「イエスさまの弟子となったペテロ(2)」
聖書箇所マタイ福音書14章22-33節

本日の箇所から、イエスさまの弟子として歩むうえで大切な教訓、また師である
イエスさまの愛と恵みを覚えましょう。

【祈るために一人で山に登られた】

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向
こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰したあと で、祈
るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおら
れた。」22.23節

イエスさまは私たちの信仰の模範であり、目標です。
イエスさまは力強く神の国を述べ伝え、しるしと不思議を行われました。
その力の源はどこにあるのでしょうか。祈りです!天のお父さんとの親しい関係
です。

私たちは人からの称賛、承認を生きる力として求めやすいものです。
しかし称賛を得るために努力する生き方は、時に自分を偽り、却って疲れるもの
です。
イエスさまは五千人にパンを分かち合う奇跡を行われても、人々からの称賛を受
けませんでした。それらは変わりやすいからです。
信仰とは、励ましと慰めの源を他人ではなく、自分のうちに確かに持つことです。

いつまでも変わらない愛と恵み、慰めと励ましは父なる神との親しい交わりから
来ます。
どんなに忙しくても、いや忙しいときはなおさら神さまとの時間を作るようにし
ましょう。時間の長さではなく、深さ、質を高めましょう。
毎朝、夜でももちろん構いませんが、聖書、また信仰書、ゴスペルを聞きなが
ら、天の父と親しい時間を持ちましょう。それがあなたの霊的な糧であ り、力
の源になります。

【イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた】

「しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なの
で、波に悩まされていた。すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を 歩い
て、彼らのところに行かれた。24.25節」

イエスさまを乗せていない弟子たちだけの船は、向かい風に悩まされていました。
クリスチャンの集まりも、中心にイエスさまがおられなかったら、どこに向かう
ことも出来ないでしょう。それぞれが自分の意見を主張するだけで、ど こにも
進めません。
イエスさまから離れては弟子たちは無力なのです。

イエスさまは、遠くはなれていても、悩む弟子たちをご覧になっていました。
師の心には絶えず私達がいます。イエスさまは弟子たちを放おっておくことはし
ません。
どんなに離れていても、どんなに近づくことが不可能と思えても、どんなに解決
が不可能と思えても主は私達を助けに来て下さるのです。

イエスさまは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られました。
イエス・キリストは全能の神であり、この世界の法則を超越される救い主です!

あなたが悩み苦しんでいる時、その問題の真中にイエスさまを招きましょう!
イエスさまはあなたとともに重荷を背負ってくださる方です。
自分だけで問題を解決しようとせず、まず主を呼び求め、主の力と平安を得ま
しょう。

【しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。】

「弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、『あれは幽霊だ。』
と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しか し、イ
エスはすぐに彼らに話しかけ、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはな
い。』と言われた。26.27節」

弟子たちは助けに来られたイエスさまを幽霊と間違え、恐ろしさのあまり叫びま
した。
なぜ自分たちを助けに来たイエスさまが分からなかったのでしょう。
彼らの信仰があまりにも小さいことが原因と言えるでしょう。

信仰が大きい小さいとは、イエスさまに対する正しい理解があるか、ないかなの
です。
弟子たちはこの時、イエスさまを全能の神と認めていませんでした。
自分の師匠であり、奇跡すら行うことができるお方と認めていましたが、水の上
を歩き、自然の法則を超越する全能の神であると認めていなかったので す。
彼らのイエスさまに対する認識が小さかった、信仰が小さかったので、イエスさ
まが来られたのに認めることができなかったのです。

私たちは自分の小さい信仰のために、不信仰のために、助けに来てくださる神を
認められない、また神が特別な計画をもって許される試練をも認められ ず、神
の好意を無駄にしている場合があるかもしれません。

神はあなたを愛しています。あなたのすべての必要を満たし、あなたを助けてお
られます。しかし、私たちが持っている神さまの姿が小さいなら、神の 愛も、
神の助けも認めることが出来ないのです。

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と語られる主のことばに
よって、彼らの信仰の目は開かれました。助けに来られたイエスさまを受 け入
れることが出来ました。私たちも「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることは
ない」と語られる主のみ声を、聖書を通し、祈りを通し、日々聞か なければな
らないのです。
天の父は私たちが神に対する正しい認識を持つことを願っています。
私たちが心を開き、謙って聖書を読むとき、聖霊は私たちに正しい神の姿を示し
て下さるのです。

【水の上を歩くペテロ】

「すると、ペテロが答えて言った。『主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の
上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。』イエスは『来 なさ
い。』と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほう
に行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び 出し、『主
よ。助けてください。』と言った。
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い人
だな。なぜ疑うのか。』28-31節」

ペテロはイエスさまの語られたことばに従って、ガリラヤ湖の水の上を歩きました!
この時のペテロの姿をイメージしてください。これこそキリストに従う弟子の姿
です。
主イエスのことばに従って歩むとき、私たちもこの世界の法則から開放され、あ
らゆる暗闇の力、また罪と死からも開放されます。

主イエスを目指し、神のことばに従うとき、私たちの人生は神の栄光を現し、勝
利の人生を歩むことができるのです!

【沈みかけたペテロ】

水の上を歩くという奇跡を体験したペテロ、しかし次の瞬間、彼は水に沈み始め
ました。勝利者から敗北者へ、喜びから恐れへとペテロを転落させたも のは何
でしょうか。
ペテロが見つめる先が、イエスさまから「風」に移ったことが一番の原因でした。
「ところが、風を見て、こわくなり」とあります。

私たちがイエスさまから目を離し、私たちに向かってくる問題だけを見つめると
き、私たちの信仰の歩みは終わり、問題に沈み始めるのです。喜びは消 え、恐
れが心に広がります。

人生に起こる問題を無視しなさいと無理なポジティブ・シンキングを勧めている
のではありません。問題を見ないのは現実逃避です。
私たちは主イエスの勝利を通して問題を見るべきです。
主イエスにあっては問題は問題ではなく、私たちを成長させる課題に変わるのです。

あなたを今、恐れさせる「風」は何ですか。
経済の問題ですか。職場の人間関係ですか。家族との関係、夫婦の関係ですか。
それらの問題だけを見つめているなら、ペテロのように問題の中に沈み込むで
しょう。
しかし、まず主イエスを見あげましょう!
主イエスはあなたの問題を、素晴らしい人生の成長のための課題と変えてくだ
さっていることを信じましょう。主の勝利を通して、主と共に人生の課題 を乗
り越えて行きましょう。

【人生の嵐はなぜ起きるのか】

「そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、
 イエスを拝んで、『確かにあなたは神の子です。』と言った。32.33節」

人生になぜ逆風が吹き、嵐が起きるのか。神が全能ならば、なぜ私たちの人生に
試練を許されるのか。その一つの答えは、私たちが弟子たちのように 「確かに
あなたは神の子です」とイエスさまに対し正しい認識を持つためと言えるでしょう。

頭でイエスさまは全能の神と知るのと、体験として知るのでは天と地ほどの差が
あります。神は私たちが自分の人生の体験として神を知るために、時に 試練を
用いる時があります。
(※すべての試練がそうであるとは言い切れませんが・・・)

もし、いまあなたが人生の嵐の中に、試練の中にあるのなら、助けに来てくださ
るイエスさまを見あげましょう。主からみことばをもらいましょう!そ のみこ
とばに従って勝利の歩みを踏み出しましょう。主を見上げ、嵐の中でも主を賛美
して進みましょう。