「わたしの恵みは、あなたに十分である」
聖書箇所:第二コリント12章7-10節

【パウロを苦しませた棘(トゲ)】

「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶるこ
とのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高 ぶるこ
とのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、こ
れを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いまし た。」Uコリ12章7.8節

第二コリント人への手紙は難解な手紙です。一読しただけでは理解は難しいです。
手紙を書いたパウロの心理状態がそのまま反映されている手紙です。
この手紙は苦しみの闇の中に、神の慰めが負けずに輝いています。
福音の真理が輝いている書なので、私たちの信仰のあり方が正され、力が与えら
れます。

パウロは肉体に一つの棘が与えられたと書いています。
棘というのは嫌なものです。棘の頭が見えなくて、しかし、中からジンジンと痛
む痛み。
そして忘れかけると、何かに触れ、再びビックと痛む、あの不快な痛みが棘です。
やがて棘の周りが膿んで、膿とともに出て行くのですが、棘が出るまで気が晴れ
ません。

パウロは抜くことが出来ない棘が与えられたと言うのですから、どんなに大変
だったか!
患部が何かに触れない限りは痛みはありません。しかし、何かの拍子で棘が痛み
を与える。開放されない痛みにパウロはずっと悩まされていたのです。

パウロを苦しめていた棘、それが一体何だったのかはハッキリと断定は出来ません。
パウロは重い眼病を患っており、視力がほとんどない状態だったようです。
この眼病が彼にとっては棘だったとも考えられますが、このコリント書を読む
と、それ以外にもパウロを苦しめていた棘になる問題があったようです。

第二コリント書のなかで、パウロに与えられた喜びを邪魔し、かき消そうとする
棘のような存在、それはパウロの使徒としての権威を疑い、否定しよう とする
者たちでした。
彼らは自分たちを「大使徒」と名乗り、パウロが建てたコリント教会を乗っ取ろ
うとするにせ使徒たちでした。(第二コリント11:13-15参照)
にせ使徒たちは、パウロの使徒性を否定し、パウロを徹底的に貶めようとしました。
そして自分たちがどれほどパウロより優れ、真性の使徒であるのかを自慢したの
です。
しかし、それらは全て上辺だけの自慢、何の実質も伴わないものでした。
なぜなら、偽使徒は教会と聖徒を生み出すための、何の苦しみもしていないから
です。

偽使徒の存在、パウロへの誹謗中傷は決してパウロの棘にはならなかったでしょう。
しかし、パウロを深く失望させ、落胆させたのは、パウロが自分のいのちを削っ
てまでも育て上げたコリントの信徒たちの一部が、偽使徒の偽りを受け 入れて
しまったことです。

彼らはにせ使徒の偽りを受け入れ、パウロの使徒性を疑い始めました。
にせ使徒はパウロがキリストに出会ったことが無いことを上げ、自分たちよりも
劣ることを主張していたようです。(偽使徒は、キリストから教えは受 けてい
たようです。)
霊的なものを見分けることの出来ない、上辺のことだけで人を見てしまう霊的な
幼子であったコリントの信徒たちは偽使徒たちを信用するようになりま す。

にせ使徒の存在と彼らの偽りの教え、それらがパウロにとっての棘だったのかも
しれません。抜き去りたくても、なかなか抜くことが出来ず、パウロを 苦しま
せました。
しかし、苦しみがパウロを祈りに導き、偉大な福音の真理に気づかせることにな
りました。

あなたの中にも刺のように痛みをもたらす問題があるかもしれません。
必死になって祈っても、一向に解決されない問題。
神がその苦しみを取り除いて下さらないのには、神さまの理由があるようです。

その苦しみを通して、私たちが霊的に強められ、福音の真理に目が開かれること
を神は願っておられます。神は私たちが霊的に成長することを願ってお られる
のです。

【わたしの恵みは、あなたに十分である】

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたし
の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたので す。です
から、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを
誇りましょう。9節」

苦しみのなかでパウロはキリストの語りかけを聞きます。
「わたしの恵みは、あなたに十分である」

祈りが失望、落胆に終わるか、それとも祈りが力となるか、それはこの福音の真
理に到達するかどうかに掛かっていると言えるでしょう。

神さまに取り除いて欲しい自分の弱さ、問題。いくら祈っても解決しない時、私
たちは神さまが自分を愛していないと神の愛を疑い、神に失望してしま う。
たしかにパウロも棘が抜かれるように三度祈りました。納得するまで祈ったのです。
しかし、棘は抜かれなかった。神はこの棘をも用いて、ご自分の栄光を表そうと
されたのです。

自分を苦しめる問題のために真剣に祈って下さい。
ある問題は神が祈りを聞いて、問題を解決に導き、痛みを取り去ってくださるで
しょう。しかし、いくら祈っても解決しない問題があるのなら、「わた しの恵
みは、あなたに十分である」と神が語られていることを覚えましょう。
その問題を通して、神が栄光を現されることを信じましょう。
その問題を通して、神はあなたを霊的に成長させたいのです。

神の恵みは、あなたに十分です!神の愛は決して変わることがありません。
問題の中に、神の十分な恵みを見出しましょう。

ここでミスター元気と呼ばれているボブ・ウィーランドさんの証を紹介したいと
思います。彼はスポーツが得意で、大学時代は野球で活躍し、卒業間 近、念願
の大リーグチームと契約交渉をするまでに至りました。しかし、そんなときベト
ナム戦争へ徴兵され、戦地で地雷を踏んでしまったのです。奇 跡的に一命は取
り留めたものの、下半身を失ってしまいました。入院中、最初はベッドから天上
を見上げ、「なぜ神は自分を見捨て、こんな不幸を自分 に与えたのか」と神を
恨むようなこともあったようですが、ある時彼は気づきました。「自分は見捨て
られたのではない!地雷を踏んだ自分を神は守 り、救ってくださったのだ!神
は私に何かをさせようとしている!」。帰国したとき、変わり果てた息子の姿を
見て落胆する両親にも彼は「僕は大丈 夫。ただ足がなくなっただけで何でもで
きる一人の人間だ」と逆に両親を励ましたそうです。
その後、彼は自分に出来ることは何かを祈り、考え、建てた計画を実行しまし
た。まず体育教師の資格を取り、体を鍛え、腕だけでアメリカ大陸横断に 挑戦
しました。
目標に向けて挑戦する姿を通して、人々に希望を与えたいと思ったからです。
4500キロを、3年半を掛けて完走しました。その間貧しい人たちのために募金を
集め、31万ドルもの金額を寄付しました。そして彼の挑戦する 姿、希望を失わ
ない姿に感銘を受けた人たち400人近くの人々が、彼の信じるイエス・キリスト
を信じ救われたそうです。

ボブさんも「わたしの恵みは、あなたに十分である」と語られるキリストの声を
聞いたのでしょう。彼は自分の弱さを通して働かれるキリストを証しま した。
彼が足を失わず、大リーガーとして活躍する人生を送っていたのなら、たしかに
それも素晴らしい人生ですが、人々の魂をキリストに導くためには用い られな
かったでしょう。
足を失うことは確かに痛く辛く、大変な出来事でしたが、キリストの十分な恵み
に気づき、彼は健康な時よりも人々を励まし、感動を与える人生を送っ ています。

パウロは「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇
りましょう」と言いました。ボブさんは正にこのみ言葉を生きていま す。
「わたしの恵みは、あなたに十分である」
聖書箇所:第二コリント12章7-10節

【パウロを苦しませた棘(トゲ)】

「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶるこ
とのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高 ぶるこ
とのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、こ
れを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いまし た。」Uコリ12章7.8節

第二コリント人への手紙は難解な手紙です。一読しただけでは理解は難しいです。
手紙を書いたパウロの心理状態がそのまま反映されている手紙です。
この手紙は苦しみの闇の中に、神の慰めが負けずに輝いています。
福音の真理が輝いている書なので、私たちの信仰のあり方が正され、力が与えら
れます。

パウロは肉体に一つの棘が与えられたと書いています。
棘というのは嫌なものです。棘の頭が見えなくて、しかし、中からジンジンと痛
む痛み。
そして忘れかけると、何かに触れ、再びビックと痛む、あの不快な痛みが棘です。
やがて棘の周りが膿んで、膿とともに出て行くのですが、棘が出るまで気が晴れ
ません。

パウロは抜くことが出来ない棘が与えられたと言うのですから、どんなに大変
だったか!
患部が何かに触れない限りは痛みはありません。しかし、何かの拍子で棘が痛み
を与える。開放されない痛みにパウロはずっと悩まされていたのです。

パウロを苦しめていた棘、それが一体何だったのかはハッキリと断定は出来ません。
パウロは重い眼病を患っており、視力がほとんどない状態だったようです。
この眼病が彼にとっては棘だったとも考えられますが、このコリント書を読む
と、それ以外にもパウロを苦しめていた棘になる問題があったようです。

第二コリント書のなかで、パウロに与えられた喜びを邪魔し、かき消そうとする
棘のような存在、それはパウロの使徒としての権威を疑い、否定しよう とする
者たちでした。
彼らは自分たちを「大使徒」と名乗り、パウロが建てたコリント教会を乗っ取ろ
うとするにせ使徒たちでした。(第二コリント11:13-15参照)
にせ使徒たちは、パウロの使徒性を否定し、パウロを徹底的に貶めようとしました。
そして自分たちがどれほどパウロより優れ、真性の使徒であるのかを自慢したの
です。
しかし、それらは全て上辺だけの自慢、何の実質も伴わないものでした。
なぜなら、偽使徒は教会と聖徒を生み出すための、何の苦しみもしていないから
です。

偽使徒の存在、パウロへの誹謗中傷は決してパウロの棘にはならなかったでしょう。
しかし、パウロを深く失望させ、落胆させたのは、パウロが自分のいのちを削っ
てまでも育て上げたコリントの信徒たちの一部が、偽使徒の偽りを受け 入れて
しまったことです。

彼らはにせ使徒の偽りを受け入れ、パウロの使徒性を疑い始めました。
にせ使徒はパウロがキリストに出会ったことが無いことを上げ、自分たちよりも
劣ることを主張していたようです。(偽使徒は、キリストから教えは受 けてい
たようです。)
霊的なものを見分けることの出来ない、上辺のことだけで人を見てしまう霊的な
幼子であったコリントの信徒たちは偽使徒たちを信用するようになりま す。

にせ使徒の存在と彼らの偽りの教え、それらがパウロにとっての棘だったのかも
しれません。抜き去りたくても、なかなか抜くことが出来ず、パウロを 苦しま
せました。
しかし、苦しみがパウロを祈りに導き、偉大な福音の真理に気づかせることにな
りました。

あなたの中にも刺のように痛みをもたらす問題があるかもしれません。
必死になって祈っても、一向に解決されない問題。
神がその苦しみを取り除いて下さらないのには、神さまの理由があるようです。

その苦しみを通して、私たちが霊的に強められ、福音の真理に目が開かれること
を神は願っておられます。神は私たちが霊的に成長することを願ってお られる
のです。

【わたしの恵みは、あなたに十分である】

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたし
の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたので す。です
から、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを
誇りましょう。9節」

苦しみのなかでパウロはキリストの語りかけを聞きます。
「わたしの恵みは、あなたに十分である」

祈りが失望、落胆に終わるか、それとも祈りが力となるか、それはこの福音の真
理に到達するかどうかに掛かっていると言えるでしょう。

神さまに取り除いて欲しい自分の弱さ、問題。いくら祈っても解決しない時、私
たちは神さまが自分を愛していないと神の愛を疑い、神に失望してしま う。
たしかにパウロも棘が抜かれるように三度祈りました。納得するまで祈ったのです。
しかし、棘は抜かれなかった。神はこの棘をも用いて、ご自分の栄光を表そうと
されたのです。

自分を苦しめる問題のために真剣に祈って下さい。
ある問題は神が祈りを聞いて、問題を解決に導き、痛みを取り去ってくださるで
しょう。しかし、いくら祈っても解決しない問題があるのなら、「わた しの恵
みは、あなたに十分である」と神が語られていることを覚えましょう。
その問題を通して、神が栄光を現されることを信じましょう。
その問題を通して、神はあなたを霊的に成長させたいのです。

神の恵みは、あなたに十分です!神の愛は決して変わることがありません。
問題の中に、神の十分な恵みを見出しましょう。

ここでミスター元気と呼ばれているボブ・ウィーランドさんの証を紹介したいと
思います。彼はスポーツが得意で、大学時代は野球で活躍し、卒業間 近、念願
の大リーグチームと契約交渉をするまでに至りました。しかし、そんなときベト
ナム戦争へ徴兵され、戦地で地雷を踏んでしまったのです。奇 跡的に一命は取
り留めたものの、下半身を失ってしまいました。入院中、最初はベッドから天上
を見上げ、「なぜ神は自分を見捨て、こんな不幸を自分 に与えたのか」と神を
恨むようなこともあったようですが、ある時彼は気づきました。「自分は見捨て
られたのではない!地雷を踏んだ自分を神は守 り、救ってくださったのだ!神
は私に何かをさせようとしている!」。帰国したとき、変わり果てた息子の姿を
見て落胆する両親にも彼は「僕は大丈 夫。ただ足がなくなっただけで何でもで
きる一人の人間だ」と逆に両親を励ましたそうです。
その後、彼は自分に出来ることは何かを祈り、考え、建てた計画を実行しまし
た。まず体育教師の資格を取り、体を鍛え、腕だけでアメリカ大陸横断に 挑戦
しました。
目標に向けて挑戦する姿を通して、人々に希望を与えたいと思ったからです。
4500キロを、3年半を掛けて完走しました。その間貧しい人たちのために募金を
集め、31万ドルもの金額を寄付しました。そして彼の挑戦する 姿、希望を失わ
ない姿に感銘を受けた人たち400人近くの人々が、彼の信じるイエス・キリスト
を信じ救われたそうです。

ボブさんも「わたしの恵みは、あなたに十分である」と語られるキリストの声を
聞いたのでしょう。彼は自分の弱さを通して働かれるキリストを証しま した。
彼が足を失わず、大リーガーとして活躍する人生を送っていたのなら、たしかに
それも素晴らしい人生ですが、人々の魂をキリストに導くためには用い られな
かったでしょう。
足を失うことは確かに痛く辛く、大変な出来事でしたが、キリストの十分な恵み
に気づき、彼は健康な時よりも人々を励まし、感動を与える人生を送っ ています。

パウロは「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇
りましょう」と言いました。ボブさんは正にこのみ言葉を生きていま す。