「根深い怒りからの解放」

聖書箇所:オバデヤ書から

「オバデヤの幻。神である主はエドムについてこう仰せられる。私たちは主から
知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。『立ち上がれ。エドムに 立ち向
かい戦おう。』」1節

オバデヤ書はイスラエルの南東に位置するエドム国への神の裁きを伝えています。

「 あなたの兄弟ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠
に絶やされる」10節

「あなたの兄弟、ヤコブ」とあるように、エドムはイスラエルと本来は兄弟の関
係にある国でした。ヤコブの父イサクと母リベカは双子を出産しまし た。長男
がエサウで次男がヤコブでした。エサウはエドム国の祖となり、ヤコブは神から
イスラエルの名前を与えられ、イスラエルの祖となりました。

ヤコブとエサウは生まれた時から足を引っ張り合う関係にありました。

「出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。
最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウ
と名づけた。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつ かんで
いた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳で
あった。この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、 野の人とな
り、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。イサクはエサウを愛してい
た。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカは ヤコブを愛してい
た。」創世記25章24-28節

ヤコブは先に生まれた兄エサウのかかとを掴みながら、文字通り足を引っ張りな
がら生まれてきたのです。かかとはヘブル語で「アケブ」、これが何と ヤコブ
の名前の由来でした!
二人は生まれた時から競争相手でした。
両親の歪んだ愛情も重なり、二人は争い、騙し、憎しみ合う関係へと陥ります。

エサウはずる賢い弟ヤコブに対し怒り、嫉妬し、憎しみました。
この根深い怒りが子孫にも引き継がれ、やがてエドム民族を滅亡へと追いやるの
です。

一方、ヤコブは父親を騙して祝福を兄から奪いますが、自分の撒いた罪を刈り取
ることになります。彼は故郷を追われ、叔父に騙され、妻や子どもにも 騙され
ます。
遂にヤコブはヤボク川の渡し、ペヌエルで神と格闘し、神に跪いて祝福を求めます。
彼の生まれながらの罪深い性質は砕かれ、新しい心が与えられるのです。
その時、神からイスラエルという新しい名が与えられました。

ヤコブは自分の罪と向き合い、神と向き合い、遂に神の恵によって心を変えて頂
きました。
しかしエサウは心が変えられませんでした!
彼は怒り続け、兄弟を妬み続け、遂に彼の子孫たちをも滅びに向かわせたのです。

「また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利
を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。あなたがたが 知って
いるとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙
を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんで した。」ヘブ
ル人への手紙12章16.17節

ヘブル人への手紙の著者は、霊的な教訓としてエサウを引用し、私たちに教えて
います。
エサウのようであってはならない!と私たちをいましています。

エサウは涙を流して深い後悔をしましたが、それでも祝福を受け継ぐことは出来
ず、その子孫は祝福ではなく、神の激しい怒りと憎しみ、滅びを受け 取ったの
です。

なぜでしょうか?エサウの心が変えられなかったからです!
エサウは祝福を受けられなかったことを後悔しましたが、兄弟ヤコブへの嫉妬、
憎しみ、根深い怒りを手放すことをしなかったからです。

これが私たちへの霊的な教訓、戒めでもあります。
私たちは誰かに対して怒り続けてはならない!
嫉妬や憎しみの感情を抱き続けてはならないのです。
それに気が付いたらなら、主のもとに告白し、罪を告白し、捨てなければならない。
怒り、憎しみ、妬みの感情が消え、祝福する心が与えられるまで続けなければな
らない。ヤコブが自分の罪と向き合い、神と格闘して遂に心を変えて頂 いたよ
うに。

自分の憎しみを、妬みを放置してはなりません。
それは根深い怒りとなり、遂にはあなたと、あなたの子孫まで滅ぼしてしまうの
です。

【根深い怒りの原因と解放】

怒りは心と体に悪影響を及ぼします。怒りは心拍数、血圧も上昇させ、それが長
く続くなら、不眠や胃痛になり、体に大きな負担を掛けます。怒りは冷 静な判
断を狂わせます。
怒りは神の恵み、愛、喜びに対しても目が開かれない、霊的な盲目状態をもたら
します。

しかし、怒りの感情だけに目を向け、取り扱っても、何の解決にもつながりません。
怒りには原因があります。その原因を取り除かない限り、怒りから解放されるこ
とはありません。嫉妬や妬みのマイナス感情も同じです。それは木に例 えるな
ら実の部分であり、根を絶たない限り、絶えずマイナス感情の実が結ばれてしま
うのです。

エサウの怒りの原因、その根は何処にあったのでしょうか。

それは、「神の選び」を理解しない頑なな心にありました。

エサウの怒り、妬みの原因は神の選びを受け入れない心にありました。

「イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからであ
る。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。子ど もた
ちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は「こんなことでは、
いったいどうなるのでしょう。私は。」と言った。そして主のみこ ころを求め
に行った。すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二
つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民よ り強く、兄が弟に
仕える。」創世記25章21-23節

エサウとヤコブの関係は、生まれる前から神のことばによって定められていました。
「一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」
これがエサウとヤコブの関係を決める神のことばでした。

長子の権利はヤコブが奪い取らなくても、初めからヤコブのものでした。
兄エサウはヤコブに仕える存在として神に定められていたのです。

神の確かなことばをいただきながらも、イサクもリベカも、エサウもヤコブも主
のことばを軽んじてしまいました。ここに大きな不幸の原因があったの です!

私たちの生まれながらの性質は、仕えることを嫌います。
エサウは弟ヤコブに長男の権利が渡ったことが、神の摂理によると理解できず、
怒ります。
その怒りは、神の定めとことばを受け入れるまで、決して治まることはありません。

私たちは、それぞれ違っています。違いがあるからこそ、個人は素晴らしいのです!
性別の違い、人種の違い、国籍の違い、能力の違い、感性の違い、様々な違いが
あなたを形作っています。それは神が一人ひとりを特別な存在としてデ ザイン
されたのです。
そして、それぞれに神が用意された役割があるのです。

個人の違いを比較しても意味のないことです。それぞれが素晴らしいのです。

神は兄エサウが弟ヤコブに仕えることを定められました。
それはヤコブ:イスラエルの家系から救い主が誕生するためです。

エサウよりヤコブのほうが優れていたのではありません。
弟ヤコブに仕えるからと言って、兄エサウの方が劣っているのでは決してないの
です。
それぞれの役割です。ある人はリーダーに向いている人がおり、ある人は有能で
あってもサポートする側に回るほうが働きが上手く行くのです。

しかし人間の中にある罪深い性質が神さまの計画を台無しにするのです!
エサウは弟ヤコブを祝福し、仕えることを蔑み、憎みました。
イスラエルが苦しむ時、エドムは敵側に付いてイスラエルを苦しめ続けました。
イスラエルを滅ぼすことによって、エドムは自分の有能さを示したかったのです。
これこそ肉的で幼稚な考え方です。

教会でもこのようなことは起こります。
教会のプロジェクトでリーダーを立てると、「誰々さんがリーダーなら私は手伝
わない」と協力しない人がいました。自分と考えが異なる人には協力し たくな
い、自分が嫌いな人には手伝いたくない。これは肉的な(生まれつきの罪深い)
反応です。

しかし、このような時こそ、私たちの信仰が試される素晴らしい時です!
主の栄光を表すためなら、自分と考えや好みが違う人とでも喜んで協力する。こ
れが自分の十字架を背負うことではないでしょうか。

自分の十字架を背負わない人は、いつしか真の自分のいのちを見失うと主は警告
しています。

バプテスマのヨハネを見てみましょう。彼はイエス様に洗礼を授け、イエスさま
の働きの準備をするために神によって用意された人でした。バプテスマ のヨハ
ネを通して、多くの人が罪を悔い改め、救い主を受け入れる砕かれた魂に変えら
れました。

バプテスマのヨハネの優れた所は、決してイエス様を超えようとはしなかったと
ころです。
もし彼がイエス様を追い抜こうとしたら、彼は偽キリストになっていたことで
しょう。

「ヨハネは答えて言った。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受ける
ことはできません。あなたがたこそ、「私はキリストではなく、その前 に遣わ
された者である。」と私が言ったことの証人です。花嫁を迎える者は花婿です。
そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の 声を聞いて大
いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んに
なり私は衰えなければなりません。』」ヨハネ3章27ー 30節

バプテスマのヨハネは怒り、嫉妬とは無縁であり、自分の務めを心から喜んでい
ました。
主イエスがますます盛んになることを心から祝福し、喜んでいたのです。

エドムもイスラエルに仕えるという特権が与えられながらも、肉的な栄光を求
め、神のことばと計画に逆らったので、栄光を受けることは無く、恥と滅 びに
定められたのです。

私たちは自分に与えられた個性、賜物を主の栄光のために捧げましょう。
皆さん一人ひとりはキリストの体を建て上げるための大切な器官です。
お互いに仕え合うことを通して、キリストの体を建て上げましょう。
喜んで教会のリーダーたちに協力し、自分の栄光ではなく主の栄光を求めましょう。
恨みや妬み、怒りの根は断ち切られ、私たちの心は喜びで満たされます。

【妬みからの解放】

「神の選び」を拒否し、人間的な力でイスラエルを乗り越えようとしたエサウと
その子孫は、妬みと憎しみ、根深い怒りから解放されることがありませ んでした。

エサウは誤解していました。ヤコブだけが選ばれ、自分は捨てられたのだと。
そうではありません!エサウにはエサウにしか出来ない大切な役割がありました。
しかし、一番でなければ敗北者、仕えることは負けることという人間の罪の性質
が、自分に与えられた尊い神の使命を見えなくさせてしまったのです。

私たち一人ひとりは神によって設計されています!神の作品、神のデザインです!
天地が造られる前から、神は私たち一人ひとりを大切な存在として設計され、役
割を与えられました。性別も、人種も、国籍、性格、能力、どこで生ま れるの
かも偶然ではありません。神は深い愛と配慮を持って、私たちをデザインされた
のです。

個人の違いは、決して比較することによって優劣を決めるために与えられたもの
ではありません!

それぞれに神から与えられた大切な役割があるのです!

私たちは天の父の愛を信じて、それぞれに与えられた人との違いを感謝し、受け
入れましょう。そして、その個性を比較や競争のためではなく、キリス トの体
を建て上げるために積極的に神に捧げていきましょう。

その時、あなたは他人と自分を比較して落ち込んだり、嫉妬することから解放さ
れます!

神はあなたに、他人と比較して完全になることを願っていません!
あなたは既に、神に計画された完全な存在なのです。(もちろん、訓練や経験は
必要です)
しかし、どんな人間もそうですが、個人では完全にはなれないのです。
個人で完全になろうとする価値観、これが現代の個人主義の価値観です。

聖書は個人主義の価値観とは反対の価値観を持っています。
自己中心の罪深い性質に死に、キリストの体を建て上げるために積極的に仕え合
い、自分を与え合うこと、これこそが本当の幸せだと教えています。

キリストの体である教会を建て上げるために、自分を捧げる時、あなたの個性は
初めて意味を持ち、用いられるのです!その時、あなたは自分がなぜ人 と違っ
た存在に造られたのか、その意味を見出すことが出来るのです。

12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、から
だの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリス
トもそ れと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一
つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべて
の者が 一つの御霊を飲む者とされたからです。 12:14 確かに、からだはただ一
つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったと
ころで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。 12:16 たと
い、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そ
んなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ
全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。 12:18 しかしこのとお
り、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったの
です。 12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこ
にあるのでしょう。 12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、か
らだは一つなのです。 12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要
としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要
としない。」と言うこともでき ません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってな
くてはならないものなのです。 12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に
尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのし
ない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったとこ
ろをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためで
す。 12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一
つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

皆さん、妬み、嫉妬、比較から解放されるために聖霊のバプテスマを受け、御霊
に満たされましょう!神の聖霊に満たされたものは個人の満足ではな く、キリ
ストの体、教会の満足を求めるからです。
キリストの体の完成、成長を願うものは、自己中心から解放されています。

十字架に貼りつけたはずの自己中心、自己満足を満たそうとするから、いつも心
は焦り、出来ない自分を攻め、自分を惨めに思うのです。なぜ既に死ん だ生き
方に戻りたいのですか。

あなたの本当のいのちはキリストの中にあるのです!キリストの体は教会です。
天の父はあなたに貸与えている才能を教会を建て上げるために用いることを願っ
ています。
なぜならあなたはその為にデザインされているからです。
あなたに貸し与えられている能力を兄弟姉妹を建て上げるために用いる時、あな
たは本当の満足を覚えるはずです。

比較、競争の中に自分の価値を見つけず、キリストの体の中に自分の存在価値を
見出して下さい。
あなたは自分の存在を天の父に感謝し、妬みや怒りから解放されて、本当の自分
を生きるでしょう!