「コルネリオの救い」
聖書箇所:使徒の働き10章

「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」使徒10章4節

コルネリオは神を愛する経験な人でした。彼はユダヤ教に改宗したローマ人だと
考えられます。彼はローマ人でありながら、聖書(旧約聖書)の教えに 触れ、唯
一の神を信じるようになったのでしょう。彼は神を愛し、祈りと愛の実践を欠か
しませんでした。

天の父もコルネリオを愛していました。コルネリオにさらに深いご自身の愛、イ
エスさまの十字架の愛を示し、彼に救いの喜びと、罪からの解放を与え たいと
願われました。

天の父は、誰が神を求め、真理を求めているかをご存知です。
神は全ての人の心を知られる方です。
神は誰であっても、神を求め、真理を求める者には、ご自身を示して下さるのです。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理
解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)」

すでに神と出会い、救いを体験した人も、日々、神を求め続けましょう。
更に深い神との出会い、さらに真実な神との出会いを求め続けましょう。

そして私たちの周りに、まだクリスチャンではなくてもコルネリオのように神を
求めている人がいることを覚えましょう。今は他の宗教を信仰している かもし
れない。また、とても信仰とは関係のない生き方をしているかもしれない。しか
し、外見では人の心は分かりません。何かの切っ掛けから、突 然、真の神を求
め始める人もいます。
神はこれらの人に、私たちを遣わしたいと願っています。

神を知りたいと願っても、自ら教会に来る人は僅かです。キリスト教が浸透して
いない日本では、自ら教会に足を運ぶというのは難しいことだと思いま す。
天の父は、すでに救われている私たちを、その人のもとに遣わしたいのです。
私たちはどうしたら、神を求める人達と出会うことが出来るのでしょう。
どのようにしたら、真理を求める人達のもとに遣わされることが出来るのでしょう。

【幻を通して変えられたペテロ】

コルネリオのもとには使徒ペテロが遣われましたが、コルネリオの使いが来る前
に、ペテロは不思議な幻を見ます。神は幻を通してペテロの頑なな心を 変えよ
うとされたのです。

ペテロの頑なな心とは、外国人に対する差別でした。当時のユダヤ人が持ってい
た選民意識です。神が救いに選ばれたのはユダヤ民族だけで、外国人は 救われ
ないとさえ考える者もいました。ピリポはエチオピアの宦官にバプテスマを授
け、パウロも異邦人の使徒として召されていましたが、当時の教会 のほとんど
はユダヤ人であり、外国人に対して強い偏見を持つ者がいたのです。ペテロも救
われ、聖霊に満たされていましたが、未だに差別意識から開 放されていなかっ
たのです。

しかし、神は幻を通してペテロに語られ、ペテロの頑な心を変えられました。

「彼らにこう言った。『ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいった
り、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私 に、
どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを
示してくださいました。
それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。』」使徒10章28.29節

ペテロの頑なな心、人種差別を取り除いたのは神からの幻でありましたが、彼が
幻を見たのは、彼が祈っている時でした。
祈りの中で、神はペテロの癒されなければならない思い、取り扱わなくてはなら
ない頑なな心に触れてくださったのです。

私たちの中にも、隣人を愛する愛を妨げる頑なな心、偏見、差別はないでしょうか。
この世の価値観が私たちの心を頑なにし、愛を妨げてはいないでしょうか。
また福音を伝えることに否定的な思いにさせるものはないでしょうか。

正直に自分の心を見る時、苦手な人、好きになれない人、このようなタイプの人
には何を言っても無駄であろうと思う諦めがあります。

ペテロのように、祈りの中で神と出会い、聖書の教え、ことばを黙想することに
よって、愛と福音を分かち合う妨げを取り除いていただきましょう。
神を求める人がハッキリと見えるように、妨げと偏見の覆いを心から取り除いて
いただきましょう。

【そこでペテロは、口を開いてこう言った】

コルネリオは親族と親しい友人を招き、福音が語られるのを待っていました。
ペテロも、この状況が神の導きであることがハッキリと分かり、恵みの福音を伝
えました。

ペテロは「イエス・キリストはすべての人の主です」と宣言して福音を分かちあ
いました。
キリストのなさった御業、十字架の死と復活。キリストは生けるものと死んだも
のとの裁き主であり、主イエスの名によって罪の赦しが受けられること を分か
りやすく語りました。

信仰を持って聞いていたコルネリオとその家族、友人には救いの印として聖霊の
顕著な現れが起こりました。これは異邦人の救いを否定する者たちが反 論でき
ない確かな証拠となりました。
私たちもペテロのように、救いを求める人達に対し、福音をしっかりと、分かり
やすく伝えることが求められています。

救いを求める人達の前で、何を語って良いのかが分からなかったら残念です。
神学的、哲学的なスピーチが求められているのではありません。
あなたを救った福音を伝えるのです!あなたを変えた福音を伝えるのです!

イエス・キリストこそ神が遣わされた救い主であること。
イエス・キリストは神の独り子であり、神ご自身であられること。
私たちには罪があることを認め、私たちの罪のために、キリストは十字架で身代
わりに罰を受け、死なれ、三日目に復活されたこと。キリストの十字架 の死は
自分の罪の身代わりのためであると信じるなら、その人は罪赦され、神との関係
が回復し、永遠のいのちを得るのです。

「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつで
も弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、ま た、正し
い良心をもって弁明しなさい。」第一ペテロ3章15.16節
「コルネリオの救い」
聖書箇所:使徒の働き10章

「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」使徒10章4節

コルネリオは神を愛する経験な人でした。彼はユダヤ教に改宗したローマ人だと
考えられます。彼はローマ人でありながら、聖書(旧約聖書)の教えに 触れ、唯
一の神を信じるようになったのでしょう。彼は神を愛し、祈りと愛の実践を欠か
しませんでした。

天の父もコルネリオを愛していました。コルネリオにさらに深いご自身の愛、イ
エスさまの十字架の愛を示し、彼に救いの喜びと、罪からの解放を与え たいと
願われました。

天の父は、誰が神を求め、真理を求めているかをご存知です。
神は全ての人の心を知られる方です。
神は誰であっても、神を求め、真理を求める者には、ご自身を示して下さるのです。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理
解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)」

すでに神と出会い、救いを体験した人も、日々、神を求め続けましょう。
更に深い神との出会い、さらに真実な神との出会いを求め続けましょう。

そして私たちの周りに、まだクリスチャンではなくてもコルネリオのように神を
求めている人がいることを覚えましょう。今は他の宗教を信仰している かもし
れない。また、とても信仰とは関係のない生き方をしているかもしれない。しか
し、外見では人の心は分かりません。何かの切っ掛けから、突 然、真の神を求
め始める人もいます。
神はこれらの人に、私たちを遣わしたいと願っています。

神を知りたいと願っても、自ら教会に来る人は僅かです。キリスト教が浸透して
いない日本では、自ら教会に足を運ぶというのは難しいことだと思いま す。
天の父は、すでに救われている私たちを、その人のもとに遣わしたいのです。
私たちはどうしたら、神を求める人達と出会うことが出来るのでしょう。
どのようにしたら、真理を求める人達のもとに遣わされることが出来るのでしょう。

【幻を通して変えられたペテロ】

コルネリオのもとには使徒ペテロが遣われましたが、コルネリオの使いが来る前
に、ペテロは不思議な幻を見ます。神は幻を通してペテロの頑なな心を 変えよ
うとされたのです。

ペテロの頑なな心とは、外国人に対する差別でした。当時のユダヤ人が持ってい
た選民意識です。神が救いに選ばれたのはユダヤ民族だけで、外国人は 救われ
ないとさえ考える者もいました。ピリポはエチオピアの宦官にバプテスマを授
け、パウロも異邦人の使徒として召されていましたが、当時の教会 のほとんど
はユダヤ人であり、外国人に対して強い偏見を持つ者がいたのです。ペテロも救
われ、聖霊に満たされていましたが、未だに差別意識から開 放されていなかっ
たのです。

しかし、神は幻を通してペテロに語られ、ペテロの頑な心を変えられました。

「彼らにこう言った。『ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいった
り、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私 に、
どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを
示してくださいました。
それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。』」使徒10章28.29節

ペテロの頑なな心、人種差別を取り除いたのは神からの幻でありましたが、彼が
幻を見たのは、彼が祈っている時でした。
祈りの中で、神はペテロの癒されなければならない思い、取り扱わなくてはなら
ない頑なな心に触れてくださったのです。

私たちの中にも、隣人を愛する愛を妨げる頑なな心、偏見、差別はないでしょうか。
この世の価値観が私たちの心を頑なにし、愛を妨げてはいないでしょうか。
また福音を伝えることに否定的な思いにさせるものはないでしょうか。

正直に自分の心を見る時、苦手な人、好きになれない人、このようなタイプの人
には何を言っても無駄であろうと思う諦めがあります。

ペテロのように、祈りの中で神と出会い、聖書の教え、ことばを黙想することに
よって、愛と福音を分かち合う妨げを取り除いていただきましょう。
神を求める人がハッキリと見えるように、妨げと偏見の覆いを心から取り除いて
いただきましょう。

【そこでペテロは、口を開いてこう言った】

コルネリオは親族と親しい友人を招き、福音が語られるのを待っていました。
ペテロも、この状況が神の導きであることがハッキリと分かり、恵みの福音を伝
えました。

ペテロは「イエス・キリストはすべての人の主です」と宣言して福音を分かちあ
いました。
キリストのなさった御業、十字架の死と復活。キリストは生けるものと死んだも
のとの裁き主であり、主イエスの名によって罪の赦しが受けられること を分か
りやすく語りました。

信仰を持って聞いていたコルネリオとその家族、友人には救いの印として聖霊の
顕著な現れが起こりました。これは異邦人の救いを否定する者たちが反 論でき
ない確かな証拠となりました。
私たちもペテロのように、救いを求める人達に対し、福音をしっかりと、分かり
やすく伝えることが求められています。

救いを求める人達の前で、何を語って良いのかが分からなかったら残念です。
神学的、哲学的なスピーチが求められているのではありません。
あなたを救った福音を伝えるのです!あなたを変えた福音を伝えるのです!

イエス・キリストこそ神が遣わされた救い主であること。
イエス・キリストは神の独り子であり、神ご自身であられること。
私たちには罪があることを認め、私たちの罪のために、キリストは十字架で身代
わりに罰を受け、死なれ、三日目に復活されたこと。キリストの十字架 の死は
自分の罪の身代わりのためであると信じるなら、その人は罪赦され、神との関係
が回復し、永遠のいのちを得るのです。

「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつで
も弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、ま た、正し
い良心をもって弁明しなさい。」第一ペテロ3章15.16節