「ラザロの復活」

ヨハネ11章1-46節

【本当にめでたいことは・・・】

明けましておめでとうございます。今年はじめての主日(日曜)礼拝です。
今年も皆さまが、神の恵みと力を受けて成長し、活躍する一年となることを祝福
します。

「おめでとう」と始まる一年ですが、元日礼拝のあと、親戚に挨拶に行く途中で
何台も救急車を見ました。新年早々、大変だなと思いました。
私たちの喜びを突然奪い去り、壊してしまうもの、それが死です。

忘れていても、必ず死は訪れます。そして、いつ死が訪れるか誰にも分かりません。
旧約聖書の伝道者の書は、死が、善人にも悪人にも同じように訪れるなら、人生
を正しく生きることに意味があるのか、死で終わってしまう人生は空し いと嘆
いています。
死は人類最大の敵です。死の問題に解決がなければ、心から「おめでとう」は言
えません。

しかしイエス・キリストは人類最大の敵である死に、すでに勝利されたのです。
キリストは私たちの身代わりとなって十字架で罪の罰を受けられました。
完全に死なれましたが、三日目に復活されたのです。死に勝利されたのです!
イエスを信じる全ての者に永遠のいのちを与えられた、これが救いです。これが
福音です。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じ
る者は、死んでも生きるのです。』」ヨハネ11章25節

今日はラザロが生き返った聖書箇所を通して、死に勝利されたイエスさまに対す
る信仰を強め、復活の希望をしっかりと持ちましょう。

【緊急な時、あなたならどうする・・・】

「イエスはこれを聞いて、言われた。『この病気は死で終わるだけのものではな
く、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるた めで
す。』(4節)」

マルタとマリヤの姉妹はイエスさまを家でもてなした姉妹です。彼女たちの家は
エルサレムに近いベタニヤにあり、イエスさまがエルサレムに向かう際 には立
ち寄られたようです。
そしてラザロはこの姉妹の兄弟でした。5節には「イエスはマルタとその姉妹と
ラザロとを愛しておられた」と書いてあります。彼らとは特に親しい関 係に
あったようです。
ラザロの病状については詳しく書かれていません。
しかし、結果的には死んでしまうのですから、何らかの大病であったと思われます。
マルタとマリヤは直ぐにイエスさまに使いを送ります。
「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」

このような緊急事態に、あなたはどのように対処しますか。

「もちろん直ぐに駆けつける!」と、ほとんどの方がそう思われるでしょう。
それが当然であり、自然と思います。

しかし私たちは、ここでイエスさまがどう対処されたか、イエスさまの反応から
信仰を学ばなければなりません。

愛する兄弟ラザロが病気で死にかけている、マルタとマリヤの姉妹が直ぐに来て
欲しいと直接文面には書いていなくても、それがしっかりと伝わる内容 を伝え
てきた。
彼らのして欲しいことは良く分かった。

そこでイエスさまがされたことは、先ず第一に、天の父に祈ることでした。

マルタとマリヤ、そしてラザロはこのようにして欲しい、しかし、天の父は何を
私にして欲しいのだろうと天の父の御心をまず第一に求められたので す。これ
が信仰です。
これが信仰者の姿勢でなければなりません。

祈りを通して天の父がイエスさまに示されたことは「待つこと」でした。
この緊急事態にあって、天の父は「その場で待ちなさい」と示されたのです。

「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の
子がそれによって栄光を受けるためです。(4節)」

天の父の特別な計画があることが示され、イエスさまは父の御心に従われました。
イエスさまが人間的な考えで、直ぐにラザロのもとに向かえば、ラザロは死なず
に済んだでしょう。しかし、それで終わりです。ラザロにも、私たちに も、本
当の敵である死への勝利、復活の希望を与える奇跡とはならなかったのです。

緊急と思える時こそ、私たちは先ず目を天に向けて祈るべきです!
何をすべきなのか、天の父からの知恵を求めましょう。
焦って行動しても、良い結果は得られません。
天から肉声が聞こえることはありませんが、しかし、祈るなら心に平安と落ち着
きが与えられます。思いつかなかった知恵が聖霊によって与えられるで しょう。

イエスさまを模範として、緊急な時でも先ず祈りましょう。
(注)この箇所では明確にイエスさまが祈ったとはありません。イエスさまは心
の中で祈られたのだと思います。緊急な時、祈るために跪く必要はあり ませ
ん。心で祈ることです。
【あなたの信仰の応答が求められている】

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生き
るのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このこと
を信じますか。」ヨハネ11章25.26節

イエスさまは兄弟ラザロが死んで落胆しているマルタに信仰の応答を求められま
した。
信仰こそが、神と私たちをつなぐパイプです。信仰を通して神の力は私たちに流
れます。

マルタもダニエル書12章2節から、終わりの日に死者がよみがえることを知って
いました。しかしそれは彼女にとっては単なる聖書の知識であって、 彼女の人
生を変えることも、神の栄光を表すこともなかったのです。聖書を知ることは大
切ですが、もっと大切なことはそれらが信仰によって生かされ ることです。

神のことばが信仰によって私たちの霊に受け止められる時、神のことばは力を表
すのです。

信仰は三つのことによって表されます。

@心から信じること。A信じていることを告白すること。B信じていることを行う。

イエスさまはマルタに信仰の応答を求められました。
それに対してマルタは、

「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じてお
ります。(27節)」と答えました。

しかしマルタの信仰は充分ではありませんでした。行動が伴わなかったからです。

「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい。』死んだ人の姉妹マルタは
言った。『主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。』 イエ
スは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、と
わたしは言ったではありませんか。』そこで、彼らは石を取りのけ た。」ヨハ
ネ11章39-41節

イエスさまに叱られたからではありますが、マルタは行動に移します。
これが大切です!信仰を行動に移すことが、私たちに求められています。

心で信じ、口で告白して救われますが、行動に表すことが実を結ぶ信仰です。
信仰の行動がなければ、その信仰は死んでいるとヤコブは言っています。ヤコブ
2:17参照

神は私たちを通して、ご自身の驚くべき業をされたいのです!
もちろん私たちにラザロを生き返られせよとは命じられません。石を取り除くだ
けです。

福音の宣教も同じです。私たちが人を救うのではありません。クリスチャンにす
るのではありません。それをするのは聖霊の働きです。私たちがするの は、自
分の証をすること、福音を分かりやすく伝えること、霊的な質問をするだけです。
しかし、私たちの信仰の行動を通して、聖霊が救いの働きをなされるのです。

「そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。『ラザロよ。出て来なさ
い。』すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て 来
た。」ヨハネ11章43.44節

イエスこそ、死に勝利した救い主であり、私たちを世の終わりの日に完全な勝利
の体を与え、救いを完成させて下さる救い主です。

この信仰を心に持ち、口で告白し、そのように行動しましょう!
あなたが信じるなら、あなたは必ず神の栄光を見ます。

【イエスは涙を流された】

「イエスは涙を流された。」ヨハネ11章35節

新約聖書の中で、最も短い節としても知られている箇所ですが、とても印象的な
箇所です。イエスは涙を流された! マルタ、マリヤ、そしてラザロを 愛する
多くの人々が死に打ちのめされ、落胆している状況をご覧になり、人間の弱さ、
脆さ、無力さに対して同情し、マルタ、マリヤの心の痛みを自分 の痛みとして
涙を流されたのだと思います。

イエスさまは今も涙を流されています。

私たちのまわりを見回してみましょう。イエスさまがラザロを生き返らされ、ご
自身も復活し、信じる者に永遠のいのちを与える救いを成し遂げたにも かかわ
らず、この日本には福音を知らずに滅びに向かっていく人がほとんどです。

イエスの心は、この日本に住む人々に福音を知ってほしい、永遠のいのちの希望
をしっかりと持って欲しいと願っています。イエスは私たちを通して、 この救
いを伝えたいのです。

私たちの信仰のアクション、行動が求められています。
私たちはイエス・キリストによって救われました。罪の赦し、体のよみがえり、
永遠のいのちを信じ、告白しています。それを伝えましょう!行動する ことです。
あなたが信じるなら、あなたは必ず神の栄光を見ます。