「預言者ゼカリヤの見た幻」

ゼカリヤ書1章から4章


「ダリヨスの第二年の第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、
次のような主のことばがあった。主はあなたがたの先祖たちを激しく怒 られ
た。あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。――万軍
の主の御告げ。――そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と 万軍の主は仰せ
られる。」ゼカリヤ書1章1−3節

預言者ゼカリヤは預言者ハガイと同じ時期に活動した預言者です。
ダリヨス王の2年は前520年に当たります。ゼカリヤもハガイも、エルサレル
ムでの神殿再建のためにユダヤ人たちを励ますために神から遣わされました。

「主はあなた方の先祖たちを激しく怒られた(2節)」

イスラエルは真の神を捨てて偶像礼拝に走りました。
彼らは偶像という自分の欲望を神として仕えたのでした。
ユダヤ人は神がご自分の栄光を表すために選ばれた祭司の務めを果たすべき民族
です。
もし彼らが真の神、主を捨てるなら、彼らも捨てられ、ユダヤの地から追放され
ると何度も警告されていました。しかし彼らは主を捨て、偶像礼拝の罪を止め
なかったのです。
主の警告どおりに、イスラエルは異民族の侵略を受けて滅ぼされ、ユダヤ人は捕
虜となり遠い異国バビロンに移されたのでした。

しかし、神の愛と選びは変わることがありません!
神はイスラエルを罰せられました。しかし、それは滅ぼすための罰ではなく、罪
を清め、神の民を罪から解放されるために必要な罰だったのです。
神はユダヤ人の回復を預言されていました。イザヤ、エレミヤ、その他の預言者
を通して再びユダヤの地に、エルサレムに帰ってくることも予め語って おられ
たのです。
預言者を通して語られたことばの通り、ユダヤ人たちは祖国に帰り、神殿を再建
する工事を始めたのです。その後サマリヤ人の妨害、工事の中断があり ました
が、預言者ハガイの励ましのことばによって、彼らは再び工事を再開したのでした。

しかし、神の霊は再建工事を始めたユダヤ人の中に、すでに先祖たちと同じ罪の
芽を見つけたのです。神殿の工事に携わりながらも、ユダヤ人の心は早 くも神
から離れ始めていた。
これが原罪です!罪深い人間の性質です。

私たちイエスによって神の子とされた者たちも、地上にあっては不完全です。
神の子どもの性質と、生まれながらの罪深い性質が共存しています。
神を愛し、神に喜ばれるものになりたいという思いと、自分の欲望を愛し、自己
中心に生きたい思いが絶えず心のなかで争っているのです。

預言者ゼカリヤはユダヤ人たちの中にも同じ霊的な戦いがあるのを見て警告した
のです。
「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなた方に帰る」と。

私達も自分の罪深い欲望、我がまま、自己中心、自分だけを喜ばせたい思いがあ
ります。それに気付いたら主に告白し、聖霊のいのちと力を求め、神へ の愛に
生きましょう。
正しい霊的な優先順位を守り、神と隣人への愛の為に自分を捧げましょう。
これが神に帰ることであり、これが私たちの霊的な神殿工事です。エルサレムで
はなく、私たちは私たちの内に住まわれる聖霊様の宮を建て上げる務め が与え
られているのです。あなたは神の神殿です!主の栄光を表す立派な神殿を、霊の
うちに建てあげましょう。

【わたしが火の城壁となり、その中の栄光となる】

「私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱が
あった。
私がその人に、『あなたはどこへ行かれるのですか。』と尋ねると、彼は答え
た。『エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るた め
に。』私と話していた御使いが出て行くと、すぐ、もうひとりの御使いが、彼に
会うために出て行った。
そして彼に言った。『走って行って、あの若者にこう告げなさい。「エルサレム
は、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。しか し、わた
しが、それを取り巻く火の城壁となる。――主の御告げ。――わたしがその中の栄光
となる。」』」
ゼカリヤ書2章1−5節

ゼカリヤは御使(天使)と対話する幻を通して、神からのことばを受けとります。
このような幻が6章までに8回繰り返されます。これらは神の愛と希望を表して
います。
エルサレムを測りに行く人は、当時のユダヤ人の心境を表しています。
エルサレムは神殿が破壊されただけではなく、城壁も無残に壊され、町の門も焼
き討ちにされたまま放置されていました。敵の侵入を防ぐことはとても 出来な
かったのです。
いつサマリヤ人、また周辺の異民族が襲ってくるか分からない状況です。
エルサレムの住民は神殿工事よりも、まず城壁を建て直して欲しいと思っていま
した。

これは霊的な優先順位を揺るがす出来事です。
神の霊に導かれ、やっと再開した神殿工事がまた中止、また遅れてしまう危機的
な状況でした。ハガイ書の説教で分かち合ったように、「もっともらし い理
由」は信仰の危機です。

神を第一にする!神への礼拝(※もちろんそれは日曜礼拝だけでなく、個人礼拝、
栄光を神に帰する生き方)を第一にするか、それとも絶えず起きてく る緊急な
用事に振り回されるか?

また神を第一にする生き方も、それが肉の頑張りに頼ると、パリサイ人のような
宗教家、カルト教徒のような恐れで動かされている者になる。どちらも 命がない。

神を第一にする生き方!それは本当に難しいですね。
しかし、このゼカリヤが見た幻の中に大切な霊的教訓があると思うのです。
それは、幻を見ることです!神から与えられた幻を見ることです!

ゼカリヤが見た幻は「わたしが、エルサレムを取り巻く火の城壁となる。わたし
がその中の栄光となる」との幻、また約束のことばでした。

この幻、約束のことばはどれほど当時のユダヤ人の心を励ましたことでしょう。
城壁が無残に壊され、異民族の襲撃に怯えていたユダヤ人にとって、神が火の城
壁となり、守って下さる。神がエルサレムの真ん中におられて栄光を表 して下
さる!
この幻はユダヤ人の心を神への礼拝、第一のものを第一にする力と励ましになっ
たのです。

私達も神からの幻を受け取りましょう!それは不思議な体験をして下さいと勧め
ているのではありません!聖書のことば、聖書の約束のことばを幻とし て受け
取り、心の目でそれを見続けることです!

私達の内におられる神の霊、聖霊様は聖書のことばにいのちを吹き込まれるお方
です。
私達が聖書の約束を求め、それを幻として見ることを聖霊に祈るなら、聖霊は私
達に必要なことば、勧めのことば、励ましのことば、約束のことばを幻 として
生き生きと心に示してくださると確信します。

聖書の中に、神からの幻を求めましょう!
そして、確かに神がいま、私達に与えておられる幻がゼカリヤ書の2章5節です!

「わたしが、エルサレム(あなた)を取り巻く火の城壁となる。わたしがその中
(あなたの中にあって)の栄光となる」。

主はあなたをあらゆる災いから守られます。
この幻を受け取り、自分の霊の神殿を建て上げることに専念しましょう!

【金の燭台の幻】

「私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさ
まされた人のようであった。彼は私に言った。『あなたは何を見ている の
か。』そこで私は答えた。『私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台が
あります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび 皿があ
り、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、
そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、 他の一本はそ
の左にあります。』さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。『主よ。
これらは何ですか。』私と話していた御使いが答えて言っ た。
『あなたは、これらが何か知らないのか。』私は言った。『主よ。知りません。』
すると彼は、私に答えてこう言った。『これは、ゼルバベルへの主のことばだ。
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」と万軍の主は 仰せら
れる。大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、
「恵みあれ。これに恵みあれ。」と叫びながら、かしら石を運び出 そう。』」
ゼカリヤ書4章1節−7節

この金の燭台はユダヤ人国家、イスラエルを象徴的に表しています。
ユダヤ人は本来、祭司の国、神の栄光を表す者として選ばれたのです。
神殿を再建し、ユダヤ人が心からの礼拝を捧げる時、神の栄光が全世界に表され
るという預言であったのです。残念ながらユダヤ人たちは神殿に迎え入 れるべ
き真の神、主イエス・キリストを拒否し、十字架につけて殺してしまったため
に、ユダヤ人たちは再び全世界に散らされ、神の栄光を表す代わり に、神の呪
いの厳しさを表す者になりました。
しかし神の憐れみにより、再び全世界からユダヤ人は集められイスラエルの国を
再建しました。三度目の再建です。一度目はエジプトから、二度目はバ ビロン
から、三度目は世界の果てからです。現在はシオンの丘に神殿はありません。し
かし必ずや神殿が再建されることでしょう。今度こそは、彼らが 真の主である
イエスを王として迎えることを願います。

さて、この金の燭台は私達クリスチャンたちにとっても大切な幻です。
私達にとってこの金の燭台はエクレシア、愛の共同体である教会を象徴しています。
いま神の栄光を表す地上の存在はエクレシア、教会しかありません!

「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘め
られた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台 は七つ
の教会である。」
黙示録1章20節

神は私達をご自身の栄光を表す存在として一人ひとりを選び、神の家族に加え入
れてくださったのです!私達に与えられた恵みと使命を覚えましょう。
私たちは神の子どもとされ、神の家族に加えられるという驚くほどの特権が与え
ら、素晴らしい使命も与えられているのです!それが神の栄光を表すこ とです!

神の栄光を表すとは、私たちの行い、私たちの人格を見た周りの人々が、イエ
ス・キリストはは素晴らしいと、主を讃えるようになることです。
私達を通して、神の素晴らしさを周りの人々が見ること、これが神の栄光を表す
ことです。

どのようにして神の栄光を表すことが出来るのか?心配しないで下さい。
また自分の考えで、勝手に何かしないで下さい。人間の努力で神の栄光を表すこ
となど出来ません。このザカリヤが見た幻の中にこそ、神の栄光を表す 存在と
なるための大切な答えが示されています。

まず第一が燭台に油を供給し続ける二本のオリーブの木です!
「また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一
本はその左にあります。(3節)」

オリーブの木が二本なのはゼカリヤ書が書かれた時のユダヤ人リーダー、総督ゼ
ルバベルと大祭司ヨシュアがイスラエルに仕えることを象徴しているか らで
す。しかし、これは王である祭司、私たちの主イエス・キリストと私たち教会の
関係を表しているのです。

燭台だけでは火を灯し、輝くことは出来ません。油が必要なのです。
神の栄光を表す油は、神ご自身が植えられた神のオリーブの木から注がれるのです。
主イエス・キリストを通し、神の栄光を表す油、聖霊のいのちと力は注がれるの
です。
私達一人ひとりが主に信仰を持って繋がることが大切です!
主イエスと信仰の交流が立たれてしまったら、油は直ぐになくなります。
私たちは主イエスを離れては何も出来ないのです。

第二に大切なのは火です!

立派な燭台があり、灯心の部分にまで良質な油が来ていても、着火しなければ炎
は燃え上がりません!

「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わた
しの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。大いなる山よ。おまえは 何者
だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫
びながら、かしら石を運び出そう。」ゼカリヤ書4章6.7節

権力があっても、能力があっても、それだけでは神の栄光を表すことは出来ません!
人間的な力だけで、神の素晴らしさを表現することは出来ないのです。
「わたしの霊によって」、そうです!聖霊の火を受けなければ神の栄光を表すこ
とは出来ないのです。ペンテコステの日に聖霊が火のように弟子たちに 下った
時、彼らは福音を伝え、神の栄光を表す者へと変えられました。

私達も聖霊の火を求めましょう!主の霊に燃やされること、神のことばに感動
し、情熱をもって主に仕えるように聖霊の火を求めましょう。

信仰の原則です。求める者には与えられる。求めない者には与えられません。
ただ単純に「主よ、私の信仰に火を付けて下さい」と祈り求めましょう。
また、神のことばに応答して、信仰の一歩を踏み出しましょう。