「イスラエルへの裁きは教会への教訓」

聖書箇所:ミカ書3章9−12節

「これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたが
たは公義を忌みきらい、あらゆる正しいことを曲げている。血を流して シオン
を建て、不正を行なってエルサレムを建てている。そのかしらたちはわいろを
取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たち は金を取っ
て占いをする。しかもなお、彼らは主に寄りかかって、『主は私たちの中におら
れるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来な い。』と言う。それゆ
え、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃墟とな
り、この宮の山は森の丘となる。」ミカ書3章 9-12節

今週の通読箇所はミカ書になります。
預言者ミカはBC700年頃活動した預言者と考えられています。
イザヤ、ホセアが同時代の預言者です。

ミカに与えられた預言はイスラエルへの裁きと回復でした。
イスラエルの裁きは厳しいものでした。必ず国は滅ぼされ、それは不可避だった
からです。自分の国が滅びることを伝える務めは、大変つらいものだっ たと思
います。
ミカの預言を聞いて、喜ぶものは誰もいないからです。
罪を指摘されたり、ましてや裁きに会うと言われて喜ぶものは誰もいません。

神はイスラエルに何度も預言者を遣わして、神に立ち返ることを勧めました。
しかしイスラエルは悔い改めを勧める真の預言者を退けて、自分に都合の良いこ
とを語る偽預言者たちに聞き従い、結局は滅ぼされてしまったのです。

私たちもミカ書を自分たちへの教訓として、謙虚に耳を傾ける必要があります。
イスラエルの滅亡、それを教会への教訓として私たちは受け止めなくてはなりま
せん。
神が、栄光の御名を置くと定めたエルサレムの神殿、その神殿がなぜ廃墟となっ
たのか。

イスラエルは神の栄光を表すために、神が選ばれた民族であり、国でした。
イスラエルが存在する第一の目的は神の栄光を表すことでした。
しかし彼らはこの目的を見失い、堕落し、とうとう回復出来ないところまで堕落
しました。

イスラエルの王家を初め、権力者たちは不正を行い、神の義を行うことを拒否し
ました。
イスラエルは祭司の国として、国々を祝福する務めを与えられていたのに、祭司
たちは私利私欲のために宗教を利用し、神の言葉を預かる預言者たちも 金のた
めに偽りを預言しました。
このような不正と悪を行いながら、自分たちは選民であり、神が裁かれるはずが
ないと高ぶっていたのです。

神は預言者たちを通して語られていた裁きを行わざるを得なかったのです。
神の栄光はエルサレムの神殿を離れ去りました。今日もエルサレムに神殿はあり
ません。
神の栄光はイスラエルを去り、何処に行ったのでしょうか。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮
であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らな いので
すか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだ
をもって、神の栄光を現わしなさい。」第一コリント人への手紙 6章19.20節

イスラエルを離れた神の栄光は、主イエス・キリストにより再び現れました!
イエス・キリストが再臨される時、完全な形で神の栄光が現れます。
主が再臨されるまで、地上で神の栄光を表すのは私たちエクレシア(教会)の務め
です。

私たちは救いとともに、このような素晴らしい務めを与えられているのです。
主イエスを信じているあなたが、神の神殿です!神があなたの中に居られるのです!
私たちは自分の生き方を通して神の栄光を表すことを求められているのです。

これは最高の生き方です!私たちは神を礼拝するために、また神の似姿として造
られた神の被造物です。罪から解放され、本来の私たちの存在目的に向 かって
生きることが出来るのです。私たちは神の栄光を表して生きる時、最高に満ち足
りた人生を送ることが出来ます。
救いとともに、最高の生き方に招き入れて下さった私たちの救い主を賛美しま
しょう。

今日、神がご自身の栄光を表す宮として選ばれたのはエルサレム神殿ではありま
せん。
今、エルサレムには神殿はありません。栄光はエルサレムを離れ、キリストを信
じる私たちエクレシア(教会)が神の宮とされたのです。

これほど大きな特権と務めを与えられているのですから、私たちは熱心にこの務
めを守りましょう。そしてイスラエルの失敗を教訓として学ばなければ ならな
いのです。
イスラエルだけが堕落して、私たちが堕落しないとは限りません。
私たちもイスラエルと同じように弱いもの、誘惑に陥りやすいものなのです。

黙示録には教会に対する注意が書かれています。

「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてし
まった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないを
しなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたし は、あな
たのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまお
う。」黙示録2章4.5節

燭台、ろうそく立ては神の栄光を象徴しています。
教会から、私たちから、神の栄光が取り去れることがあるのだと注意しているの
です。
この警告はエペソの教会に与えられたものですが、彼らの堕落は何だったので
しょうか。

「初めの愛から離れてしまった」ことにあると、聖霊は教えています。

神の栄光を表すとは、とても抽象的な言い方です。具体的には何をすることで
しょう。
それは、キリストから受けた愛を行うことです!

私たちはなぜイエスを救い主として心に受け入れ、唯一の神を信じたのでしょうか。
それはイエスを通して、真の愛を知ったからです。

イエスは社会的な差別を受けていた人々をも別け隔てされずに愛し、受け入れ、
罪を赦されました。私たちの罪のため、また私の罪のために十字架でご 自分の
いのちを捧げられたです。
キリストの流された血潮によって、私たちは罪赦され、神の子とされました。
キリストの愛を知ったから、キリストの赦しを知ったから、彼を信じ、受け入れ
たのです。

キリストの愛を受け入れたものは、キリストの愛に生かされ、愛に動かされ、愛
に生きます。
キリストに赦されたものは、自分が赦されたように、隣人を赦します。
キリストに価値を認められたものは、自分も隣人の大切さに気が付きます。

このようにして、私たちはキリストの愛に生き、互いに愛し合う共同体となるの
です。
キリストの愛に生きること、これこそが神の栄光を表すことなのです!

もう一度言います!キリストの愛に生きることが、神の栄光を表すことなのです。

「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合う
なら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされる ので
す。」第一ヨハネ4章12節

エペソの教会は初めの愛から離れてしまったと、神から警告を受けました。
初代教会ですら、すでに神の愛から離れ、堕落していたのです。
私たちもこのことを覚えなければなりません。私たちも主の愛から迷い出やすい
のです。

キリストの愛から目を離し、別の物を見てはならないのです。
教会の建物を大きくする、教会の規模を競い合う、誰が聖書の知識を多く知って
いるか、誰がこの世的に成功したクリスチャンなのか。そのようなこの 世的な
価値観が教会を迷わせてきました。キリストの愛から目を離してはならないのです!

「悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」と聖霊は私たちに語りかけています。
キリストの愛を先ず受けましょう!キリストの愛と赦し、恵みの中に留まりま
しょう。
キリストの愛に感動し、キリストの愛に心が満たされるまで熱心に主を求めま
しょう。

この世の価値観、競争や比較によって自分を価値あるものとしないで下さい。
あなたの価値は神の愛の中にこそあるのです!

天の父は、あなたが罪に滅びないために、御子イエスを遣わされるほどにあなた
を愛しておられるのです!天の父にはあなたは、御子イエスと同じ価値 がある
のです!

神の愛の中に自分を見出して下さい。神の中にあるあなたの価値は決して変わる
ことがありません。この世の中の否定的なことば、学歴や収入や持ち物 でこの
世はあなたの価値を定めようとします。その目的はあなたの価値を引き下げ、再
びこの世の奴隷とするためです。

惑わされてはなりません!キリストの愛から目を離してはならないのです。

キリストの愛に満たされ、キリストの愛に自分自身を捧げましょう。
互いに愛しあい、キリストの愛と赦しに生きましょう。神はあなたを通して、そ
うです、あなたは神の神殿です。あなたを通して神はご自身の栄光を、 ご自身
を表されます。