「復活は信仰の土台、私たちの希望の源!」

聖書箇所:ヨハネ福音書20章1-10節
「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あ
なたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。私たちがこの世に あってキ
リストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀
れな者です。」
第一コリント15章17.19節

復活のないキリスト教、それは何の価値なく、信じている者も哀れな者だとパウ
ロは言います。イエス・キリストの復活こそ信仰の土台であり、私たち の希望
の源です!

イエス・キリストは2千年前、十字架で死なれ、三日目に確かに復活されました!
今日はイエスさまの復活を記念し、心から主の復活の勝利を祝う礼拝です。

【イエス・キリスト復活の日の朝】

「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来
た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモ ン・
ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。
『だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私 たちには
わかりません。』そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ
行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペ テロよりも速
かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が
置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。シモン・ペ テロも彼に続いて来
て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、
亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたま まになっているのを見た。
そのとき、先に墓についたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信
じた。彼らは、イエスが死人の中からよみが えらなければならないという聖書
を、まだ理解していなかったのである。
それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。」ヨハネ福音書20章1-10節

復活の日の朝の出来事が描かれています。まだイエスさまが復活することを理解
していなかった弟子たちには、目の前に起きている大変な出来事にただ 驚くば
かりでした。
しかし、弟子たちが目にしたもの、それは確かにイエスさまは復活されたと確信
させるに十分なものでした。

復活はキリスト教の土台、私たちの信仰の土台です!
イエス・キリストの復活に確信が持てないなら、信仰は虚しく、力のないものに
なります。もしキリストが未だ死んだままなら、私たちの罪は赦されて いない
ことになります。
なぜなら私たちの罪がキリストを死に縛り付けているからです。
もしキリストが復活しなかったなら、だれが永遠のいのちを私たちに与えること
ができるでしょう。復活のない信仰は虚しく、私たちに何の希望も力も 与える
ことが出来ません。

しかし復活に確信を持ち、あなたの信仰の揺るがない土台であるなら、あなたは
罪の赦しの確信を持ち、死を恐れず、絶えずキリストの復活のいのちに 満たさ
れる者になります。キリストの復活の確証を得て下さい!信仰の土台を揺るがな
いものにして下さい。

キリストの復活に確信を持つためには二つのことが重要です。

@キリスト復活の客観的な証拠を持つ!

「見て、信じた」ヨハネ20章8節

キリスト復活に対する揺るがない土台を築くために、「見て、信じる」ことが重
要です。
それはキリスト復活の客観的な証拠を持つことです。

Aキリスト復活の意義を聖書から理解する!

「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、ま
だ理解していなかったのである。」ヨハネ20章9節

弟子たちは見て信じました。それも力強い信仰を与えますが、キリストの復活が
自分と何の関係があるのかを理解したのは聖書のみ言葉からでした。
弟子たちがみ言葉を通して、キリストの復活を理解しなかったら、キリストの復
活は単なる不思議な出来事で終わってしまったでしょう。

キリストの復活が、み言葉と信仰を通してあなたと結び合わされる時、復活のい
のち、希望の力があなたに注がれ、あなたは揺るがない信仰者へと変え られる
のです!

【弟子たちは何を見て信じたのか?】

復活の日の朝、弟子たちは何を見て、イエスさまの復活を信じたのでしょう。
それは私たちにも客観的な証拠となるでしょうか。

(1)空になったキリストの墓

復活の日の朝、マグダラのマリヤと女たち、そしてペテロとヨハネ(もう一人の
弟子)がまず見たものは空になったイエスさまの墓でした。

墓が空であるということは普通のことではありません!納めてあった遺体は何処
に行ったのでしょう。

イエスさまが十字架で死なれたことは、未だかつて誰も否定したことはありません。
これは歴史的な事実として、誰もが認めることです。
マリヤも十二弟子たちも、皆、その目で目撃したのです。キリストは確かに死ん
で墓に葬られました。そして現在キリストの墓として知られている墓は すべて
空です。
それなら、キリストの遺体は何処に行ったのでしょうか。

そこで考えられることは、@誰かがキリストの遺体を盗んで捨てた。A弟子たちが
キリストの遺体を盗んで捨て、復活したと嘘を付いた。B弟子たちが キリストの
墓を間違えた。Cキリストは初めから死んでおらず、仮死状態にあり、三日目に
元気になって自分で起き上がり、墓から出ていった。Dイエ ス・キリストは超自
然的な神の力によって復活した。

空になったキリストの墓を説明するために様々な仮説があります。
しかし、キリストが復活した仮設以外に、どれもが納得の行く説明になっていま
せん。

@誰かがキリストの遺体を盗んで捨てた。
墓泥棒は珍しいことではありませんでした。しかし、墓泥棒が盗むものは遺体と
共に埋葬されている貴重品です。イエスさまは何の貴重品も持っていま せんで
した。唯一、お金に変えられる貴重品といえば、イエスさまの遺体を包んでいた
亜麻布と、亜麻布とともに巻き付けられていた防腐剤の香料でし た。しかし、
これらは墓に残されていました。
遺体だけを何のために盗んだのでしょう? マタイの福音書ではローマ兵が番を
していたとあります。いのちの危険を犯して、お金にならない遺体を盗 む泥棒
がいるでしょうか。

A弟子たちがキリストの遺体を盗んで捨て、復活したと嘘を付いた。
最近、日本の新興宗教、オカルト狂信者たちが死者が復活すると信じて、家族の
遺体をミイラになるまで家に置く事件がありました。彼らの言う復活と 聖書の
復活は全く次元の違うものです。彼らの信仰は狂信ですが、それでも本当に復活
したことはありません。
違法行為を平然と行う狂信者でも、復活を偽装することは出来ません。

キリストの弟子たちがイエスの遺体を墓から盗み、遺棄して、イエスは復活した
と嘘を付くことは可能です。しかし、その嘘のために死ぬことが出来る かと考
えると、この仮説も妥当ではなくなります。十二弟子は、ヨハネを除いて、みな
キリストの復活を証言して処刑されています。ヨハネ自信もキリ ストの復活を
証しして、島流しにされました。
キリストの復活を目撃した弟子たちは五百名に達するとパウロが言っています。
そのほとんどが、キリストの復活を証ししたために迫害され、殉教しているのです。
嘘のために死ぬ変人はたまにはいるかも知れませんが、これほどの数の人が嘘の
ために進んで死ぬでしょうか?この仮説は妥当だと言えません。

B弟子たちがキリストの墓を間違えた。
数人の弟子ならともかく、すべての弟子が墓を間違えることは考えられないこと
です。
特にアリマタヤのヨセフは自分のために作った墓にイエスの遺体を収めたのです
から、彼が間違うはずがありません。この説も妥当ではありません。

Cキリスト仮死説
イエスさまは十字架に付けられる前から、ローマ兵の鞭を受けられました。この
鞭の先には鋭く砕けた動物の骨や、金属が結び付けられていました。打 たれる
度に、皮が裂け、肉は削られ、骨に達することもあり、鞭打ち刑だけで死に至る
こともあったのです。
その鞭打ち後、十字架に付けられ、大量の血を流し、最後は肺から心臓に達する
ヤリの一撃を受けられました。イエスさまは完全に死なれたのです。こ れほど
の深い傷を受けても死なず、手当を受けないまま、三日後に元気になって自分で
石の扉を開けることは考えられないことです。これも妥当とは言 えません。

Dイエス・キリストは神の超自然の力によって復活した。
そうです、キリストの空の墓を満足に説明できるのは、キリストが神の聖霊の力
によって超自然的に復活したこと以外に考えられないのです。空の墓が 事実な
のですから、それを満足に説明する仮設が必要です。他の仮設は退けられたので
すから、復活こそ最有力の仮説であり、弟子たちの証言も合わせ て、仮設を超
えた客観的な証拠であると言えるのです!

客観的な証拠について、納得されない方がいるかも知れません。
しかし、この客観的な証拠は力強い証言なのです。もし客観的な証拠が真実を明
らかに出来ないのなら、誰がいったい裁判で犯罪者を有罪に出来るで しょうか。
事件の多くが、直接の目撃者がいない状況で起こります。間接的ではあっても、
残された証拠が真実を明かしていくのです。

同じように、キリストの復活もあり得ないことのように思われますが、残された
証拠、証言を集めるなら確かにキリストは復活されたのだと確信に結び つくの
です。

(2)巻かれたままになった亜麻布

弟子たちが目撃したのは、空になった墓だけではありませんでした。
あり得ない状態の亜麻布を発見したのです。

20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた
所に巻かれたままになっているのを見た。

イエスの遺体に巻き付けられていた亜麻布が解かれず、巻きつけたと同じ状態で
置かれていたのです。亜麻布はそのままに、遺体だけが綺麗になくなっ ていた
のでした。
だから彼らは「見て、信じた」のです。

もちろん私たちは、その巻かれたままになっていた亜麻布を見ることは出来ません。
その時は、確かにキリストの復活を証言する客観的な証拠でしたが、今は見るこ
とはできません。しかし、その証拠を見た弟子たちの人生が変えられた ことは
見ることが出来ます。
ペテロは死を恐れて、イエスさまをその面前で三度も否定しました。しかし、イ
エスの復活と聖霊の満たしを受けた彼は、死を恐れずにキリストの復活 を証し
し、彼自身も十字架で処刑されたのです。キリスト復活の客観的な証拠、ペテロ
の変えられた人生はそれが確かであることを証明しています。

(3)変えられた人々の人生!

今日でも、キリストを信じる人々の生き方が変えられています。
私もその中の一人です!キリストの復活は私たちの人生を全く新しく変える力を
持っているのです。これは今日、私達が見ることの出来るキリスト復活 の確か
な証拠です。

キリスト復活の客観的な証拠を探して下さい。その証拠をしっかりと受け止めて
下さい。
すでにキリストを信じた人々に、キリストを信じることによって変えられた人生
を証ししてもらって下さい。それはあなたが見ることの出来るキリスト 復活の
客観的な証拠です。

【キリスト復活の意義を聖書から理解する!】

「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、ま
だ理解していなかったのである。」ヨハネ20章9節

キリストの復活が確かであっても、それを聖書のみ言葉によって理解しないな
ら、ただ不思議な出来事で終わってしまうのです。キリストの復活の事実 がみ
言葉により、信仰を持って受け入れられる時、あなたの人生を根本から変える力
になり、尽きることのない希望になるのです。

キリスト復活の意義を聖書から理解しましょう。

@イエス・キリストは眠った者の初穂として復活された。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられま
した。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通
して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいる よう
に、キリストによってすべての人が生かされるからです。」第一コリント15章
20−22節

キリストの復活は信じる全ての者に、同様の復活をもたらすのです。
キリストの復活は、キリストだけの不思議な出来事ではなく、キリストを信じる
全ての者がやがて必ず体験することなのです!

Aキリストは復活のいのちを与えるために復活された。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じ
る者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者 は、決し
て死ぬことがありません。このことを信じますか。』」ヨハネ福音書11章25.26節

キリストの復活は、信じる者に復活のいのちを与えます!
それは肉体の死後に限られた約束ではありません。信じる今、そのいのちを受け
るのです。

キリストを信じる前の私たちは既に霊的に死んでおり、心も霊のいのちを受けら
れずに、罪の支配のもとに置かれ、考えることはいつも否定的、破滅 的、自己
中心のことばかりです。霊が神との関係が絶たれ、死んでいるからです。
しかし、キリストを信じることにより、失われていた父なる神との関係が再開
し、キリストの復活のいのちが聖霊によって霊に注がれるのです!霊と魂 が復
活するのです。
これは誰もがキリストを信じる時に体験する第一の復活です。

「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえ
に、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―― あなたが
たが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、とも
によみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいまし た。」エペソ人への
手紙2章4ー6節

やがてキリストが再臨される時、私たちは肉体も復活します。その時、救いが完
成します。

Bキリストは死に勝利され復活された。

「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死
を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを 着、死
ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みこと
ばが実現します。『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死 よ。おまえのと
げはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に
感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストに よって、私たちに勝利
を与えてくださいました。」第一コリント15章53−57節

人類最後の敵である死に、キリストは勝利されたのです!復活のいのちは死を飲
み込み、勝利で覆ったのです。それならば、私たちは一体何を恐れま しょう?
信じる者に注がれる復活のいのちは、あらゆる恐れを勝利と希望で覆います!
キリストのいのちに満たされるよう、天の父に祈り求めましょう。

Cキリストは教会の頭となるために復活された。

「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよ
みがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、 権威、
権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえら
れる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさ いのものをキ
リストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、
教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであ り、いっさいのもの
をいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1章
20−23節

地上の教会は未完成ですが、しかし地上で唯一のキリストの体です!
教会の頭は復活のキリストです!私たちは教会の一部に組み入れられ、正しく機
能する時、満ち満ちたキリストのいのちを体験するようになります。

教会を離れて健全なクリスチャン・ライフ、霊的な成長を期待することは出来ま
せん。
確かに地上の教会は未完成ですから、問題や過ちもあります。しかし、ここを離
れてキリストの体は他にはありません。あなたもキリストの体に無くて はなら
ない大切な器官なのです。互いに愛しあい、仕え合うことを通してキリストのい
のちを輝かせましょう。

Dキリストは彼を信じる全ての者を義とするために復活された。

「また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえ
らせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエ スは、
私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられ
たからです。」
ローマ4章24.25節

キリストを神が遣わされた救い主と信じ、キリストの背負われた十字架を自分の
罪のためと認め、キリストが三日目に復活されたことを信じるものは誰 でも救
われます。
神はその者を義と認め、いのちの交わりを再開して下さるのです。これがいのち
であり、救いなのです!

キリストの復活は信仰の土台です。平安と喜び、希望の土台です。
私たちはキリスト復活の客観的な証拠を見て信じ、そして復活の意義を聖書から
理解して強固な信仰の土台を形作りましょう。復活はあなたの永遠のい のちを
支える土台だからです。