「主の御顔を避けた預言者」

聖書箇所:ヨナ書から

【主の御顔を避ける預言者ヨナ】

「アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。『立って、あの大きな町
ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来 たから
だ。』しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、
ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を 払ってそれに乗
り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。そのと
き、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起 こり、船は難破しそ
うになった。」ヨナ書1章1-4節

預言者ヨナは北イスラエルで活動した預言者です。第二列王記14章25節には
ヤロブアム王の時に、イスラエルが領土を回復する預言をしたことが記 されて
います。
領土問題は国にとって大きな問題です。ヨナの預言によって王と軍隊が励まさ
れ、問題を解決したのですから、ヨナはイスラエルの中では大きな評価を 受
け、影響力を持っていたと預言者考えられます。

神さまの大きな働きをしていたヨナですが、「立って、あの大きな町ニネベに行
き、これに向かって叫べ(2節)」と語られた神のことばに対しては背 を向けま
した。
ニネベはイスラエルの敵、やがてイスラエルを滅ぼすアッシリヤ帝国の都でした。

ヨナは神の御顔を避け、主のみことばに背いてニネベとは反対の方向、タルシ
シュへと逃れようとしたのです。ニネベは今のイラクにあり、イスラエル から
は東です。
タルシシュは今のスペイン南部にあると考えられ、イスラエルからは西です。
まさにヨナは神のみこころに背を向けました。

ヨナが神の御顔を避け、タルシシュ行きの船に乗り込み、航海を始めると、神は
嵐を起こし、ヨナの行く手を阻もうとされました。

どんなに用いられ、力のある神の器であっても、神から離れてしまうなら、途端
に力を失い、困難な状況に直面します。
どんなに過去、神に用いられたとしても、力は神から来るのです。
神を離れては、私たちは実を結ぶ働きを何一つもすることは出来ません。

ヨナに次々と起こる状況の一つひとつは、神に背を向ける者が同じく直面するこ
とです。

ヨナの乗った船は嵐に行く手を阻まれました。
私たちが神のことばに背を向けても、突風が吹き、嵐になることはありません。
しかし、神の御顔を避け、神のことばに頑なに背を向けるなら、私たちの心のな
かに嵐が吹き荒れるのではないでしょうか。心の平安、喜びは一瞬のう ちに消
え去ります。
やがて心のなかの嵐は、親しい人間関係にも悪影響を及ぼします。
詰まらないことでぶつかったり、怒りや刺々しいことばで傷つけあう。
親しい人との人間関係は、そのまま、あなたの心の状況を表し、神さまとの関係
を反映しています。

心のなかの嵐に気付いたら、私たちは素直に神さまのもとに立ち返りましょう!

嵐の中でもヨナは尚も悔い改めず、「船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝
込んでいた。(5節)」とあります。異教徒の水夫たちはそれぞれの 神々に向
かって祈り、叫んでいる時、真の祭司であり預言者であるヨナはぐっすりと寝込
んでいたのです。

神の御顔を避け、神のことばに背いていると、私たちはヨナのように霊的に眠り
込んでしまいます。霊が眠っている人は祈れなくなり、神に対して無感 動、無
関心になります。

誰かと和解しなければならないのに、その聖霊の勧めに背を向けながら、神から
の赦しを受けることは出来ません。もちろん信仰により赦されてはいる のです
が、その赦しを自分の心が拒絶しているのです。

聖書を読んでも心に響いてこない、神の愛と赦しが実感できない。祈れない、礼
拝が苦痛と思うなら、あなたの霊は眠っているかもしれません。

自分の霊が眠り込んでいる、神のことばに感動しないなら、直ぐに罪を認め、悔
い改めましょう。背を向けている、従いたくない神さまのみことばはな いか、
聖霊を悲しませている罪はないか、心のなかを探ってみましょう。そして心から
悔い改めましょう。

「あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いっ
たいどこの民か。(8節)」

ヨナは水夫に詰め寄られて、やっと自分のことを話し出します。
ヨナは自分の証が出来なかったのです。
私たちは自分に起きた神さまの素晴らしい働きを証しすることによって、神さま
に栄光をお返しします。これは素晴らしい礼拝であり、伝道の働きで す。

神に背を向け、神のみことばに背いていると、私たちは証が出来ない者になります。
神さまとの生き生きとした霊と魂の交流がないからです。
証が出来ない、霊的に眠ったままの状態に安住しないで下さい!

あなたが背を向けているみことば、あなたが従いたくない神からの使命、それは
あなたにしか分かりません!

しかし、あなたが神との関係の回復を求めて祈るなら、聖霊はすぐにあなたに悔
い改めるべき心の態度、あなたが背いている神のみことばを示してくだ さるは
ずです。

神さまとの生き生きとした心の交流を求め、それを妨げている罪を、間違った心
の態度を悔い改めましょう。神を第一とし、間違った優先順位を改めま しょう。

「それで人々は非常に恐れて、彼に言った。『何でそんなことをしたのか。』
人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。 ヨナ
が先に、これを彼らに告げていたからである。」

ヨナは預言者として、神に喜ばれる生き方は何かを告げるものでした。
しかし神に背を向けたヨナは、異教徒から罪を指摘され、断罪されるものとなり
ました。「あなた、それでもクリスチャンですか!」と、私たちも神に 背を向
け、悔い改めをためらっているなら更に罪の深みに落ち込んでいきます。

ヨナは遂に海に投げ込まれ、海の底へと落ちていったのでした。

神の御顔を避け、神のみことばに背いて幸せになった人は一人もいません!
神から遠ざかるところには問題の解決はありません。そこにあるのは滅びだけです!
心から神を礼拝しましょう!神を求めましょう。
従っていない神の戒めがあるなら、罪を告白し、赦しを求め、罪を捨てましょう。

「あなたには、わたしのほかに、神々があってはならない」これは最も大切な戒
めです。
私たちの主なる神以外に、いかなる偶像、オカルト、占い、魔術とも関係を持っ
てはなりません。それらを捨て去り、関係を断ち切ることなしに、真の 神との
生き生きした霊の交流を持つことは出来ません!

隣人との関係はどうでしょうか。
誰かを憎みながら、神を愛することは出来ないことです。
憎しみを放棄し、赦すことを選びましょう。絶えず赦すことです!
うわさ話、陰口、人格を引き下げることば、全て捨て去りましょう。

悔い改めを先延ばしてはなりません。聖霊が心に示される時、直ぐに罪を捨てま
しょう!

【悔い改める預言者ヨナ】

ヨナは海に投げ込まれ、海の深みにまで沈んでいきます。
しかし、憐れみ豊かな神は大きな魚を備えて、ヨナが溺れ死ぬことから救います。
ヨナは神の御顔を避けようとしましたが、神の御前から逃げ切れる者はいません。

「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れ
て、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなた はおら
れ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」詩篇139編7.8節

弱さの故に大きな罪を犯したとしても、赦されない罪はありません。
どんなに神から離れていても、神は決して私たちを見捨ることはされないのです。

神がヨナに嵐を送られたのは、進む道が間違いっていることを示すためであり、
ヨナを滅ぼすためでは決してありませんでした。

神は海に沈むヨナに大魚を備え、悔い改めの機会を与えたのです。

ヨナは大魚の腹の中で悔い改めました。
再び神に犠牲を捧げる礼拝の思いを新たにし、神に仕える決心を新たにしたのです。

「私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしま
しょう。救いは主のものです。」ヨナ書2章9節

いけにえを捧げるとは、自分自身を神に捧げることを意味しています。(ローマ
12章1節)
これこそが神に喜ばれる本当の礼拝です。
悔い改めとは、自己中心を捨て、神を第一に、神に自らを捧げて生きる生き方に
方向転換することです。日々神を礼拝し、神のことばに従って生きる生 き方こ
そ悔い改めなのです。

私たちが悔い改めて神を礼拝するものとなる時、あらゆる嵐は過ぎ去り、心の中
には平安と喜びが戻ってきます。

【宣教する預言者ヨナ】

「ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、『もう四十日する
と、ニネベは滅ぼされる。』と言った。そこで、ニネベの人々は神を信 じ、断
食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。」ヨナ書3章3.4節

ニネベに行き、ニネベで宣教することは神の思いであり、ヨナがしたいことでは
ありませんでした。ヨナにとっては、何としても避けたいことだったの です。
しかしヨナは自分の願いではなく、神の御心に従いました。
自分の思いに死んで、神の御心に生きたのです!
すると、考えられないようなことが起こりました。
アッシリヤの都、ニネベの人々が悔い改め、真の神を信じるようになったのです!

自分の思いに死に、神のみことばと御心に従う時、私たちの中に聖霊の実は結ば
れます。
私たちは永遠に残る救いの実、聖霊の実を豊に結ぶ者になりましょう。
キリストにしっかりと結び合わされ、神の言葉と精霊に導かれる時、豊な実を結
びます。

【神に怒る預言者ヨナ】

4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
4:2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申
し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたの
で す。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み
豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
4:3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死ん
だほうがましですから。」
4:4 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」

ニネベの人々が悔い改めたことは、ヨナを不快にさせ、神に対する怒りになりま
した。
ヨナはニネベが滅びることを願っていたからだと考えられます。
ニネベはアッシリヤ帝国の都でした。ヨナはアッシリヤが回りの国々対して犯し
た残虐な行為を知っていました。やがてアッシリヤがイスラエルを滅亡 させる
ことも知っていたのでしょう。イスラエルの敵が救われることを喜ぶことなど、
愛国者であるヨナには出来ないことでした。まして自分がイスラ エルの敵を助
けたことは大きな屈辱でした。

そのようなヨナに対して主は「あなたの怒りは正しいか」と問われました。

神はニネベの人々をも愛していました。
神はニネベの人々が滅びることを願わず、悔い改めて生きることを願っていたの
です。

55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたが
たの道と異なるからだ。――主の御告げ。――
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わ
たしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

敵国アッシリヤを助けることはイスラエルのためにはならない。
ヨナの考えは小さく、的外れでした。
アブラハムが神に選ばれたのは、アブラハムだけが祝福されるためだけではな
く、彼によって地上の全ての民族が祝福されるためでした。(創世記12 章3節)
イスラエルの存在意義は、自分たちだけが恵まれるためではなく、その恵と祝福
を神を知らない国々に伝えるためでした。しかし、イスラエルは自分に 与えら
れた使命を見失い、自分だけが祝福されることを願い、さらにこの世の繁栄を求
めて偶像礼拝へと堕落したのです。

イエスさまは私たちに「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と教
えられました。自分のためだけに祈り、自分の祝福だけを求めるもの は、やが
て祝福の中で真のいのちを見失うのです。しかし、主のみ言葉に従い、敵さえ愛
し、祝福する時、真の命を見出すと言えるでしょう。

ヨナの宣教によってニネベは悔い改め、アッシリヤはその後40年、イスラエル
を侵略することはなかったのです。残虐なアッシリヤが罪を悔い改めた 結果だ
と確信します。
しかし悔い改めは長くは続かず、アッシリヤはやがて自らの罪のために滅ぼされ
ます。
(アッシリヤの滅亡に関してはナホム書に預言されています。)

ヨナの宣教は、偏狭な考えでは自国にとってはマイナスに思えるでしょう。
しかし、実際はニネベも救われ、イスラエルもアッシリヤの侵略から守られるこ
とになったのです。

自分の敵を呪い、憎しみ、肉の力で戦うことは、お互いを滅ぼします。
しかし、主のみ言葉に従って、赦し、祝福し、愛するなら、敵も自分も救われる
のです。

私たちは恵みによって赦されました!主イエスの限りない愛によって救われ、赦
され、変えられたのですから、私たちは心から隣人を愛し、赦し、祝福 しま
しょう。
これがイエス様に従う道、また自分も隣人もともに恵みにあずかる道です。