「私たちの信仰を熱心に正される主イエス」
聖書箇所:マルコ福音書11:11-25

【神殿を清められた主イエス】

「それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮にはいり、宮の中で売り買
いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛 けを倒
し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そし
て、彼らに教えて言われた。『「わたしの家は、すべての民の祈 りの家と呼ば
れる。」と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗
の巣にしたのです。』」マルコ11:15-17

イエスさまは全人類の罪を十字架に背負われ、罪の赦しと救いを完成するために
エルサレムに上られました。エルサレムには、神がそこに住むとされた 神殿が
ありました。
エルサレムに上られたイエスさまは神殿に入られ、すべてを見て回られました。
その時のイエスさまの心境は、失望と怒りでした。

なぜなら次の日にイエスさまがとられた行動は、人間的に見るならば暴挙と言え
るものだからです。神殿の境内で犠牲の動物を売っている人を追い出 し、両外
商の台を倒し、礼拝と祈るため以外に神殿に出入りすることを誰にも許されな
かったのです。
しかしこれは決して暴挙ではなく、神殿があるべき本来の姿を取り戻そうとされ
たのです。

イエスさまが、このように神殿を正されたのは二回目になります。
一回目はヨハネ福音書2章13-22節にあります。救い主としての公の活動を初めら
れた、とても早い時期に神殿での礼拝を正されました。その時も 今回のように
両外商を追い出し、生贄の動物を神殿から追い出されました。
イエスさまはその後、熱心にイスラエルを巡り、神の国を伝え、人々の信仰を正
そうとされました。しかし二年後、エルサレムの神殿を見て回られる と、以前
と何も変わっていません。イエスさまの失望と怒りはとても大きかったと思われ
ます。
しかしイエスさまは諦めず、神殿の本来の姿を取り戻そうと努力されました。

そして、イエスさまは見失われている大切な真理を伝えられました。

「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」

イエスさまの約三年間の公の活動における一つの目標、それは祈りの家の再建と
言えるでしょう。イスラエルの人々を神に喜ばれる真の礼拝者として正 そうと
取り組まれたのです。

この箇所から二つの事を分かち合いたいと思います。

@天の父は祈りの家を求めておられる。

天の父が祈りの家を求めておられます。
天の父は先ずイスラエルの民を選び、その中に祈りの家を建てられました。神殿
です。
しかしイスラエルに神殿は建てられても、そこは祈りの家とはならず、強盗の巣
でした。
イエスさまの努力も虚しく、彼らは悔い改めることを拒否し続けたのです。
その結果、イスラエルの神殿はローマによって粉砕され、土台の石すら残ってい
ません。

神は今日、ご自身の住まい、神殿を神の御子を信じる礼拝者の中に建てられるの
です!
天の父の願いは、神を心から愛し、礼拝する者を神殿として住まわれることなの
です。

イエスを救い主、主キリストと信じ、告白する者は誰でも聖霊の住まわれる神の
宮です。
あなたの心の神殿は、神の御顔を慕い求める祈りの家となっていますか。

天の父は毎日、あなたとの出会いを求めています!
あなたからの、心からの感謝、賛美、礼拝を受けたいと願われています。
礼拝を捧げるあなたは、神の宮として内面から主の栄光を表すのです。

Aイエスさまは今日も熱心に神の宮を正される。

イエスさまは父のみ心を行うことに熱心です!
イスラエルの神殿を正されたイエスさまは、今日神殿である私たちも正そうとさ
れます。

神の宮である私たちの共同体である教会に対して、黙示録2章5節にはこうあります。

「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてし
まった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないを
しなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたし は、あな
たのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまお
う。」黙示録2:4.5

これはエペソの教会に送られた言葉ですが、今日も変わらずにイエスさまが教会
を、神の宮をご覧になっていること、神との関係を正そうとされている ことが
分かります。

私たちは自分が先ず神を礼拝し、神の栄光で満ち溢れる神殿、祈りの家となって
いるか吟味しましょう。日々、神を心から礼拝する者へと変えられま しょう。

また私たちの教会が、第一に神に祈り、礼拝し、神の栄光を表す神殿としての務
めを果たしているかを吟味しましょう。私たちの交わりはこの世の交わ りとは
違います。神をともに礼拝し、地上で神の栄光を表すために神によって呼び集め
られた者の集まりがエクレシアです。神の目的に相応しく集って いるのかを吟
味することが大切です。
【呪われたいちじくの木】

「翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったい
ちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行か れた
が、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節で
はなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。 『今後、いつ
までも、だれもおまえの実を食べることのないように。』弟子たちはこれを聞い
ていた。」マルコ11:12-14「朝早く、通りがかり に見ると、いちじくの木が根
まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。『先生。ご覧なさい。
あなたののろわれたいちじくの木が枯れま した。』」マルコ11:20-21

イエスさまはイチジクの木を呪われました。次の日ペテロが見ると、イチジクは
根まで枯れていました。イチジクはイスラエルを象徴する木です。イエ スさま
は神殿で捧げられる礼拝をご覧になり、神に仕える祭司たち、宗教家のパリサイ
人たちの信仰に失望しました。実を結んでいないイチジクこそ、 当時のイスラ
エルの宗教を象徴していました。
壮麗な神殿、富と権力を誇る祭司たち、聖書の知識と信仰深さを誇るパリサイ人
たち。
しかし、彼らの信仰は神と隣人への愛という大切な実を結んではいなかったのです!

イエスは愛の実を結ばない宗教を呪われたのです!

【実を結ぶ信仰とは】

「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げま
す。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言っ て、心の
中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになり
ます。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何 でも、すでに受
けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また立って祈っている
とき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりな さい。そうすれば、天
におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」マルコ
11:22ー25

呪われたイチジクを見て、驚いたペテロにイエスさまは宗教指導者たちが見失っ
ている、実を結ぶ信仰とは何であるかを教えられました。
ここは大切な箇所です!私たちが実を結ぶ者となるために特に注意して学ばなけ
ればならない信仰の真理が教えられている箇所です。

@山をも動かす信仰!

第一に「神を信じなさい」と言われたように、信仰です。
それも「山をも動かす」ほどの信仰を持つこと、信仰に生きることです!

何か念力や超自然的な力、オカルト的な力を身に付けろと言っているのではあり
ません!
神を信じ、人生で遭遇する山のような問題を信仰で乗り越えて行く、いのちある
信仰です。
エルサレムの第二神殿はさまざまな問題の中、建てられました。
エルサレム周辺の異民族から絶えず脅かされる中、総督ゼルバベルが建て上げた
のです。

「『これは、ゼルバベルへの主のことばだ。「権力によらず、能力によらず、わ
たしの霊によって。」と万軍の主は仰せられる。大いなる山よ。おまえ は何者
だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、「恵みあれ。これに恵みあれ。」と叫
びながら、かしら石を運び出そう。』」ゼカリヤ書4:6.7

総督ゼルバベルは問題が山積するなか、権力や能力でない、ただ神への信仰を支
えに、神殿建築の偉業を成し遂げたのです。

神を信じて、いま置かれている難しい状況を突破していく信仰!
神がともにおられるなら、必ず出来ると信じて歩む信仰、これがいのちある信仰
です。
必ず神の時に山は動き、神の栄光が表されます!

A力ある祈り

「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと
信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」」マルコ 11:24

力ある祈りが大切です!祈りが確かに答えられ、実を結ぶ祈りの生活です。
それは決して長く祈ることではありません。マタイ6:7でイエスさまが教えてお
られるように、長く祈れば聞かれると考えるのは真の神を知らない異 邦人だと
教えられました。
ヤコブも手紙の中で、自分の欲望のために祈る祈りは答えられないと教えています。
ヨハネはT5:14で、御心にかなう願いをするなら、その願いは聞かれると教えて
います。

力ある祈りの生活とは、神の思いを知り、神の御心を熱心に願う祈りの生活です!
天の父は御心を熱心に祈り求める者を通して、神の国を地上に表して下さるのです。
神の御心を求め、熱心に祈りましょう!実を結ぶ祈りの生活を送りましょう。

B赦しの実践

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりな
さい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を 赦して
くださいます。」

力強い信仰を無力にし、祈りの生活を台無しにし、霊的に無力にさせるのは隣人
に対する恨みです。恨みは神さまとの親しい関係を壊します。イエスさ まに
よって回復された神との交わりを恨む心は再び閉じてしまうのです。恨み、憎し
みを自分で抱えるのではなく、天の父の御手に委ねることです。父 の愛を受け
て、恨み、憎しみを手放し、赦しましょう。