「天での礼拝」

聖書箇所:黙示録4章から

【黙示録が書かれた目的】

「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに
示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリスト は、そ
の御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。」黙示録1:1

黙示録は聖書の中でも難解な書の一つと思われています。
その理由の一つは象徴の理解の難しさにあります。
難解と思われる黙示録ですが、しっかりと文脈を理解しながら読むならば、必ず
その伝えようとしているところが見えてくるはずです。

この1章1節には黙示録が書かれた目的が書かれています。

「直ぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため」に黙示録は書かれたのです。

黙示録はローマ皇帝のドミティアヌス(81―96年)の頃に書かれたと考えられて
います。
ローマ皇帝ネロによって、初代教会は大変な迫害を経験しました。
そしてドミティアヌス帝も自分を神として礼拝する皇帝礼拝を国民に強要しました。
ヨハネはそれに屈しなかったために捕えられ、パトモス島に島流しになったのです。
教会に対する厳しい迫害の嵐が吹き荒れれる中、黙示録は書かれたのです。
またAD70年にはローマによってエルサレムが包囲され、神殿が破壊されました。
ローマ帝国の前にイスラエルは滅びつつあり、教会も迫害の嵐の中、風前の灯火
のような状態にあったのです。

キリストはなぜ、まだ再臨されないのか?なぜ神の民がこれほど苦しむのか?
迫害下にあった信徒たちには、様々な信仰上の疑問が浮かび上がったはずです。
迫害の中、苦しむ信徒たちを励ますために、キリストがヨハネを通して与えた言
葉が黙示録なのです。黙示録は迫害に苦しむすべての聖徒たちを励ま し、慰
め、信仰に進ませるいのちの言葉に満ちています。

【黙示録とは…】

「黙示:ギ)アポカリュプシス」は、「覆いを取り払う」との意味であり、聖書
の他の箇所では「啓示」とも訳されています。今まで隠されていた神 の霊的真
理、計画が聖霊によって明らかにされ、示されたことを意味します。

地上にいる私たちは、物事を地上の視点からでしか見ることが出来ません。
迫害や殉教は地上の視点から見るならば、ただ苦しみにしか見えません。
霊的な視点、神の視点にたって見ること、理解することが大切なのです。

初代教会の信徒たちにとって、ローマ帝国はどれほど大きく、また永遠の都ロー
マと呼ばれるくらいですから、教会よりもローマ帝国のほうが遥かに強 い存在
に思われたことでしょう。しかし、そうではありませんでした。それは歴史が証
明しています。
ローマは滅び、イエス・キリストの教会が今日、全世界に満ちています。

私たちが信仰生活を力強く続け、疲れ、落胆しないためには、霊的な視点に立っ
て自分を、教会を、問題を見る必要があるのです。

黙示録は私たちがこれから直面するであろう、様々な苦難、迫害、問題に対し
て、その意味を教え、慰めと励まし、希望を与える書なのです。

【天の光景:礼拝を受けられる主なる神】

「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパの
ような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここ に上
れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」黙示録4:1

ヨハネが示された光景は、天で礼拝を受けられる父なる神の光景でした!
ヨハネは流刑地のパトモスにいました。昼は強制労働、そして囚人の住居は洞窟
でした。
人間的には絶望的な状況において、天での幻が示されたのです。
この世の権力者は身体の自由は奪えても、心と霊までは束縛することは出来ない
のです。

光り輝く天において、いのちを持つ動物の代表を表す四つの生き物、そして世々
に渡る神の聖徒を代表する二十四人の長老から絶えず礼拝を受けられる 唯一真
の神。
これが天の姿です。ここが永遠に私たちの住む場所なのです!

動物を代表する四つの聖なる生き物も、二十四人の長老も朝から夜まで、永遠に
父なる神を礼拝しました。それは決して強制でもなく、義務でもありま せん。
彼らは自発的に、心から、霊と真をもって礼拝する真の礼拝者です。これが聖霊
に満たされた者の姿です。
この正しい天国の姿を覚えましょう。

この天の光景が、七つの封印の巻物、七つのラッパ、七つの鉢…に先んじてヨハ
ネに示されたのには確かな理由があります。

@不動の神を礼拝するとき、私たちの心は問題に押し流されなくなる。

ヨハネも、初代教会のクリスチャンも迫害の波に押し流されました。
私たちも人生の中でぶつかる様々な困難の中で、自分が如何に小さいか、頼りに
ならない者かを実感させられます。問題ばかりが大きくて、押しつぶさ れそう
になります。

このような時、問題に押しつぶされそうな時、私たちは天を見あげましょう!
信仰の目を開いて、私たちの礼拝を喜ばれる神を見上げ、礼拝しましょう!
神の偉大さ、完全さの前に、どんな問題も無力です。
神の愛から私たちを引き離し得るものは何一つないのです。

神を礼拝するとき、私たちの中には神のいのち、聖霊が満ち溢れます。
聖霊はキリストを死から復活させた神のいのち、神の力です!
どんな問題の中にあっても、まず神を見上げ、賛美し、心から礼拝しましょう。

「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎし
りした。しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の 栄光
と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開
けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』人々は大 声で叫びな
がら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。ステパノは主を呼んで、こ
う言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』
そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせない
でください。』こう言って、眠りについた。」使徒の働き7章
54−57,59.60節

石を握り、恐ろしい形相して自分に殺到する群衆の中でもステパノは眠りに就く
ように、心穏やかでいられたのは、彼が迫害の中でも神を見上げていた からです。
礼拝は神と私たちの心を結び合わせます。自分を殺す者のために祈り、彼らの罪
を許せたのはステパノの心が信仰によって神と結び合わされていたから です。
主を見あげましょう。苦しい時、辛い時ほど、私たちは不動の主を礼拝しましょう。

A罪の始まりは、神に背を向けたことから始まった。

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方で
す。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、 また創
造されたのですから。」黙示録 4:11
人間を不幸にするすべての原因は罪にあります。
そして罪とは、創造主である神を礼拝しないこと、神に背を向けたことが第一の
罪です。
神は黙示録において、罪深い世界を滅ぼし、罪のない新天新地を始めるための計
画を示されます。その始まりは、神への礼拝から始まるのです。
神を礼拝することなしに、真の新天新地が始まることはないのです。

私たちは一週間の始まりを神を礼拝することから始めます。素晴らしい祝福です。
まず神を崇め、感謝を捧げ、神のみ言葉に従うこと、これが祝福された人生の土
台です。
日々神を礼拝することから始め、神のいのちに満ち溢れて歩みましょう。