「感謝の心と祈り」
聖書箇所:ルカ福音書17:11-19、詩篇103:1-5

「そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通ら
れた。
ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に
立って、
声を張り上げて、『イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。』」と言った。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさ
い。」彼らは行く途中でいやされた。そのうちのひとりは、自分のいやさ れた
ことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もと
にひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。そこでイエスは 言われた。
『十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために
戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないの か。』それからその
人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直した
のです。』」ルカ17:11-19

【私たちの心を豊かにするもの】

私たちはいま、人類史上で最も物質的に豊かな時代に生きています。
しかし残念ながら、心に豊かさを実感している人、自分の人生に心から満足して
いる人はそれほど多くはいないように思われます。
豊かさを実感するため、人生を心から満足するために、私たちには何が必要で
しょう。

ある心理学者がこのような実験をしたそうです。ある街の一地域を選び、一ヶ月
間、その地域の家に毎日100ドルを配り、その結果、人の心がどのよ うに変化し
たかを調べました。
実験最初の日は、住民たちは本当にお金を受け取って良いのかと怪訝な顔をしな
がらもお金を受け取りました。3日経つと100ドルを家の前に置いて 行く人の話
で町中が持ちきりになりました。2週間も経つと、玄関の前に立ってお金が来る
のを待っている人が現れ、3週間経つとお金を受け取ること が特別なことでなく
なり、最後の4週目になると、お金を受け取ることが当たり前のことになりまし
た。実験の一ヶ月が過ぎ、心理学者はお金を配らず に町を一周してみました。
すると住民はとても不快な顔をして、「どうして今日はお金を置いて行かないの
だ」と学者を問い詰めるようになりました。

住民たちは理由もなく与えられたお金を、しだいに当然与えられるものと考える
ようになり、感謝するどころか、与えられなくなると不平、不満で怒る 人もい
ました。
これは、私たちの心を良く表しているのではないでしょうか。

物が十分になかった時代に生きていた人たちは、物が豊かになることが幸せだと
思った。
物質的に満たされることは良いことなのですが、残念ながら私たちの心は満足や
感謝ではなく「もっと欲しい、もっと良い物を!」と幸せを物質に依存 するよ
うになり、それらが得られないと不平・不満を漏らすようになります。
ここで聖書を見てみましょう。
ある時、イエスさまは十人のらい病に苦しむ人々を癒されました。当時、らい病
は不治の病と考えられ、人々からひどい差別を受ける病気でした。その 病が癒
されたのです!
癒された者たちはどれほど喜んだことでしょう。しかし、自分を癒して下さった
イエスさまに感謝するためにやって来たのはその中のたった一人でし た。

神さまが与えて下さった恵みが、あっという間に当たり前、当然になり、感謝す
るためにわざわざ引き返すのが面倒になる。とても残念な心の態度で す。この
ような心の態度を持っていたら、どんなに素晴らしい体験も、どんなに貴重な物
も、当たり前、当然になって、もっと良い物を求める、いつま でも満たされな
い心に自分自身が苦しめられるでしょう。

しかし、自分の病が癒され、イエスさまに感謝し、神さまを讃えるために戻って
きた人に対してイエスさまはこのように言われました。

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。(ルカ
17:19)」

「直した」という言葉は、「救った」とも訳されることばが用いられています。
この男性はらい病が癒されただけではなかったのです。彼はもっと大切な心と霊
の救いまで受け取ったのです。

なぜなら、彼の信仰が正しかったからです。
神に恵みを感謝し、神を讃えること、これは信仰の一つの表現です。
そして救われたとは、神さまと正しい関係を回復するという意味も含まれます。

神さまに感謝するとき、私たちの心は癒され、救われます。
人に対しても感謝の心を持つ時、あらゆる壊れた関係が癒され、救われていきます。

感謝する時、私たちの心は無いものではなく、すでに与えられている恵みを覚
え、満たされていきます。正しい関係を通し、神からも、人からもいのち と喜
びの交流が始まります。
信仰者とは感謝する人です。信仰するとは、感謝することなのです。

私たちの心を豊かにするもの、物質ももちろん大切ですが、それよりももっと大
切なのは私たちの心の態度にあります。

どんなに素晴らしいものを手にしても、心の態度が正しくないなら、私たちの心
は直ぐにそれらに慣れ、当たり前になり、もっと欲しいと不平・不満で いっぱ
いになるからです。
感謝することです!感謝が心に充足感を与え、すでに持っているもので心を満た
します。
感謝は神と人との関係を正しくし、いのちで満たします。


【感謝することは、あなたの選択】

それゆえ、詩篇の作者は私たちに積極的に神に感謝し、神を賛美することを勧め
ます。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる
御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くし てくだ
さったことを何一つ忘れるな。」詩篇103篇1.2節

「わがたましいよ。主をほめたたえよ」と、ダビデは自分の心に命じていること
に注目して下さい。「感謝したくなったら、神に感謝せよ」と言っては いません。
気分や感情で感謝するのではありません。感謝は心の選択です!
感謝することをいつも選択するのです。

【あなたは何を感謝するのか】

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのい
のちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ」詩篇 103編3.4節

感謝することを選びましょうと言っても、感謝することが思いつかないと言われ
る方がいらっしゃるかもしれません。またいろいろな不幸が重なって、 とても
現状を感謝できないという方もいらっしゃるでしょう。

しかし、あなたの心の目をイエスさまに向けるなら、そこから感謝が溢れます。

イエス・キリストはあなたの全ての罪と咎を十字架で背負われ、あなたの身代わ
りに罰を受けられました。あなたを苦しめる病、呪い、全てを背負って 下さっ
たのです!
キリストは私たちの身代わりに死なれ、しかし三日目に罪と死に勝利し復活され
ました。
そしてイエスの救いを信じる私たちに復活のいのちを与えて下さるのです。
イエス・キリストの十字架の死と、勝利の復活、それは感謝と賛美の尽きぬ源です。

イエス・キリストの十字架の身代わりの死と、復活の勝利を見上げ、神に感謝と
賛美を捧げましょう。そして、これが礼拝です。

【感謝すればするほど、喜びといのちに満たされる】

「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新し
くなる。」詩篇103:5

感謝は決して一度だけのものではありません。神の恵みに対して感謝すれば感謝
するほど、その恵みを十分に受け取ることが出来るのです。
聖書は決して一度だけ読んで、満足してしまう、安っぽいマンガや小説と違います。
読めば読むほど、新しい感動と発見があり、読む度に心が清められ、高められます。
神を賛美し、感謝するのも同じです。感謝すればするほど、増々、神の恵みを新
しく知ることが出来、深く心が満たされるのです。

イエス・キリストの恵みを覚え、賛美し、感謝する時、神は「あなたの一生を良
いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる」の です!

自分の人生がマンネリ化して、疲れを覚えている人は、自分の人生を振り返り、
良い思い出を見つけ、神に感謝して下さい。ここまで生かされている感 謝を神
に捧げて下さい。
必ず新しい力と喜びがあなたの心の深いところから湧き上がってきます。

また信仰がマンネリ化して、神さまに対して新鮮さを覚えない人がいるなら、個
人礼拝の時を見なおして下さい。イエスの十字架を見上げ、あなたのた めに死
んで下さり、復活されたイエスさまに感謝を捧げましょう!そこから新しい喜び
が湧き上がり、信仰、希望と愛に満たされるでしょう。感謝は選 択です!信仰
の選択です。

【あなたの家族に、隣人に感謝を】

感謝は神さまとの関係を正しくし、いのちで満たすだけではありません。
あなたとあなたの隣人との関係も変えていきます。

私たちは救われていても、依然として、この世にいる間は罪との戦いがあります。
罪は私たちの心を死と滅びに向かわせる力を持っています。
信仰を働かせないと、引力のように働く罪によって心は引き下げられてしまいます。

家族に対し、職場や学校のクラスメイトに対して信仰を働かせましょう。
感謝の選択をしましょう。

あなたの妻、夫、子どもたち、職場の同僚、学校の友人の良い所を見つけ、神に
感謝しましょう。また直接、本人にも感謝を表しましょう。

ありがとう、ごめんなさい、この二つのことばが人間関係をいつも良好に保つの
です。
罪深い生まれながらの性質は、隣人の悪いところを大きく見させ、不平と不満で
あなたの心を満たし、あらゆる人間関係を壊そうとします。
信仰を働かせ、感謝を選びましょう。