば、それは聖書のことばを指しているとも言えますが、御国のことば
とはイエスさまのことです。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死な
なければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結 びま
す。」ヨハネ12章24節

イエス・キリストこそ、私たちに真のいのちを与えるために、地に落ちて死なれ
た一粒の麦、まかれた種なのです!
御国のことばを悟るとは、神が遣わされた救い主イエス・キリストと自分がどの
ような関係があるのか、それを知ることなのです!

「キリストと自分は無関係、キリストは歴史上の偉人だと認めるが、それ以上で
もそれ以下でもない。」このように言う人は個人的にはイエスとまった く関係
のない人、道ばたの状態です。

御国のことばを悟るとは、イエス・キリストは私が本当のいのちに溢れ、また実
を結ぶ人生を送るために、ご自分のいのちを与えて下さった救い主だと 心から
知ること、これが御国のことばを悟ることです。

キリストが自分のために死んで下さったこと、このことを知らなければ、受け入
れなければ神の国とは無関係です。しかし、キリストが自分の罪ために 死んで
下さった!それほどまでに自分を愛しておられる神の愛を受け入れる時、キリス
トのいのちが心に流れるのです。初めは、その流れは小さいかも しれない。し
かし、祈り中にキリストを仰ぎ見る度に、神の愛、いのちの流れは大きくなります。

道ばたの土のように、神に対して固く、無関心な心を捨て、柔らかな心でイエス
とイエスのことばを受け入れましょう。

【土の薄い岩地】

「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のこ
とです。
しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばの
ために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」マタイ 13章20-21節

せっかくイエスさまを救い主として受け入れても、実を結ばない土地があると教
えています。私たちは実を結ばない者にならないために、何が実を結 ばせない
のか、その原因を知らなければなりません。

この種が実を結ぶまでに成長できなかったのは、根がなかったからでした。
根を張れないと栄養を吸収できないので、植物は成長できません。
また根を十分に張らないと、強い風が吹くと根本から倒れてしまいます。
実をたくさん結ぶには根が必要です。実を結ぶために必要な根とは何でしょう。

霊的成長の4つの習慣:@みことばにとどまる、A神さまと親しい関係を保つ
B定期的に捧げる、C定期的に交わるの4つです。

試練に関しては明確な約束があります。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は
真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会 わせる
ようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練ととも
に、脱出の道も備えてくださいます。」第一コリント10章13節

あなたが耐えられない試練を神は決して赦されません!必ず解決があります。
根は風が強い場所のほうが、しっかりと張るものです。
試練が全くない状況より、適度な試練がある方が、私たちの中に忍耐が養われる
のです。何があってもキリストから離れない!この決意をぜひ持って下 さい。
神は必ずあなたを守られます。

【いばらの土地】

「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富
の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」マ タイ13
章22節

いばらの土地ではなぜ実を結べなかったのでしょう。
「この世の心遣い」とは、優先順位の問題といえるでしょう。信仰者だからと
いって、朝から一日中聖書を読んで、礼拝だけ出来るかというと、牧師で すら
もできません。
私も仕事もあるし、家事の分担もあります。色々雑事があります。
何を優先するかということです!キリストの実を結ぶこと、そして何より神との
関係を一番にすることが大切です。もちろん、これは原則です。時には 仕事の
繁忙期など、聖書をまったく読めなかった、祈れなかったという時もあるでしょ
う。しかし、そのような状況をいつまでも許してはならないとい うことです。
次から次と問題が起こるのが人生かもしれません。問題の中でも、忙しさの中で
も譲れないものを確かにしていきましょう。

【実を結ぶ良い土地】

「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、
その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あ るもの
は三十倍の実を結びます。」マタイ13章23節

実を結ぶ良い土地、実を結ぶ土地とは、イエスを自分の罪のために死んで下さっ
た救い主として心に受け入れ、どんな試練の時でも決してイエスから離 れな
い、イエスとの関係を第一優先順位にする人のことです。

その人は本当に実を結びます!百倍、六十倍、三十倍の実を結びます。約束です!

最後になりますが、イエスを信じて結ぶ実とは一体何でしょうか。
イエスを信じて結ぶ実とは、この世の成功、お金や地位や人気ではありません!
イエスを信じて結ぶ実とは、イエスの人格です。それは愛です!
また愛の影響力と言えるでしょう。私たちはキリストの弟子です。
イエスのように考え、感じ、行動する。それは全ての神の愛を実践することなの
です。
神の国とは、イエスの愛で満ちたところです。私たちがキリストの愛を行い、こ
の世に神の国を示すことを神は願っておられるのです。