「聖霊に導かれた伝道者ピリポ」

【DNAのあるクリスチャン】

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」使徒8章4節

ペンテコステの日、聖霊のバプテスマを受けて教会は誕生し、成長を続けました。
初代教会を取り巻く環境は厳しいものでしたが、それらをバネにして教会は成長
しました。なぜなら教会、即ち一人ひとりのクリスチャンの中にDNA があったか
らです!

ステパノの殉教から大迫害が起こり、エルサレムの教会を解散させてしまいました。
男だけで五千人になっていた信徒たちは、エルサレムの外へと追放されたのです。
ここで!DNAのあるクリスチャンと、そうでない者との違いが明確になると思い
ます。
初代教会はユダヤ、サマリヤ地方へと散らされながらも、福音を伝えたのです!
散らされながらも、各地で細胞増殖を繰り返して成長していったのです。
今まではエルサレムにしかなかった教会が、更に広範囲へと拡大したのです。

もし私たちが同じ状況に置かれたらどうなるでしょうか? 考えてみましょう。
牧師がいなくなっても、船橋を追い出されても、さらに拡大、増殖できるでしょ
うか。
私たちは初代教会のような、散らされても、リーダーを失っても、拡大、増殖す
る教会を目指して行きたいのです。それぞれがDNAをもつキリストの 弟子を目指
したいのです。
私は皆さんが、キリストのDNAを持つ弟子となるように、皆さんに仕えたいのです。

牧師を失っても、船橋を追い出されても、拡大、増殖するキリストの弟子となる
には何が必要でしょうか。弟子としてのDNAとは具体的には何でしょ うか。

○ 一対一の弟子づくりの関係で成長する(導かれた人が、人を導くことができる)
○ 自分が救われ、変えられた証を明確にする。(それを伝えられるようにする)
○ 福音を正しく伝えられる。(人々を神へと導く橋)
○ 悔い改めと救いの決心に導く祈り
○ セル・グループに属し、賜物を用いて神の家族に仕える
○ 日曜礼拝、日々のディボーション(個人礼拝)で教えと導きを受け、恵みを証
しする

以上六つの要点を上げました。これらのDNAが皆さんのなかにしっかりと養われ
る時、皆さんは優れたキリストの弟子であり、迫害や困難が起きて も、バネに
して教会を成長させる者になるでしょう。

教会とは、自分以外の誰かではありません。自分を含めた私たちです。
もし、皆さんが何かの事情でたった一人のクリスチャンになっても、増殖し、拡
大できるように、キリストの弟子としてのDNAを保って下さい。
【聖霊に導かれた伝道者ピリポ】

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピ
リポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の 語るこ
とに耳を傾けた。
汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大
ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に 大きな
喜びが起こった。」使徒の働き8章5-8節

ピリポは12弟子のピリポではなく、ステパノと一緒に執事に選ばれたピリポです。
ピリポは偉大な宣教の働きをしました。サマリヤ人に救いと解放をもたらしたの
です。
イエスさまの後を引き継ぎ、彼はその働きを更に拡大しました。
初代教会ではステパノやピリポのような、特別な教育や訓練を受けていない人た
ちが、聖霊によって大きく用いられたことが記されています。

神学教育を受けることも大切です、そのような機会がある人は進んで受けて下さい。
しかし、もっと大切なのはキリストの弟子としてDNAを持ち、聖霊に導かれるこ
とです!

それぞれの弟子には、それぞれ特徴というものがあると言えますが、ピリポの特
徴、それは聖霊の導きに敏感であったと言えるでしょう。

「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エル
サレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果ててい
る。)』」使徒8章26節

「御霊がピリポに『近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。』と言われ
た。」29節

「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれか
ら後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはア ゾトに
現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」39.40節

ピリポを用いて偉大な救いの働きを拡大させていたのは神ご自身であります。
神の聖霊がピリポを導いてサマリヤ、そしてエチオピアの救いに道を開いたのです!

パウロはこう言っています。
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。ロマ8章14節」

イエス・キリストを救い主として信じ、救われたなら、あなたは神の子供です!
聖霊は必ずあなたを導いて、神の栄光ある働きをさせるのです。

さて、それでは、どうすれば聖霊の導きに敏感になれるのでしょうか。
聖霊の導きとは、どのように知ることができるのでしょうか。
@ 神のみことば(聖書)を心に蓄えること。

神のみことば(聖書)をしっかりと心に蓄えることが大切です。
聖書は神の人格の表れです。聖書に親しむことによって、神の心に近づくことが
できます。天の父なる神が、何を喜ばれ、何を悲しまれるのか。神は何 を願わ
れるのかを知るのです。聖霊は聖書のことばを持って、私たちを導かれます。私
たちの判断を支えてくださいます。

A 神のみこころに従いたいと願う。

聖書を知っていても、それに従いたいという願いがなければ、ただの知識に終わ
ります。
神を喜ばせたい、神のみこころを行いたいと願うことが大切です。

B WWJD(What would Jesus do?) イエスさまだったら何をするだろうと考える。

自分が置かれている状況で、もしイエスさまだったら、このような時に何をする
かを考える習慣を身につけて下さい。イエスさまのように考え、イエス さまの
ように感じ、イエスさまのように行動する、これが聖霊に導かれている人の特徴
です!

C 天の視点から物事を考える。

視点を地上に置くなら、今日何を食べるか、明日は何が起こるか、日常の雑事や
心配で直ぐに心がいっぱいになります。もちろん私たちは地上に住んで いるの
で、しっかりと足を地につけて、日々の責任を果たさなければなりません。
しかし、私たちはすでに世に勝った勝利者イエスと共に天の王座に座らせて頂い
ていることを忘れてはなりません。(エペソ2章6節)

地上の視点で人生を眺めるなら、短い人生で、どれだけ自分を楽しませるか、そ
れが優先順位を決めるでしょう。しかし、天の視点で地上の人生を眺め るな
ら、地上人生の価値が変わります。地上の短い人生は、天での永遠の人生をどこ
で過ごすか決めるためにあります。天に持っていくことの出来ない 虚しいもの
にではなく、天に持っていくことできる永遠のものに自分の人生を費やそうと、
心から思えるのです。

いま、天のお父さんを喜ばせるために何ができるだろう、そのように思いなが
ら、聖霊の導きを求めて歩む時、主は豊かにあなたを導いて永遠に残る実 を結
ばさせて下さいます。

ピリポのように聖霊に導かれ、新しい一週間を過ごしましょう!
今週は、特に精霊に導かれることを覚えながら歩んで下さい。
主があなたの人生に新しいことを成して下さいますように。


【和解と赦しの必要性】に聖書箇所8章14-24節

ピリポの伝道を通して、サマリヤの人々は救われバプテスマを受けました。
しかし、不思議で難解な記述があります。それは16節の「彼らは主イエスの御名
によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下って おられな
かったからである。」です。

福音を信じるだけでは不十分なのでしょうか?

そして、次の箇所も難解とされる箇所です。
「ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。(17)」

ペテロとヨハネが手を置いて初めて、サマリヤの人々は聖霊を受けたのです。

この箇所を理解するのは、注意が必要です。
なぜなら、この箇所を魔術師シモンのように解釈して、イエスさまの名前で洗礼
を受けるだけでは不十分であり、特別な先生の祈りがなければ聖霊を受 けられ
ないとする教えている人々がいるからです。

聖霊は決して特別な牧師や、自分を使徒と自称する人々から祈ってもらわなけれ
ば受けられないものではありません。それは魔術師シモンのような誤っ た解釈
です。

それでは、何故サマリヤの人々はバプテスマを受けただけでは聖霊を受けなかっ
たのでしょう。そして、エルサレムから来たペテロとヨハネが祈ると聖 霊を受
けたのでしょう。

私たちはサマリヤ人とユダヤ人の特殊な関係について知らなければなりません。
サマリヤ人とユダヤ人の間には長年、人種的な差別と敵意がありました。
サマリヤ人は自分たちが本当のイスラエル人だと主張していたのです。
エルサレムのユダヤ人も、自分たちこそ、正当なユダヤ人であると主張していま
した。
彼らの間には憎しみと敵意があったのです!

しかし福音を信じることを通して、両者に和解が訪れました!
エルサレムから来たペテロとヨハネを自分たちの霊的な指導者として受け入れた
のです。
手を置いて祈る按手の祈りは、その霊的指導に服従することを意味します。
旧約時代では解決しなかった人種問題が福音によって解決したのです。
両者が和解し、サマリヤ人が謙ってペテロとヨハネの指導に従った時、聖霊はサ
マリヤの人々に下ったのです。

憎しみと赦さない心、これは今日も聖霊の働きを妨げます。
福音を信じ、そして心にある全ての敵意を主に告白し、捨て去りましょう。