「主イエス・キリストの昇天」
聖書箇所:マタイ28章16-20節、使徒1章3-14節

イエスさまは私たちに救いの道を開かれました。
私たちは初めの祖先アダムとエバから神に背を向け、滅びの道を進みました。
誰もが死を恐れます。死んだ後には希望がなく、永遠の滅びしかないからです。
神のもとに戻ろうと努力しても、神のもとに帰ることができません。なぜなら、
罪が神と私たちの間に隔ての壁となり、超えられない谷となって妨げているか
らです。
宗教の橋、道徳や善行の橋を掛けようとしても、神の元には届きません。
私たちの側から神の元に帰ることは出来ないのです。
しかし、憐れみ豊かな神は、神の側から私たちへと橋を掛けてくださった。
それがイエス・キリスト、唯一神へと至る道、救いの道です。

イエスさまは、私たちのすべての罪を身代わりに十字架で背負い、身代わりに罰
と死を受けられました。キリストの流された血によって、私たちの罪は 覆わ
れ、赦されたのです。
キリストは私たちを滅びに縛り付けていた罪と死に勝利して復活されました!
誰でもイエスを神が遣わした救い主キリストとして信じるなら救われるのです。
イエス・キリストは十字架の死と復活を通して、救いの道となられました。
イエス・キリストを信じる者は誰でも救われ、キリストを通して神の新しいいの
ちを受けるのです。

イエス・キリストは救いを完成し、復活されてから四十日間に渡り、弟子たちに
現れて、ご自身が確かに復活されたことを示し、大切な命令を弟子たち に与え
られました。
その大切な命令の一つ目が大宣教命令として知られている命令です。

【あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい】

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地
においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたが たは
行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名に
よってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいた すべての
ことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつ
も、あなたがたとともにいます。』」マタイ28:18-20

大宣教命令はマタイ、マルコ、ルカの福音書に書かれています。
今日はマタイ福音書に書かれてある大宣教命令を分かちあいます。
ここでは具体的に三つの命令があります。
あらゆる国の人々を弟子とすること。バプテスマを授けること。主の教えを守ら
せること。この三つの命令が書かれています。
初代教会は長い間、この三つの命令を固く守っていました。
しかしキリスト教がローマの国教になり、教会の堕落が徐々に始まると、教会で
守られるのはバプテスマを授けることと、儀式としての礼拝(説教な し)を守る
だけになりました。
しかし、プロテスタントの宗教改革を経て、主の教えを守ることは回復しました。
しかし「あらゆる国の人々を弟子としなさい」の命令は依然として回復していま
せん。

バプテスマを授けること、聖書の教えを分かりやすく説明し、それを守らせるこ
と、これはプロテスタント教会が熱心に続けていることです。しかし弟 子とす
ることに関しては、多くの教会が無関心、またはこのような命令があることすら
気がついていません。

私たちPAZキリスト宣教団に属するすべてのエクレシア(教会)は、この弟子づく
りこそ、教会の基盤であると捉え、弟子づくりを熱心に進めていこうとしてい
ます。

私たちはキリスト教信者ではなく、イエス・キリストの弟子として召されている
のです。

つい最近までのプロテスタント教会は教会成長に一番関心がありました。
どれだけ一地域教会が大きくなるか、メガチャーチを目指して様々な取り組みを
しました。牧師は人々を教会に集めるために、あらゆる努力をしまし た。
その結果、一部のカリスマ性のある牧師の教会だけが成功しました。
そこでは聞いていて楽しい説教が語られ、プロのミュージシャンによる賛美、ゴ
スペル、ダンスが披露され、見ていて楽しい、聞いていて面白い、劇場 型の教
会が造られていったのです。しかし問題があります。それは信徒が受け身である
ことです。
キリストの弟子とされていないことです。

楽しい話、面白い話、満足させる賛美を奏でる教会に人々は殺到する。やがてそ
れに飽きるとまた別の自分を満足させる教会に移動する。チャーチホッパーと
呼ばれる人たちも登場してきました。何が問題なのでしょうか。それは受け身で
あり、弟子でないことです。

キリストの愛と赦しについての感動するメッセージを聞く。自分は赦されている
と感謝する。これは素晴らしいことです。しかし、ここで止まっていて はなら
ない!
赦しを知り、自分と自分の隣人を赦すこと、これが私たちの真の成長なのです!

しかし、み言葉の実践となるとなかなか難しさを覚えるのが私たちです。
止めなければならない具体的な罪があっても、ダラダラと罪に妥協してしまう。
進んでやるべき良い行動が分かっていても、なかなか手を付けられない。
一人きりの信仰で成長できる人は一人もいません!

「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」箴 27:17

私たちは自分の問題、弱さを正直に分かちあい、励ましと慰め、聖書からのアド
バイスを得られる関係、成長のための責任ある関係が必要なのです。こ れが弟
子づくりです。
多くのクリスチャンが自分を隠し、自分の問題を心の闇に隠し、蓋をしてしまっ
ている。教会のみんなの前では、「大丈夫です、問題ありません!」とは言う
が、それは「大丈夫です、うまく隠しています」という意味で使っている人が少
なくない。

悪魔・サタンは暗闇に住む権利があります。闇を抱えることは、自ら悪魔・サタ
ンの束縛を受けていることになるのです。悪魔・サタンの束縛とは、神に向
かって進む力が奪われるということです。悪魔・サタンは神に進もうとする思い
にいつでもブレーキを掛けます。

もう一つ悪魔・サタンの束縛は、自分を責め、自分の価値を引き下げる否定的な
ことばを私たちの霊に投げ込むことです。

私たちは地上にいる間は、誰でもが不完全です。ペテロやパウロでさえ弱さがあ
りました。
私たちの弱さ、私たちの抱えている問題、課題が悪いのではありません!
それに対する私たちの態度が大切なのです。
私たちが弱さを隠し、問題を隠すなら、そこを足がかりとして悪魔・サタンの束
縛を許してしまう。

しかし、私たちが自分の弱さ、問題を信仰の忠実な兄弟姉妹に対して打ち明ける
のなら、私たちの弱さ、問題は神の力が現れる神との出会いの場に変えられる
のです!

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたし
の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。です
から、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを
誇りましょう。Uコリ 12:9」

イエスさまの弟子とは、自分の弱さ問題を隠すのでなく、主の恵みと憐れみの力
を受けるために信頼出来る兄弟・姉妹に分かち合う関係です。兄弟・姉 妹の信
仰の成長のために、キリストの愛をもって仕える関係が弟子作りです。

「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主
の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈り
は、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしそ
の人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですからあなた がたは、互
いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈
りは働くと、大きな力があります。」ヤコブ 5:14-16節

ヤコブは義人の祈りは働くと、大きな力があると言っています。
ヤコブがいう義人とは誰のことですか。旧約聖書のエリヤのことですか。
ここでは義人とは教会の長老たちを指しています。
当時の弟子づくりがしっかりと行われていた初代教会では、長老たちの祈りは大
きな力があり、癒しの力が働いたのだと考えられます。それでは、初代 教会の
長老たちは罪がなく、弱さがなく、完全だったのでしょうか?そうではありませ
ん。やはり私たちと同じように、弱さがあり、問題を抱えていた と考えられます。
それなのに何故、義人であり、彼らの祈りには癒しと力があったのでしょう。
初代教会の長老たちは、自分の弱さ、罪を告白し、神の憐れみと力を受けていた
のです。

教会はキリストの体、頭は主イエス・キリストです。教会には上下関係はありま
せん。
身分の差や違いはありません!皆、神の家族、兄弟姉妹です。しかし、秩序はあ
ります。
頭は首で体に継っています。腕は肩で体に継っており、体を支える背骨があります。
教会の中には神から与えられた霊的な賜物、働きの違い、責任の違いがあります。

弟子づくりも同じです。私自身もティム・ヒューバー牧師から弟子づくりの指導
を受けています。ティム牧師はPAZ教団の理事長のジェフ・ルービッ ク師から弟
子づくりの指導を受けています。ジェフ師もまたPAZ教団の理事から弟子づくり
の指導を受けています。
このように霊的なつながりがあるのです。

このような霊的なつながりをエイブ・ヒューバー牧師は霊的な傘と呼んでいます。
これはエペソ6章に書いてある悪魔・サタンの打ち込む火矢から私たちを守るも
のです。目には見えないのですが、このつながりこそキリストの体なの です!
キリストの体の中にしっかりと結び付けられる時、キリストの勝利の中に守ら
れ、実を結ぶ命がつながりを通して私たちの中に流れるのです!

牧師は自分を見張って下さる牧師から守りを受け、その牧師は教会のメンバーに
対して、弟子づくりをする。そして弟子づくりを指導されている信徒 が、また
次の信徒をキリストの弟子として弟子作りしていく。

教会は弟子づくりの関係を通して、それぞれがキリストの体の中に編み込まれて
いくのです。この一致の中に祝福と守り、命があるのです。

主イエス・キリストが天に帰られる時、弟子たちに与えられた第一の命令が弟子
作りです。私たちは弟子づくりに加わることで、自分の弱さ、問題を 覆ってい
た闇が光となり、神と出会い、憐れみと力を受けるのです!そして、弟子づくり
を受けるあなたが成長し、他の弟子を導くものに成長します。 このキリストの
体を建て上げるために、皆さんは一人ひとり召されているのです。みことばに従
い、進んで主の弟子となりましょう。