「イエスさまの弟子となったペテロ(3)」
聖書箇所:ルカ福音書22章31-34節、54-62節

本日の聖書箇所から、イエスさまの弟子として歩むための教訓、私たちの救い主
であり、師であられるイエスさまの愛と恵みを覚えましょう。

【ふるいに掛けられるシモン(ペテロ)】

「シモン、シモン、見なさい」とイエスさまはペテロに注意を与えています。
悪魔、サタンがシモンをふるいに掛けることを神に願い出て聞き届けられたと言
うのです。

イエスさまは私たちにも「見なさい!」と注意を与えられています。
何を見るのでしょう。それは、私たちも霊的な戦いの中にあることに注意するこ
とです。
この箇所をシモン・ペテロだけの試練の物語として読まないようにしましょう。
悪魔・サタンは人が神に近づかないように邪魔し、また神の民を神から引き離そ
うと、誘惑してくるのです。これが霊的な戦いです。この霊的戦いに盲 目に
なってはいけません。

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着
けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配
者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、 邪悪な
日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことがで
きるように、神のすべての武具をとりなさい。エペソ 6:10-13」

イエスさまですら悪魔の試みを受けられました。
イエスさまの弟子たちである私たちも当然、悪魔に試みられる日が来ます。

悪魔・サタンが私たちを試みる目的は、ヨハネ10章10節に書かれています。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」

しかし悪魔・サタンは一度救われた者の救いを取り消す力は持っていません。
悪魔・サタンの持つ死の力は主イエスの復活によって無効にされたからです!
しかし悪魔・サタンはなおも持ち続けている偽りの力によって、クリスチャンを
騙し、地上人生の目的を神の栄光を表すことから、地上の儚い朽ちるも のを追
いかけることに変え、霊的な優先順位を乱し、クリスチャンから主に仕えること
の喜びを奪おうと戦いを挑んでいるのです。
どれだけ多くのクリスチャンが、この世の朽ち行く名誉や金のために争い、いが
み合い、憎しみ合って、自らの救いの喜びを手放しているでしょう。
「シモン、シモン、見なさい!」と注意を換気する主のみことばに自らを省みま
しょう。
【なぜ神は悪魔・サタンの試みを許されたのか】

「サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられ
ました。」とありますが、なぜ神は悪魔・サタンの試みを許可されたの でしょ
うか。

悪魔・サタンも神の被造物です。悪魔・サタンは堕落した天使たちと考えられて
います。
神に仕える御使だったのですが、自分に与えられた能力に高ぶり、堕落したのです。
悪魔・サタンは神に仕える御使でしたから、力も能力もあります。
しかし、神の許可なしには人間に害を与えたり、誘惑することは出来ないのです。
ですから、悪魔・サタンの試みに対して絶えず警戒することは正しいのですが、
悪魔・サタンを恐れる必要はありません!
私たちが神に忠実に仕えるなら、悪魔の方が私たちを恐れて逃げ出すのです。

悪魔・サタンの試練・誘惑を神が許される理由@:私たちの成長のため

しかし、なぜ神は悪魔・サタンの試みに許可を与えられるのでしょうか。
神はシモン・ペテロを、また私たちを愛していないのでしょうか。
もちろん神はペテロも、私たちも愛しておられます。神の愛は変わることがあり
ません。
神が私たちに試練を許されるのは、試練を通して私たちを成長させるためです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思い
なさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからで
す。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一 つ欠け
たところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」ヤコブ1章2-4節

信仰の試練は、私たちが正しい態度を持ち続けるなら、私たちを成長を遂げた完
全な者に鍛えあげるのです。私たちが成長するためには訓練が必要なこ とを天
の父は知っておられるのです。頭のなかだけで、愛の人になるのは簡単です。し
かし、実際に難しい人、迷惑を掛ける人に出会い、その人達を赦 し、愛すると
き、私たちは本当の愛の人に成長するのです。神が悪魔・サタンの試練さえ許さ
れるのは、私たちが成長するためです。

悪魔・サタンの試練・誘惑を神が許される理由A:信仰が清められるため

「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであっ
て、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るもので あるこ
とがわかります。」
第一ペテロ1章7節
金を高温で溶かすと、金は比重が重いので不純物が浮かび上がって来ます。
神が試練を許されるのも同じ理由です。試練の時、私たちの自己中心、弱さ、古
い生活を愛する闇の部分が浮かび上がってくるのです。それらを捨てる ことを
主は願われます。
主は私たちの信仰が純粋になるため、試練を許されるのです。
【イエスさまを否認したペテロ】

「しかしペテロは、『あなたの言うことは私にはわかりません。』と言った。そ
れといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り 向いて
ペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度
わたしを知らないと言う。』と言われた主のおことばを思い出し た。 彼は外に
出て激しく泣いた。』ルカ22章60-62節

ペテロはイエスさまを三度も知らないと、主を否認しました。
ペテロはなぜサタンの誘惑に陥り、失望と落胆へと転落していったのでしょう。
主の警告のことばに答えがあると思います。

イエスさまはペテロに「シモン、シモン」と呼ばれました。
「シモン」はペテロの元々の名で、「ペテロ」がイエスさまが名付けられた新し
い名です。
マタイ福音書では、ペテロがイエスさまをキリストと告白した時、「あなたはペ
テロ(岩)である」と言われました。教会を建て上げる土台の岩(複数 の岩)の
一つです。
イエスさまをキリストと信じ、揺るがない信仰を持ったシモンをペテロと呼ばれ
たのです。
しかし、ここではペテロを昔の名前で「シモン、シモン」と二度も呼びかけてい
ます。
これは読み込みかも知れませんが、イエスさまは、この時のペテロが信仰ではな
く、古い性質、神のみことばと力ではなく、自分の力にだけ頼って不安 定であ
ることを警告されたのかもしれません。

ルカ福音書には書かれていませんが、他の福音書にはこの時のシモン・ペテロの
信仰状態、精神状態がどのようであったか分かることばが書かれていま す。

「すると、ペテロがイエスに言った。『たとい全部の者がつまずいても、私はつ
まずきません。』」マルコ14:29

どんな時でもイエスさま信じるなら、私たちは揺るがない土台の上にいます。
しかし自分の力、能力に頼り高慢になっているなら、悪魔・サタンに足をすくわ
れます。イエスさまのことばよりも自分の判断を優先し、自分の力をた よるク
リスチャンは悪魔・サタンの格好の獲物にされます。

私たちは固く信仰に立つことが求められています。
それでは固く信仰に立つとはどういうことでしょうか。
この時のシモン・ペテロも自分には強い信仰があると確信していたでしょう。
しかし、それは自分の力に頼る信仰、何か頑張って信じ続ける信仰です。
私は皆さまに、揺らぐことのない信仰の、二つの側面を分かち合いたいと思います。

@暗闇のない信仰

一つ目は、暗闇のない信仰です。悪魔・サタンは暗闇に住みます。

「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで
暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。」第二ペテロ2:4

神のみことばに明確に反抗するとき、罪だと分かりながら犯し続ける時、私たち
の心には闇ができます。悪魔・サタンがそこから否定的な力を私たちに 及ぼす
のです。喜び、感謝、希望、いのちの力を吸い込むブラック・ホールが出来上が
るのです。

確かに私たちは弱く、不完全です。神のみことばを、神の戒めをすべて守ること
はできません。しかしその時は神の恵みと憐れみに頼ることができま す。自分
の罪、弱さを神に告白し、赦していただくのです。神の聖霊をその真中にお迎え
し、罪に勝つ力、復活の命を受け、少しずつ罪に勝利する者に 変えられるので
す。これが神と共に歩む信仰です。
罪を弱さのために犯しても、不完全であっても、私たちは光の中を歩むのです。

「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んで
いるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはい ませ
ん。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるな
ら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪か ら私たちを
きよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私
たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表 わすなら、神は真
実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださ
います。」Tヨハネ1章6-9節

A関係の信仰

私は神さまには何も隠している罪、弱さはないと仰る方がいるでしょう。
素晴らしいことです。しかし、本当に闇がないなら、あなたは神さまとだけでは
なく、人間関係においても闇のない関係になるはずです。

神を本当に愛する人は、隣人を愛するように、神と透明な人間関係を持つなら
ば、必ず、人間関係においても裏表のない、隠している弱さ、罪のない関 係を
持つはずです。
信頼出来る人、自分を導いてくれる霊的な指導者に対して、自分の罪、弱さを隠
さず、謙って祈りと助けを求めることが光の中を歩むことなのです。

神は直接、私たちを助け、導くこともあります。しかし、ほとんどの場合、人間
関係を通して私たちを養い、導かれるのです。健全な霊的生活のために は、自
分を助け、指導してくれる人と透明な関係を築き上げることです。
主にある兄弟姉妹の助けを受けて、健全な信仰生活を歩むとき、私たちは暗やみ
の力、また、悪魔・サタンのご馳走である高慢の罪から開放されます。

【あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました】

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈り
ました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさ い。」
ルカ22章32節

イエスさまはシモン・ペテロの強さも弱さも、過去も未来もすべてを知った上で
弟子とされました。イエスさまは私たちの強さも弱さも、過去も未来も すべて
を知った上で受け入れて下さったのです。

イエスさまは私たちの弱さ、失敗、罪をご覧になっても、私たちに失望すること
はありません。それらを全部知った上で、私たちを選んで下さったので す。

イエスさまはペテロが落ち込まないように祈られました。
イエスさまは私たちのためにも、同じように祈られています。
イエスさまの愛は変わることがなく、その恵みはいつまでも続くのです。

このことから、人を成長させるのは弱さを受け入れ、祈ることだと分かるのです。
もちろん罪を認めること、容認することではありません。
愛を持って真理を語ること、みことばの真理に歩むことに励まし続けることが大
切です。しかし、叱ったり、過去の過ちを責めることは決して人の成長 になり
ません。

私たちは暗闇のない信仰、関係の信仰に互いに励まし合って進むことが大切です。

【だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい】

失敗しない人、弱さのない完璧な人が神に用いられるのではありません。
大切なのは、失敗や弱さを通して何を受けたのか、何を学んだのかです!
ペテロは彼の失敗を通して、自分の力の限界を知り、それを覆い尽くす神の愛と
恵みを知りました。だから彼は人の弱さを赦し、人を励まし導く偉大な 指導者
として立てられたのです。

自分の過去を見て、自分は神に相応しくない、用いられないと嘆いてはいけません。
その過去を、失敗を神の恵みのもとに差し出しましょう。
パウロは神の力は私たちの弱さのうちに現れると言っています。
あなたの過去の傷が恵みによって覆われるとき、それは同じ弱さを抱える人の励
ましとなり、力となります。

受け入れられたこと、慰められたことがない過去の傷は、自分を害し、毒を吐き
続けます。
受け入れられ、慰められ、主に癒された傷は、自分も隣人も励まし、力づける宝
に変わるのです。