「心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ」

ヨエル書より

「かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが
食い、
 ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。」ヨエル書1章4節

預言者ヨエルが活躍した時代は、南ユダ王国のヨアシュ王(前835―796年)の時
代と考えられています。彼が預言活動を始めたきっかけは、国を 襲ったイナゴ
の害でした。
イナゴはイスラエルの小麦も大麦も食い尽くし、ぶどうを食い荒らし、いちじく
の木や果樹にも深刻な被害を与えました。牛や羊の牧草も食い荒らさ れ、家畜
にやる飼料もなくなったのです。国はイナゴの害がもたらした食糧危機によって
滅びようとしていました。

イナゴの害は旧約時代だけでなく、今日でも世界中で発生し、農業に深刻な被害
を与え、自然環境を破壊する深刻な問題です。イスラエルに害を与えた イナゴ
はサバクトビバッタと考えられます。生息地は広範ですが、東アフリカで大量発
生したサバクトビバッタが風向きによっては紅海を渡りイスラエ ルにまで飛来
することがあるそうです。
サバクトビバッタは普通の状態では緑色をしていますが、大量に発生すると群れ
を作り、色も茶色、赤と変色し、やがて黄色と黒の成虫になります。そ れは普
通の緑色をした物とは異なり長距離を飛ぶ長い翅(はね)を持ち、群れで行動し、
農作物を徹底的に食い尽くすバッタへと変化するのです。

かみつくイナゴ、イナゴ、バッタ、食い荒らすイナゴと四種類のイナゴが出てき
ますが、これらはサバクトビバッタの変化を描写しているのかもしれ ません。

イナゴの害は旧約聖書では神の裁き、また呪いと考えられていました。
神がエジプトに下した十の災の一つがイナゴの災いでした。(出エジプト10章
12節)
申命記には神の民が主の律法に背いた時の呪いとしてイナゴの害が挙げられてい
ます。

「畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。いなごが食い
尽くすからである。ぶどう畑を作り、耕しても、あなたはそのぶどう酒 を飲む
ことも、集めることもできない。虫がそれを食べるからである。」申命記28章
38.39節

ヨエルは国がイナゴの害によって滅びかけていた時、断食ときよめの集会を呼び
かけ、主の宮に集まり、悔い改めの祈りを捧げるよう呼びかけました。

「『しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもっ
て、わたしに立ち返れ。』あなたがたの着物ではなく、あなたがたの 心を引き
裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのに
おそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるから だ。」ヨエル書2章
12.13節

ヨエルは主の回復の約束に基づいて、イスラエルに呼びかけたのです。
その回復の約束とはエルサレムの神殿が主に捧げられた時、主が語られたのもで
した。

「すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈り
を聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮とし て選ん
だ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに
命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に 対して疫病を
送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈
りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち 返るなら、わたしが
親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。今、わた
しは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖 別し
た。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」U歴代7章12-16節

ヨエルはイスラエルの具体的な罪については言及していません。
しかし、まず第一に神との関係を正し、隣人との関係を正すことを求めました。
神と隣人の関係を正しくすること、それこそが試練を乗り越える力になります。

昨年起きた東日本大震災、それに続く余震を見ても分かるように、私達が住んで
いる世界は不完全です。この世界は決して永遠ではなく、何時、如何な る災害
が起きても不思議はありません。自然災害だけに限りません、事故や火災、戦
争、エネルギー問題、原発事故、この世界は私たちを脅かすものに 満ちています。

ヨエルの呼びかけを、私達への呼びかけとして聞き、神と隣人との関係が正しい
か吟味すべきだと確信します。

神との関係、家族、友人、地域との関係が正しく、愛によって建て上げ合う関係
ならば、私達は試練を乗り越えることが出来ます。
神に支えられ、隣人に支えられ、また互いに支え合って試練を乗り越えるのです。

ヨエルは断食を呼びかけました。これは試練や苦難に際し、自分の力に頼らず、
神にのみ頼ることを表現することでした。
断食は決して楽しく、楽なことではありません。苦痛を与えます。
自分が苦しめば、神が助けてくれると言うのは、恵みに立つ私達の立場ではあり
ません。

宗教に熱心になれば、災害から免れ、人生に苦難は訪れないと考えるのも私たち
の信仰ではありません。

天の父は、宗教に熱心なものを愛し、そうでない者を呪ったり、災害で懲らしめ
たりすることを決してしません!天の父の愛は無条件だからです。父は ご自身
のひとり子イエスを私達に与えるほどに、私達を愛しておられる方です。
神は私達が神を愛したから、私達を愛されたのではありません。
私達が罪人で、神に背を向けていた時に、私達をすでに赦し、愛されたのです!

天の父の愛に立ち返り、父の愛に励まされ、支えられる時、私たちは災害や試練
の中でも諦めずに人生を歩む力を得るのです。

イザヤは私達がすべき断食についてこのように教えています。

「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめを
ほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕く ことで
はないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人
を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。
そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされ
る。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがり となられる。
そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにい
る。」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指 をさす
ことや、つまらないおしゃべりを除き、飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満
足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗 やみは、真昼
のようになる。
主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あな
たの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれな い源のよ
うになる。
あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、
「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。
もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせ
ず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼 び、これを
尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、 そのとき、あ
なたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行か
せ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が 語られた
からである。」イザヤ書58章6-14節

試練の時に、神と隣人との関係を正すことも大切ですが、それは消極的です。
私達はもっと積極的に、何も問題が起こらなくても神と隣人を愛する人生。隣人
に仕え、徳を高める人生を歩みましょう!これが天の父が求める真の礼 拝者の
生き方です。

【霊的回復の預言】

「『しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもっ
て、わたしに立ち返れ。』あなたがたの着物ではなく、あなたがたの 心を引き
裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのに
おそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるから だ。」ヨエル書2章
12.13節

ヨエルは「着物を引き裂く」ような外面的で形式的な悔い改めではなく、「心を
引き裂け」と真実の悔い改めを求めています。涙と嘆きをもって、心か ら自ら
の罪を嘆き、それを捨て去る決心を持って主に立ち返ることを呼びかけました。

私たちも心を注ぎ出して、心から主に祈りましょう!

ヨエルは真実な悔い改めの後に神が用意されている回復を預言しています。

「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの
間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償お う。あ
なたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださっ
たあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠 に恥を見るこ
とはない。」ヨエル書2章25.26節

しかし、最も素晴らしい回復の預言は霊的な回復についてです。

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は
預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しも べに
も、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現
わす。血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しか
し、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの 山、エ
ルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれ
る者がいる。」
ヨエル書2章28-32節

神の霊、聖霊がすべての神の民に注がれる日が来るとヨエルは預言しました。
主の名を呼ぶ者がみな救われる時が来るとヨエルは預言したのです。

このことは旧約聖書の時代には実現しませんでした。
主イエス・キリストが復活されてから五十日目のペンテコステの日に成就したの
です。

ヨエルの切実な呼びかけによってイスラエルの民は主に立ち返り、イナゴによる
滅びからは救われました。しかし、その後の彼らの歴史を見るなら、イ スラエ
ルは再び堕落し、何度も堕落し、ヨエルの時代よりも遥かに罪深い状態に陥り、
ついに国を追われました。
イスラエルの心からの悔い改めによって、ペンテコステの祝福が訪れたのではあ
りません。

真実な悔い改めをイスラエルに変わり、また私たちに変わって成し遂げて下さっ
た方がおられます。

「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる
方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そし てその
敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けに
なった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従 うすべての
人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの
位に等しい大祭司ととなえられたのです。」
ヘブル人への手紙5章7-10節

キリストが涙を流し、叫んで祈られたのは私たちの救いのためです!
キリストが受けた苦しみは、私たちの罪のためです。

ヨエルが預言したイナゴによる恐ろしい滅び、それは罪に対する神の怒りを表し
ています。神に背き、神のみ言葉に逆らう者に対する激しい憎しみと怒 りを表
しています。
罪に対する激しい怒りを、イエス・キリストは私たちに代わって十字架で受けら
れました。罪に対する罰、死の報いを私たちに代わって受けられたので す!

生まれながらのユダヤ人が、そのままで聖霊を受けることはありません。
ただ私たちの代わりに罪の罰を受け、死んで、復活されたイエス・キリストを信
じるものだけが救われ、聖霊を受けるのです。

今週はイエス・キリストの十字架の苦しみを覚える受難週です。
私たちの罪のために苦しまれ、十字架を背負われたイエスを心から見あげましょう。
そして心を注ぎ出して、主に祈り、罪を捨て去り、神のみ言葉に従って歩む決心
を主に捧げましょう。聖霊の満たしと働きを妨げている、すべて天の父 が嫌わ
れ憎まれる罪を捨て去りましょう。