「ハンナの祈り」
聖書箇所:第一サムエル記1章

これから七回に渡って、祈りについて聖書から分かち合いたいと思います。
弟子たちはイエスさまの祈りを見、聞くうちに、自分たちの祈りと根本的に何か
が異なることに気づきました。そしてイエスさまにお願いしたのです。
「私たちにも祈りを教えて下さい。(ルカ11:1)」
私たちも聖書から祈りを学びましょう。そして力強い祈りを主に捧げるものとな
りましょ。

まず旧約聖書から「ハンナの祈り」を学びます。
ハンナの祈りを取り上げるのは、彼女の祈りによって、イスラエルが建て上げら
れたからです。この世的には何の力もない女性でしたが、彼女の優れた 祈りに
よって、サムエルが生まれました。サムエルは最後の士師であり、預言者、祭司
でした。
サムエルによってイスラエルに二人の王が誕生したのです。サムエルはイスラエ
ル初代の王サウルと、イスラエル王国を確立したダビデに油を注いで王 とした
人物です。
そしてハンナの祈りが、サムエルを生み出したのです。
地位も権力もなかったハンナですが、彼女の祈りが預言者を産み、国を変えたの
です。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります(ヤコブ5:16)」とある通りです。

ハンナの祈りを学び、聖い祈りを主に捧げましょう!
あなた自身が変えられ、家族が変えられ、職場が、学校が、地域、国が変えられ
る力強い祈りを主に捧げましょう。

【ハンナの痛み】

ハンナの祈りはやがて国を変えるほど大きな影響力を持った祈りですが、この祈
りが捧げられる前に、ハンナの心に大きな痛みがあったことを覚えま しょう。

彼女の心の痛みとは、子供が生まれないことでした。

当時のイスラエルでは、女性の大切な役割は健康な子供を産み育てることでした。
子供がいない女性は軽蔑され、神に呪われているとさえ考えられていました。
誤解と偏見によって、ハンナは人しての尊厳を傷つけられていたのです。

そして追い打ちを掛けるように、ハンナを苦しめるものが、もう一人の妻ペニン
ナの存在でした。旧約には残念ながら一夫多妻制をとる家族が出てきま す。し
かし、これは決して一夫多妻を神が認めているのではありません。その反対で
す。一夫多妻の家族で、幸せな家族は一つも存在しないからです。 ハンナとペ
ニンナはライバルのように、一つ屋根の下、互いを比べ合い、怒りと憎しみとで
心を悩ませていました。
しかし、ハンナは圧倒的に不利でした。いくらハンナが美しく、知恵があり、能
力があり、家柄が良くても、たくさんの子供を生み育てているペニンナ の前で
は、肩身が狭かった。
子供を生むと言うこと、いのちに関することは努力ではどうしようも出来ないこ
とです。
健康で幸せそうなペニンナとその子どもたちを見る度に、ハンナは打ちのめさ
れ、絶望し、苦しめられていました。

毎年、信仰の篤いエルカナの一家はシロにあった神の宮に犠牲を捧げ、礼拝する
ために出かけて行きました。本来ならば神の御前に感謝を捧げ、一年の 無事を
家族で喜ぶ時でしたが、ハンナにとってはこの喜びの時が一番の苦痛の時でした。
神に和解の犠牲を捧げた後、犠牲の肉を分けるのですが、その肉は家族の分に応
じて本来分けられるのですが、ハンナにもペニンナにも同量が与えられ ました。
夫エルカナはハンナを愛していましたから、子供のいないハンナにも、子供の沢
山いるペニンナと同じ量の肉を分けてあげたのです。ところがそうする と、面
白く無いのはペニンナです。なぜ子供をたくさん生み育てている私と、子供のい
ないハンナが同じ扱いを受けなくてはならないのか、嫉妬からハ ンナを苦しめ
るような言動が繰り返され、ハンナは自分が惨めで仕方がなくなるのでした。

夫の優しい配慮も、慰めのことばも、決してハンナの痛みと苦しみを和らげるこ
とはありませんでした。

人間には、薬では決して癒せない痛みがあります。
人の愛情でも、優しい言葉でも決して癒せない痛みがあるのです。
だから私たちには、神が必要です。その痛みは、神に出会うまで癒されないから
です。

ハンナの胎を閉じておられたのは神であると聖書には記されています。
不妊の問題でハンナが痛み、苦しまれるのを神は許していたというのです。
なぜ神はハンナの胎を閉じ、彼女に痛みと苦しみの人生を歩ませられたのでしょう。

聖書には祈りに関する命令、勧めが繰り返し書かれています。
私たちの自己中心で罪深い性質は祈ることを喜ばないからです。祈りを嫌うのです。

神が私たちに痛み、苦しみを赦されるのは、痛みと苦しみが心の奥深い部分、霊
を目覚めさせ、私たちを神に向かわせることを神はご存知だからです。

人生に何の痛みも苦しみもなく、快楽で自分を満たしている時、霊は眠っています。
人生の根源的な問いを忘れてしまいます。
自分は何のために生きているのか?生きる目的は何か?神が与えた使命は何か?

人生の不条理、痛み、苦しみが、時に眠ってた、その人の奥深い霊を覚醒させ、
神に向かわせるのです。痛み、苦しみが私たちを祈りに、神に向かわせ るのです。

【ハンナの祈り】

「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立
てて言った。『万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧み て、私を
心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいます
なら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その 子の頭に、かみ
そりを当てません。(Tサムエル1:10.11)』」

祈りは決して痛み、苦しみを取り去るために神を動かすための手段ではありません。
祈りは神を動かし、自分に不利、自分を苦しめる状況を変えるための手段ではあ
りません。
多くのクリスチャンが、この誤解をしているために、祈りに失望しています。

意地悪なペニンナの心を変えてもらおうと、ハンナがどんなに泣き叫んで祈って
も、ペニンナの心は変わらなかったでしょう。

「祈っても、神は聞いてくれなかった。神は状況を変えてくれなかった。
ペニンナの意地悪を止めてくれなかった。ペニンナよりも多くの子供をくれな
かった。
神は痛みを取り除き、祝福と幸いをくれなかった。祈っても無駄だ!」と。

祈りは隣人の意地悪な心を変え、神を動かすための手段ではありません!
祈りは神ではなく、神の御心を知り、自分の心を変えていただくためにあるのです。

神を変え、状況を変えるために、何か超能力を得るかのように祈るクリスチャ
ン、また自分を痛め、苦しめ、その苦しみと引き換えに願い事を叶えても らお
うとする人がいます。これらはイエスさまが異邦人の祈りと呼ばれた祈りです。

変えていただくのは、神さまでも、状況でもない、私たちの心なのです!

私たちの霊が眠りこけ、心が神から離れ、虚しいものを追い掛け、本来、神が計
画された人生から離れようとする時、神は私たちの霊が滅びることを決 して願
われません。
神は人を通し、あらゆる状況を通して、私たちが神から離れつつあることを示さ
れます。
それでも私たちが気づかず、心を変えないなら、神は痛み、苦しみをも許され
て、私たちの霊が目覚め、本来の生き方に進むことを願われるのです。

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であ
なたを試みた。イザヤ48:10」

イスラエルの王の霊的父となるサムエルを生むことになるハンナ、神はハンナに
大切な使命を与えておられました。彼女がこの大切な使命を果たす器と して整
えられるために、痛みと悩みの炉をもって彼女を精錬されたのです。


もしハンナが何の苦労もなく子供を生んでいたなら、きっとペニンナと子供の数
を比べ、やがて子どもたちの出世を比べと、子供は彼女たちのつまらな いエゴ
を満たす道具にしかならなかったでしょう。そこからは霊的指導者サムエルは生
まれなかったのです。

ハンナが苦しみ、悩みの炉で精錬され、自分のエゴを満たすための子供という自
己中心の願いを捨て、生まれてくる子供を神に捧げ、神の栄光のために 捧げる
という彼女の本来の使命、心に立ち返ることが出来たのです。

だから皆さんに問いたいことがあります。
あなたの心の痛みは何ですか。あなたが心に覚える苦しみは何でしょう。
あなたは心の痛みを何かで誤魔化そうとしていませんか。
心の痛みは、あなたの心が神から離れていることを教えようとしているのかもし
れません。

あなたの心の願いが、神を喜ばせ、隣人を愛する願いかどうか吟味しましょう。
あなたの心が、自分の心を喜ばせるためだけに向かっているなら、その痛みは無
くならないかもしれません。

あなたは神を変えようと、神と格闘してはいませんか。祈りに失望していませんか。
あなたが今、悩みの炉に置かれているなら、真剣に神に向きあい、祈りましょう。
自分を神から引き離す、全ての自己中心的な願いを、神に注ぎ出して捨てましょう。
清められた願いを心から主に捧げられるまで、神に向きあいましょう。

【平安のこたえ】

「エリは答えて言った。『安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの
願ったその願いをかなえてくださるように。』彼女は、『はしためが、あ なた
のご好意にあずかることができますように。』と言った。それからこの女は帰っ
て食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。(T サム1:17.18)」

祈りが確かに神に聞かれたという手応え、確信は、平安を通して与えられます。
自分勝手な思いを捨て、神の御心を自分の願いとして祈れるように心が変えられ
ると、神から平安の答えが与えられます。

ハンナの心は祈りを通して、平安に変えられました。彼女の顔つきまで変わりま
した。
自分勝手な思いを捨て、御心に適う願いを自分の祈りとしたからです。
彼女を取り巻く環境、状況は変わっていませんでした。しかし、全てが変わった
のです。
ハンナの心が変えられたからです。
しかし、ハンナの変えられた心が、周りの環境、状況をも新しく作り変えていく
のです。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださ
るということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」Tヨハ 5:14
「ハンナの祈り」
聖書箇所:第一サムエル記1章

これから七回に渡って、祈りについて聖書から分かち合いたいと思います。
弟子たちはイエスさまの祈りを見、聞くうちに、自分たちの祈りと根本的に何か
が異なることに気づきました。そしてイエスさまにお願いしたのです。
「私たちにも祈りを教えて下さい。(ルカ11:1)」
私たちも聖書から祈りを学びましょう。そして力強い祈りを主に捧げるものとな
りましょ。

まず旧約聖書から「ハンナの祈り」を学びます。
ハンナの祈りを取り上げるのは、彼女の祈りによって、イスラエルが建て上げら
れたからです。この世的には何の力もない女性でしたが、彼女の優れた 祈りに
よって、サムエルが生まれました。サムエルは最後の士師であり、預言者、祭司
でした。
サムエルによってイスラエルに二人の王が誕生したのです。サムエルはイスラエ
ル初代の王サウルと、イスラエル王国を確立したダビデに油を注いで王 とした
人物です。
そしてハンナの祈りが、サムエルを生み出したのです。
地位も権力もなかったハンナですが、彼女の祈りが預言者を産み、国を変えたの
です。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります(ヤコブ5:16)」とある通りです。

ハンナの祈りを学び、聖い祈りを主に捧げましょう!
あなた自身が変えられ、家族が変えられ、職場が、学校が、地域、国が変えられ
る力強い祈りを主に捧げましょう。

【ハンナの痛み】

ハンナの祈りはやがて国を変えるほど大きな影響力を持った祈りですが、この祈
りが捧げられる前に、ハンナの心に大きな痛みがあったことを覚えま しょう。

彼女の心の痛みとは、子供が生まれないことでした。

当時のイスラエルでは、女性の大切な役割は健康な子供を産み育てることでした。
子供がいない女性は軽蔑され、神に呪われているとさえ考えられていました。
誤解と偏見によって、ハンナは人しての尊厳を傷つけられていたのです。

そして追い打ちを掛けるように、ハンナを苦しめるものが、もう一人の妻ペニン
ナの存在でした。旧約には残念ながら一夫多妻制をとる家族が出てきま す。し
かし、これは決して一夫多妻を神が認めているのではありません。その反対で
す。一夫多妻の家族で、幸せな家族は一つも存在しないからです。 ハンナとペ
ニンナはライバルのように、一つ屋根の下、互いを比べ合い、怒りと憎しみとで
心を悩ませていました。
しかし、ハンナは圧倒的に不利でした。いくらハンナが美しく、知恵があり、能
力があり、家柄が良くても、たくさんの子供を生み育てているペニンナ の前で
は、肩身が狭かった。
子供を生むと言うこと、いのちに関することは努力ではどうしようも出来ないこ
とです。
健康で幸せそうなペニンナとその子どもたちを見る度に、ハンナは打ちのめさ
れ、絶望し、苦しめられていました。

毎年、信仰の篤いエルカナの一家はシロにあった神の宮に犠牲を捧げ、礼拝する
ために出かけて行きました。本来ならば神の御前に感謝を捧げ、一年の 無事を
家族で喜ぶ時でしたが、ハンナにとってはこの喜びの時が一番の苦痛の時でした。
神に和解の犠牲を捧げた後、犠牲の肉を分けるのですが、その肉は家族の分に応
じて本来分けられるのですが、ハンナにもペニンナにも同量が与えられ ました。
夫エルカナはハンナを愛していましたから、子供のいないハンナにも、子供の沢
山いるペニンナと同じ量の肉を分けてあげたのです。ところがそうする と、面
白く無いのはペニンナです。なぜ子供をたくさん生み育てている私と、子供のい
ないハンナが同じ扱いを受けなくてはならないのか、嫉妬からハ ンナを苦しめ
るような言動が繰り返され、ハンナは自分が惨めで仕方がなくなるのでした。

夫の優しい配慮も、慰めのことばも、決してハンナの痛みと苦しみを和らげるこ
とはありませんでした。

人間には、薬では決して癒せない痛みがあります。
人の愛情でも、優しい言葉でも決して癒せない痛みがあるのです。
だから私たちには、神が必要です。その痛みは、神に出会うまで癒されないから
です。

ハンナの胎を閉じておられたのは神であると聖書には記されています。
不妊の問題でハンナが痛み、苦しまれるのを神は許していたというのです。
なぜ神はハンナの胎を閉じ、彼女に痛みと苦しみの人生を歩ませられたのでしょう。

聖書には祈りに関する命令、勧めが繰り返し書かれています。
私たちの自己中心で罪深い性質は祈ることを喜ばないからです。祈りを嫌うのです。

神が私たちに痛み、苦しみを赦されるのは、痛みと苦しみが心の奥深い部分、霊
を目覚めさせ、私たちを神に向かわせることを神はご存知だからです。

人生に何の痛みも苦しみもなく、快楽で自分を満たしている時、霊は眠っています。
人生の根源的な問いを忘れてしまいます。
自分は何のために生きているのか?生きる目的は何か?神が与えた使命は何か?

人生の不条理、痛み、苦しみが、時に眠ってた、その人の奥深い霊を覚醒させ、
神に向かわせるのです。痛み、苦しみが私たちを祈りに、神に向かわせ るのです。

【ハンナの祈り】

「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立
てて言った。『万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧み て、私を
心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいます
なら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その 子の頭に、かみ
そりを当てません。(Tサムエル1:10.11)』」

祈りは決して痛み、苦しみを取り去るために神を動かすための手段ではありません。
祈りは神を動かし、自分に不利、自分を苦しめる状況を変えるための手段ではあ
りません。
多くのクリスチャンが、この誤解をしているために、祈りに失望しています。

意地悪なペニンナの心を変えてもらおうと、ハンナがどんなに泣き叫んで祈って
も、ペニンナの心は変わらなかったでしょう。

「祈っても、神は聞いてくれなかった。神は状況を変えてくれなかった。
ペニンナの意地悪を止めてくれなかった。ペニンナよりも多くの子供をくれな
かった。
神は痛みを取り除き、祝福と幸いをくれなかった。祈っても無駄だ!」と。

祈りは隣人の意地悪な心を変え、神を動かすための手段ではありません!
祈りは神ではなく、神の御心を知り、自分の心を変えていただくためにあるのです。

神を変え、状況を変えるために、何か超能力を得るかのように祈るクリスチャ
ン、また自分を痛め、苦しめ、その苦しみと引き換えに願い事を叶えても らお
うとする人がいます。これらはイエスさまが異邦人の祈りと呼ばれた祈りです。

変えていただくのは、神さまでも、状況でもない、私たちの心なのです!

私たちの霊が眠りこけ、心が神から離れ、虚しいものを追い掛け、本来、神が計
画された人生から離れようとする時、神は私たちの霊が滅びることを決 して願
われません。
神は人を通し、あらゆる状況を通して、私たちが神から離れつつあることを示さ
れます。
それでも私たちが気づかず、心を変えないなら、神は痛み、苦しみをも許され
て、私たちの霊が目覚め、本来の生き方に進むことを願われるのです。

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であ
なたを試みた。イザヤ48:10」

イスラエルの王の霊的父となるサムエルを生むことになるハンナ、神はハンナに
大切な使命を与えておられました。彼女がこの大切な使命を果たす器と して整
えられるために、痛みと悩みの炉をもって彼女を精錬されたのです。


もしハンナが何の苦労もなく子供を生んでいたなら、きっとペニンナと子供の数
を比べ、やがて子どもたちの出世を比べと、子供は彼女たちのつまらな いエゴ
を満たす道具にしかならなかったでしょう。そこからは霊的指導者サムエルは生
まれなかったのです。

ハンナが苦しみ、悩みの炉で精錬され、自分のエゴを満たすための子供という自
己中心の願いを捨て、生まれてくる子供を神に捧げ、神の栄光のために 捧げる
という彼女の本来の使命、心に立ち返ることが出来たのです。

だから皆さんに問いたいことがあります。
あなたの心の痛みは何ですか。あなたが心に覚える苦しみは何でしょう。
あなたは心の痛みを何かで誤魔化そうとしていませんか。
心の痛みは、あなたの心が神から離れていることを教えようとしているのかもし
れません。

あなたの心の願いが、神を喜ばせ、隣人を愛する願いかどうか吟味しましょう。
あなたの心が、自分の心を喜ばせるためだけに向かっているなら、その痛みは無
くならないかもしれません。

あなたは神を変えようと、神と格闘してはいませんか。祈りに失望していませんか。
あなたが今、悩みの炉に置かれているなら、真剣に神に向きあい、祈りましょう。
自分を神から引き離す、全ての自己中心的な願いを、神に注ぎ出して捨てましょう。
清められた願いを心から主に捧げられるまで、神に向きあいましょう。

【平安のこたえ】

「エリは答えて言った。『安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの
願ったその願いをかなえてくださるように。』彼女は、『はしためが、あ なた
のご好意にあずかることができますように。』と言った。それからこの女は帰っ
て食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。(T サム1:17.18)」

祈りが確かに神に聞かれたという手応え、確信は、平安を通して与えられます。
自分勝手な思いを捨て、神の御心を自分の願いとして祈れるように心が変えられ
ると、神から平安の答えが与えられます。

ハンナの心は祈りを通して、平安に変えられました。彼女の顔つきまで変わりま
した。
自分勝手な思いを捨て、御心に適う願いを自分の祈りとしたからです。
彼女を取り巻く環境、状況は変わっていませんでした。しかし、全てが変わった
のです。
ハンナの心が変えられたからです。
しかし、ハンナの変えられた心が、周りの環境、状況をも新しく作り変えていく
のです。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださ
るということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」Tヨハ 5:14