「聖書で学ぶ霊的戦いA」
聖書箇所:マタイ福音書4章5−


【悪魔も聖書を使う!?】

「すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言っ
た。『あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。「神は御使いたち に命
じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないよ
うにされる。」と書いてありますから。』イエスは言われた。 『「あなたの神
である主を試みてはならない。」とも書いてある。』」マタイ福音書4章5−7節

悪魔・サタンはしつこくイエスさまを誘惑します。
今度はエルサレム神殿の屋根に立たせ、「飛び降りてみなさい」と試みてきました。
この箇所で驚くことは、悪魔が聖書を引用してイエスさまを試みていることです。
イエスさまが神のことば、聖書を引用して、初めの誘惑を退けられたので、今度
は悪魔も聖書を使ってイエスさまを試みることにしたのでしょう。

オカルト映画では、十字架や聖水を悪魔は恐れますが、本物の悪魔・サタンには
当てはまらないようです。神のことばをも悪用して、神のひとり子をも 誘惑す
るのですから。

多くのカルト宗教が聖書のことばを、自分たちに都合の良いように使っています。
カルト的な教会も存在します。カルト教会は教義自体は正統である場合もあるの
です。
しかし、何かがおかしいのです。そして、結ばれる実が全く違うのです。
愛と平安、罪からの自由・解放というキリストの人格の実ではなく、教祖や牧師
に対する恐れ、神への恐れ、恐れに縛られ、罰や呪いを恐れてイヤイヤ 信仰し
ている。
これが聖霊に導かれていない教会、カルト教会が結ぶ実です。

私たちは聖書のことばが語られているからと言って何でも鵜呑みにしてはなりま
せん。
教義が正統だからといって、頭から信じてはなりません。吟味することです!
疑いなさいと言っているのではありません。吟味することです。
吟味した上で、確かに信じ、従うべき神の教えだと確信したら受け入れるのです。

「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」Tコ
リ 14:29

パウロもコリント教会の信徒たちに、預言(説教のこと)を吟味するように指導し
ています。
私たちが正しい教えなのか、それともみ言葉は用いられていてもキリストの実を
結ばせない教えなのかを見分け、吟味するにはどうしたら良いのでしょ うか。

@聖書を通読する。
聖書を通読することです。異端やカルトのほとんどが、聖書のことばを文脈(前
後関係)と切り離して、自分の都合の良いように用いています。それを 見分け
るには、聖書通読を通して、聖書の内容に親しむことが大切です。

イエスさまを誘惑した悪魔は詩篇91編から引用しています。ぜひ91篇を読んで見
て下さい。この詩は神との深い信頼関係に基づく神の守りを歌って いるのであ
り、どんな無謀なことをしても神が守られるとは言っていないのです。

A聖書を通して神のご人格を知る。

聖書を通して、神のご人格を知ることが大切です。カルト宗教や異端は神の裁き
や、呪い、罰を極端に強調します。確かに神は罪を憎まれ、徹底的に罰 しま
す。しかし罪人は愛されます。神は私たちを滅ぼそうと願っているのではなく、
御子を与えるほどに愛され、命の道に立ち返ることを願っているの です。十字
架を通して表された神の愛を知ることです。

この二つのことが身につくと、異端やカルト教会が聖書を引用していても、その
間違いを見分けることが出来るでしょう。

【神を試みてはならない】

悪魔はイエスさまをエルサレム神殿の頂に立たせました。エルサレム神殿はイス
ラエルの中心です。毎日、信仰篤いユダヤ人が大勢、参拝に訪れていま した。
その大勢の人が見ている前で、神殿から飛び降り、天使に守られて怪我一つしな
かったら、それを見た人々はあなたが神から遣わされたメシア、救い主 である
ことが分かり、イスラエル中にイエスがメシアであることが伝わるようになると
悪魔は提案したのです。

前回の試みは、石をパンに変えなさいというものでした。イエスさまは奇跡は食
欲を満たすために用いるものではなく、神の栄光を表し、ご自分がメシ アであ
ることの証のために用いるものなので、悪魔の提案を退けられました。

今回、悪魔はそれなら奇跡の力を自分がメシアであることを世に示すために使い
なさいと巧妙にイエスさまを試みてきたのです。

今回もイエスさまは「あなたの神である主を試みてはならない」と申命記6章
16節のみ言葉を持って悪魔を退けられました。

悪魔の提案は一見、メシアであることをイスラエルに証明するために賢い方法の
ようにも思えます。この提案のどこが「神を試みる」ことであり、イエ スさま
の救いの働きを妨げることになるのでしょう。

結論から言うと、悪魔の勧めの中には十字架がありません。罪に対する解決がな
いのです!
ただ奇跡的な力を示すだけのスーパーマンであり、全人類を罪から救う救い主で
はないのです。

悪魔はイエスさまが十字架の道を歩まないように、時には一番弟子のペテロを使
い、またある時はご自分を王様にしようとする群衆を用いて十字架の道 を妨げ
ようとしました。
全人類を罪の束縛を断ち切り、罪から開放するための神の解決であることを悪魔
は知っていたからです。何としても十字架の道にイエスが歩まないよう に試み
たのです。

イエスさまは十字架以外に救いがないことを初めから知っておられました。
十字架は父なる神が定めた完全な救いの計画でした。
それ以外に救いを求めることは、神を試みること以外の何ものでもないのです。

イエスさまは私たちを罪の滅びから完全に救うために、私たちの罪を十字架で背
負われたのです。イエスが私たちの罪を身代わりに背負い、死の罰を受 けられ
たので、私たちは罪赦されたのです!十字架なしに救いはあり得ません。
イエスさまは悪魔の誘惑を退け、十字架の道に歩み、完全な救いと勝利をもたら
しました。

しかし、悪魔はまだ諦めていません。
今日、私たちクリスチャンが十字架の道に歩むことを妨げようとして試みてきます。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者では
ありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたし のため
に自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」マタ 10:38.39

イエスさまは私たち一人ひとりが自分の十字架を背負うことを願っています。
十字架の道とは他者の救いのために、成長のために自らの命を削ること、失うこ
とです。
それはキリストの無償の愛を行うことと同じです。

無償の愛を行うこと、それは自分の時間、お金、体力を失います。
隣人の救いのためにキリストを証しする、それは時に誤解されたり、拒絶されます。
キリストの愛を行うことは十字架を担ぐように、人間的な利益は何一つありません。
しかし、そこにこそ本当の命が輝くのだとイエスさまは教えておられるのです。

十字架がないキリストは偽キリストです。
同じようにクリスチャンから十字架をとったら、ただの宗教家です。

愛を行うことです。まず第一に神との関係をしっかり築きましょう。
神を礼拝しましょう。神を賛美し、日々礼拝しましょう。
神の家族を愛しましょう。神を信じる神の家族と真実な関係を結び、関係を深め
ましょう。