「いのちのことばを語りなさい!」 聖書箇所: 使徒の働き5章

【宗教に熱心な人が教会(エクレシア)を滅ぼす】

「ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻
も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒
たちの足もとに置いた。」使徒の働き5章1.2節

教会は聖霊に満たされて力強く前身し、信者の数は男だけで五千人を超えていま
した。
弟子たちは毎日、宮で集まって礼拝し、家でも礼拝し、日々救われる人が起こさ
れました。
初代教会では土地や財産を売り払って、信者同士で共同生活していました。
これは決して強制されたものではなく、また救われるための条件でもありません!
聖霊に満たされた弟子たちが、古い今までの価値観から解放され、新しい福音の
価値観に従って自発的にしたことです。

このように弟子たちは神の国がどのようなものであるのかを、ことばと生き方を
通してこの世界に力強く表現していました。

しかしこの箇所を学ぶ時、私たちは気を付けなくてはならないことがあります。
それは表面に表れた形だけを真似て、本質を見失うことです。
これはこの箇所だけでなく、全ての聖書箇所を学ぶ時に注意しなければならない
ことです。

私有財産を禁止して、信者は共同生活をしなければならない!それが救われた者
の姿だ!
これはいのちのない宗教です。形から入り、形を強制する。本質は何かを見失っ
ています。

本質は何かを見失って、表面に見える形だけを強調する人、私はこういう人を宗
教に熱心な人と呼びます。宗教に熱心な人がエクレシア(教会)を本来 ある姿か
ら引き下げてしまうのです。

アナニヤとサッピラは宗教に熱心な人達でした。彼らは救われていたと思います。
もちろん本当に誰が救われているのかを知っておられるのは主なる神のみです。
しかし、残念なことはアナニヤとサッピラは聖霊には満たされていなかったこと
です。
なぜなら彼らは聖霊以外のものを願っていたからです。それは人からの賞賛です。

救われた人たちが、今まで一番大切だと思っていた世の中の財産、土地、名声。
しかし、キリストにある救いの素晴らしさを知った時、それらは大切な 物では
ないことが分かった。

「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえ
に、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエ
スを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っていま
す。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあく たと思っ
ています。」ピリピ3章7.8節

パウロも、救い、即ち真の神との出会い、心の深い部分での交流を取り戻す体験
によって、今まで大切にしていたものに価値を見いだせなくなったと告 白して
います。

子どもの頃、大切にしていたおもちゃの車、しかし大人になって本物の自動車を
持ち、運転するようになったらおもちゃの車は必要ありません。魅力も 未練も
感じません。
本物を知ったら、偽物やまがい物は必要ないのです。

アナニヤとサッピラは神さまの素晴らしさを知らなかったようです。
人を騙して得られる人からの称賛の方を喜んでいたからです。

アナニヤとサッピラのように、目に見えるものを追いかけるのを止めましょう。
クリスチャンらしさ、そのようなものは決して求めないで下さい!
あなたがキリストと毎日出会い、心に神の愛と聖霊が満ちているなら、それが神
の御心を生きていることであり、あなたらしさがそのまま神の栄光を表 すのです。
宗教的な偽善、演技、比較の価値観がエクレシア(教会)を滅ぼします。

パウロはイエス・キリストを知るなら、世の宝はチリやゴミのように思えると
言っています。好きな物を我慢し、つまらない退屈な宗教活動をしてくだ さい
とお願いしているのではありません。この世の全ての宝に比べられない神の素晴
らしさを知って欲しいのです!
その神の霊に心が満たされて欲しいのです!

【いのちのことばを、ことごとく語りなさい】

「使徒たちを捕え、留置場に入れた。ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、
彼らを連れ出し、『行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことば を、こと
ごとく語りなさい。』と言った。」使徒5章18-20節

アナニヤとサッピラの事件の後、教会は清められました。教会は再び本質を取り
戻したのです。教会はキリストの再臨の時まで未完成です。教会に不祥 事が起
こることは大変悲しく、避けたいことですが、問題の無い教会はありません!大
切なことは、問題から教訓を受けることです。絶えず本質は何か を求め、立ち
返ることです。

さてアナニヤとサッピラの事件の後、使徒たちの働きはさらに勢いを増しました。
しるしと不思議な業が起こされ、弟子たちの心はキリストによって一つにされま
した。
救われる人が大勢起こされ、病人が癒やされ、悪霊から人々は解放されました。

しかし、ここでまた教会に大きな困難が訪れます。サドカイ派と呼ばれる、神殿
を牛耳る祭司たちのグループが使徒たちに対して妬みを起こしたので す。

この当時、エクレシア(教会)には教会堂はありませんでした。何処に集まってい
たのでしょうか。ソロモンの廊と呼ばれる場所で集会を開いていたの です。こ
こはエルサレムの神殿の丘、城壁にそって回廊がありました。そこで集まって集
会を開いていたのです。
神社の境内ではありませんが、使徒たちは神殿の前の広場で集会を開いていました。
神殿とは本来はそういう場所でした。聖書が朗読され、勧めと励ましの説教が行
われる場所だったのです。ところが使徒たちを囲んで、あまりに大勢の 人が集
まってくる。
このまま行くと、信仰深い人たちは神殿での礼拝より、使徒たちの教えに従うよ
うになるのではないかと祭司たちは心配したようです。そうなると神殿 で利益
を得ている祭司たちは自分の収益が減る、彼らはこのことを一番心配したのです。
そこで使徒たちを無理やり捕らえ、彼らを抹殺しようと考えたのです。
使徒たちは再び捕らえられました。

しかし、何と天からの使い、天使が現われて牢屋にいた使徒たちを外に連れ出し
ました。
そして使徒たちに命じました。

「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさ
い。」20節

天の使いは使徒たちに「いのちのことばを、ことごとく語りなさい」と命じました。
ここが大切なポイントです!私たちが見失いがちな本質です。
天使は「奇跡を行いなさい」とか、「メンバーを増やしなさい」とか「大きな教
会堂を建てろ」とは命じませんでした。なぜなら、それらは一番大切なことを
行った結果にしか過ぎないのです。最も大切なことは「いのちのことばを語るこ
と」なのです!

あなたは、いのちのことばを語っていますか?
これが教会の使命、私たちイエスさまの弟子の一番の使命です!

【いのちのことばを体験する】

天使が「伝道しなさい」とは言わず、「いのちのことば」を語りなさいと言われ
ことに注目しましょう。キリスト教の宣伝をしなさいと天使は言ってい ないの
です!
宗教活動や布教しなさいと言っていないのです。いのちのことばです!
人を活かすことば、人の心を励まし、苦しみ、悩みから解放することばを語るの
です。
それは誰もが聞きたいことばのはずです!

伝道! 布教活動! 世の中の人は聞きたくない、クリスチャンも本音はやりた
くない。止めましょう! 人を宗教に勧誘するだけのセールス・トーク なら止
めましょう!
神が私たちに願っていることは「いのちのことば」をかたることです。

いのちのことばを語るには、まず自分自身が「いのちのことば」を体験していな
いくては語れません。自分が体験して、本当に良いもの!それは言われ なくて
も誰かに伝えたくなるものです。これがいのちの連鎖です!いのちあるものは必
ず成長し、発展する。
いのちがないから広がらない、伝わらないのです。

どう上手に福音を伝えるか、そのようなテクニックをいくら学び、使っても、ア
ナニヤとサッピラのような宗教的な人間しか集まらないでしょう。
福音を効果的に伝える方法も大切なのですが、一番大切なのは、あなたがいのち
のことばを体験すること、その喜び、その力に生かされていることで す。

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手
でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 ――このいのちが現わ
れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのち
を伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現 わされた永遠のいの
ちです。――
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私
たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父お よび御
子イエス・キリストとの交わりです。」第一ヨハネ1章1-3節

ヨハネは肉体をもって現れたイエスさまと三年半の間、行動を共にしていました。
ですから当然、いのちのことばであるイエスさまを見て、じっと見て、手で触り
もしました。だから伝えるのは難しくなかった、復活のイエスさまを見 ては、
もう黙っていることが出来なかったのです。

私たちは当然、イエス・キリストを見たことはありません。どうやって、いのち
のことばを伝えることが出来るのでしょう。
ヨハネは自分がいのちのことばを伝えるのは、「あなたがたも私たちと交わりを
持つようになるためです」と言っています。

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるな
ら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私た ちを
きよめます。
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちに
ありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正 しい方
ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」第
一ヨハネ1章7-9節

これは体験です!キリストが自分の罪のために死んだことを受け入れ、神が喜ば
れる人生を自分も歩むこと。それがいのちのことばを体験することでです。
キリストにあるいのちを体験し、いのちのことばであるキリストを証しましょう。