「わたしの血による新しい契約」
聖書箇所:ルカによる福音書22章1節から23節

【過越の祭り】

「さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席
に着いた。
イエスは言われた。『わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょ
に、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。』」ルカ 22章14.15節

イエスさまが十字架に付けられた日は、ユダヤ人にとって大切な祭りの日でした。
この祭りは過越の祭りと呼ばれ、ユダヤ人が今でも守り続けている祭りです。
過越の祭りは、ユダヤ人が奴隷とされていたエジプトから開放され、約束の地に
向かって旅立った日を起源としています。
神は大いなる怒りと裁きを持って、神の民を苦しめていたエジプト、偶像礼拝の
罪に汚れていたエジプトを罰しました。
しかし神の選びの民は裁かれることはありませんでした。
神の怒りと裁きは神の民を過ぎ越して行ったのです。
しかし、神の怒りと裁きが過ぎ越して行くには、一つの印が必要でした。
一頭の羊を屠り、その血を家の門柱と鴨居に塗ることが印でした。

「主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧に
なれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家には いって、
打つことがないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫
のためのおきてとして、永遠に守りなさい。また、主が約束ど おりに与えてく
ださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。あなたがたの子ど
もたちが『この儀式はどういう意味ですか。』と言った とき、あなたがたはこ
う答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、
主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越さ れ、私たちの家々を救ってく
ださったのだ。』」出エジプト記12章23節から27節

羊の血が塗られた家は、神の燃える怒りと裁きが過ぎ越され、救われたのです。
イエスさまはこの祭りとその食事を、弟子たちと持つことを強く願われていました。

【わたしの血による新しい契約】

「それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言わ
れた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わ たしを
覚えてこれを行ないなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。『この
杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約 です。』」ル
カ22章19.20節

イエスさまが弟子たちと過越の祭りを守ることを切望されたのは、ご自身が屠ら
れた羊となることによって新たな救い、完全な救いを信じる者に与える ためで
した!

イエスさまは翌日、自分が十字架に付けられ殺されること、その死はあなた達と
新しい契約を結ぶためなのだと、十字架の死の意味をハッキリと弟子た ちに伝
えたのでした。
イエスさまは「わたしの血による新しい契約」と言われました。
今まで先祖たちが守ってきた古い契約ではありません。新しい契約です!新しい
過越です。

ユダヤ人が今も守り続けている過越し、これは古い契約に属するものです。
しかしイエスさまが初められたのは、新しい契約です。
契約の内容、その質がまったく次元の異なる救いの契約なのです!

古い過越し、これも驚くべき恵みの契約でした。
しかし、新しい契約に比べるなら限定されたものでした。
この契約はユダヤ人、イスラエル民族に限定された契約でした。
そして、この契約によって与えられたものはパレスチナの地、現在のイスラエル
です。
実際の土地がイスラエルに与えられたのでした。
それは素晴らしいことですが、一地域に限定されたものでした。

しかし、イエスさまがご自身の血により信じる者と結ばれる新しい契約は完全な
ものです。

先ず、この契約はユダヤ人だけに限定されたものではありません!
イエスを救い主、主と信じる全ての者と結ばれる契約であり、何の差別もありま
せん。

古い契約ではエジプトに対する神の怒りと裁き、エジプトの奴隷状態から神の民
を救い出しましたが、新しい契約は神に逆らう世に対する神の怒りと裁 きか
ら、そして罪の呪いと支配から信じる者を開放するのです!

与えられる土地はこの世の限定された地ではなく、失うことも、滅びることもな
い永遠の国、神の国が与えられるのです!

イエス・キリストはこの優れた契約、私たち信じる者を救う完全な契約を結ぶた
めに、十字架の上でその身を裂かれ、血を流されたのです。

誰でもイエスを救い主、主と信じる全ての者には、聖霊によってイエスの血が塗
られ、神の怒りと裁きは過越し、約束の国、神の国に入ることが保証さ れてい
るのです!

【キリストの血による新しい契約を覚えることが礼拝の中心】

私たちクリスチャンの礼拝はどのようにして始まったのでしょうか。

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。」使徒20:7

このようにパンを裂くために集まることから礼拝が始まりました。
パンを裂くとは、罪に対する神の怒りと裁きから私たちを救うために、十字架で
ご自身を捧げられたイエスを覚えることです。

「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこ
れを行ないなさい。」ルカ22章19節

私たちを救うために、新しい契約を結ぶために、イエスは死なれた。これを覚え
ることが礼拝の中心です。

エジプトで奴隷だったユダヤ人を神はモーセを通して開放されました。
奴隷から自由人に変えられ、地上でもっとも良い土地を与えられたのです!
このような特権が与えられたのにもかかわらず、エジプトに留まる者はいたで
しょうか。いませんでした!みな喜びをもって、エジプトを後にしたので す。

私たちはキリストの血によって、罪の呪いと束縛、死の力から開放されました!
私たちは決してキリストを信じる前の古い生き方を続けてはならないのです。
キリストが罪から開放してくださったのです。罪に留まっていては決してなりま
せん。
キリストの完全な救いと解放を覚えて、私たちは神と隣人を愛し、仕える新しい
生き方、罪から開放された人生を歩みましょう。