「恵みの年のはじまり」

ルカによる福音書4章16-21節

「それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会
堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が 手渡さ
れたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。『わたしの上に
主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるように と、わたしに油
を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には
目の開かれることを告げるために。しいたげられている 人々を自由にし、主の
恵みの年を告げ知らせるために。』イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられ
た。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イ エスは人々にこう言って話し
始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現
しました。』」ルカによる福音書4章 16-21節

【天の父が遣わされた救い主はイエスさまだけです!】

イエスさまはご自分の故郷ナザレの会堂で、ご自分が神から遣わされた救い主キ
リストであることと、福音の内容をイザヤ書の預言の言葉を通して伝え られま
した。

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるように
と、わたしに油を注がれたのだから。(18節)」

イエスさまこそ、天の父が遣わした、完全な救い主です!
私たちは、イエスさまを神が遣わした唯一の救い主キリストとして信じ、受け入
れることによって救われるのです。

聖書は一貫して、イエス・キリスト以外に救いがないことを教えています。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほか
には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与え られて
いないからです。」
使徒の働き4章12節

天の父は確かな救いをイエスに委ねて、私たちに遣わして下さったのです。
私たちはイエスが与えて下さる救いを心から期待し、信じましょう。

【主の恵みの年の始まり】

天の父がイエスさまを遣わしたのは、「主の恵みの年」を告げ知らせるためでした。
ここにイエスさまが伝える福音の本質が示されています。

旧約聖書レビ記の25章10節には、神が「ヨベルの年」を設けられたことが書いて
あります。「ヨベルの年」とは、50年ごとに訪れる恵みの年で す。
この年は安息年であり、農作業をしなくても食べられるように、神がその前の年
に倍の収穫を与えて下さると約束されています。人も農地も労働から解 放され
る年です。
全地は罪のために呪わました。安息年は罪の呪いから解放されることを意味して
います。

また、この年は自分が手放した土地が、再び自分の所有となる権利回復の年でした。
イスラエルは全ての人に土地が分け与えられていました。しかし、貧しさの故に
土地を手放すこともあったのです。しかしヨベルの年には売主に土地を 返すこ
とが定められ、イスラエル人は先祖から受け継いだ土地を失わずに済むというの
です。

またヨベルの年は土地ばかりでなく、たとえ貧しさの故に奴隷の身分に転落して
も、再び自由人にされる恵みの年でした。失った自分の身分が回復され る年な
のです。

このような恵みに満ちた制度が旧約の律法の中には定められていたのです。
しかし残念ながら旧約の歴史の中では、ヨベルの年が守られたことが書かれてい
ません!
旧約時代には、残念ながら主の恵みの年は訪れなかったのです。

しかし、イエスさまは「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたと
おり実現しました。(21節)」と恵みの年の始まりを宣言されまし た!

パウロも「今は恵みの時、今は救いの日です。(Uコリ6章2節)」とイエス・キリ
ストによる恵みと救いの日が今も継続していることを教えていま す。
この驚くべき神の恵みは、イエスを信じる信仰によってあなたに与えられるのです。

【捕われ人には赦免を】

天の父がイエスさまを遣わされたのは、「捕らわれ人に赦免を(18節)」伝えるた
めです。

イエスさまは「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。(ヨハ 8:34)」と言わ
れました。
私たちは誰もが罪の奴隷であり、罪のもたらす永遠の滅びに定められていたのです。
誰一人、自分の努力・修行によって罪の性質に打ち勝つことは出来ません。

神と隣人を自分のように愛するよりも、神と隣人を自分のために利用し、仕えさ
せたい、自己中心の性質のほうが勝るのです。この罪の性質はアダムか ら代々
受け継いだものであり、誰一人として、この性質に勝つことは出来なかったのです。

しかし、イエスさまは罪と死に捕らわれている私たちに赦しと開放をもたらすた
めに来られました。私たちの罪を身代わりに十字架に背負い、罪の罰で ある死
を身代わりに受けられたのです。

パウロは信仰の表明であるバプテスマ(洗礼)を通して、私たちもキリストの十字
架の死を受け、罪に縛られた古い性質が葬られたと教えています。

イエス・キリストの十字架の死とともに、古い自分は死んだのだと信じること
に、この信仰を通し、罪から解放されるのです。

「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられ
た教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったの で
す。」ロマ6章17.18節

私たちはイエス・キリストによってもはや「罪の奴隷」ではありません。
今私たちは「義の奴隷」です!
神に従い、神と隣人への愛に生きる新しい性質が与えられているのです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのでは
なく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世 に生き
ているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰
によっているのです。」
ガラテヤ人への手紙2章20節

これがキリストの救いを受けた私たちの新しい姿です!
いま、信仰を持ってこのみ言葉を宣言しましょう。そして毎日、古い自分はキリ
ストとともに死んだこと、いまキリストの復活のいのちに生かされてい る新し
い自分であることを覚え、神の愛と赦しに生きましょう。

【盲人には目の開かれることを告げるため】

天の父がイエスさまを遣わされたのは、目の見えない人を見えるようにするため
です。

イエスさまは癒しを求めてやってきた全ての人を癒されたと聖書には書いてあり
ます。
神の国はイエスさまとともに来たのです!神の完全な支配の中には死も病もあり
ません。イエスさまに癒されたものの中には、生まれつきの盲人の方も いました。
イエスさまが再臨され、神の国が完全に訪れる時、私たちの肉体の弱さも神の命
によって覆われ、完全な救いが実現します。

イエスさまは肉体的に目が見えない人の目を癒されただけではありません。
イエスさまは霊的な盲人の目も開いて下さいました。
私たちは誰でも、イエスさまに出会う前は霊的な盲人です。

石や木で作った偶像を神として拝み、神の愛を知らず、神を自分の利益のために
だけ利用する者でした。天地を創造された全能者、また天の父なる神と その愛
が見えませんでした。真の神の御姿は、イエスさまを通してのみ見ることが出来
るのです。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。」ヨハネ福音書1章18節

イエスさまを通して、真の神を知ること、その御方を天のお父さんとお呼びでき
ること、これほど嬉しいことはありません。

私たちは罪のために失った霊的な視力を、イエスを信じる信仰によって取り戻す
のです!

私たちはまだまだ霊的な真理が見えないものかもしれません。
神の国よりも、この世を優先したり、天の父の愛よりも、他のものを愛している
なら、私たちの霊の目はまだまだ癒されていないのかもしれません。

霊的な盲目が癒され、霊的な視力が回復するように、天の父に求めましょう。
聖書の真理がハッキリ見えるように、天の父の愛がどれほど大きいのかハッキリ
と見ることが出来るように祈りましょう。

私たちが求めるなら、必ず主は私たちの霊的な視力を回復させて下さいます。

【主の恵みの年を告げ知らせるため】

天の父がイエスさまを遣わされたのは、「しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるため(18.19節)」です。

イエスさまは恵みの年が始まったことを宣言されました。
罪の呪いから解放され、罪のために失った権利が回復される年が始まったのです。

イエスさまの有名なたとえ話に放蕩息子の話があります。(ルカ福音書15章11-24節)
息子は父が生きているにも拘わらず財産を分けてもらます。財産を手にした息子
は故郷を離れます。しかし大切な財産を放蕩して失い、食べていくのに さえ困
り果てます。
息子は故郷から遠く離れた地でユダヤ人の嫌う豚の世話をして惨めな生活します。
それでも放蕩息子は貧困に喘いでいました。
これは罪の故に神との関係を失い、この世にあって罪の呪いに苦しむ私たちを表
します。
しかし放蕩息子は父親に赦され、受け入れられ、息子としての権利を回復するの
です。
これがイエス・キリストにある恵みです!

私たちはイエス・キリストという天の父が用意された恵みの道を通って、天の父
のもとに再び帰ることが出来るのです!
罪の故に失った神の子供としての特権、神とともに永遠を生きる特権を回復する
のです。

私たちは、これほどの大きな恵みを受けているのですから、恵みを自分だけで留
めることをせず、主とともに恵みの年を告げ知らせるものになりましょ う!

神の愛と赦し、この驚くべき恵みを知らない人が私たちのまわりにはたくさんい
ます。
天の父のもとに帰る唯一の道である主イエスとその恵を告げ知らせましょう。