「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」

ハガイ書1章1節から15節


【ハガイ書が書かれた歴史的な背景】

「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨ シュアとに、次のような主のことばがあった。」ハガイ書1章1節

旧約聖書のハガイ書から神のことばを学びましょう。
ハガイについては、ダリヨス王の時代にゼカリヤと共に活躍した預言者であること以外は何も分かりません。
ダリヨス王とはハガイの時代に中東地域を 治めていたペルシャ帝国の王のことです。
ダリヨス王の第二年は前520年に当たります。
ハガイ書が書かれた目的は神殿再建のために、ユダヤ人を叱咤激励することにありました。
ユダヤ人の都エルサレムにソロモンが建てた第一神殿は前586年に新バビロニヤ帝国の侵略によって滅ぼされ、
ユダヤ人の多くが首都のバビロン(現 在のイラクのバグダッド近郊)に捕虜として強制移住させられました。
そこで約70年の間(エレミヤが預言していた70年)ユダヤ人はバビロンで辛 い捕囚民として過ごさなければなりませんでした。
しかし預言者イザヤとエレミヤが預言した通りペルシャ帝国のクロス王が新バビロニアを滅ぼし、
ユダヤ人を開放したのです。
旧約聖書エズラ記にはハガイ書が書かれた歴史的背景が書かれています。
信仰の厚いユダヤ人たちの一団は、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアと共に祖国復興のために立ち上がり、
廃墟となったユダヤに移住します。エルサレ ムを都とし、神殿再建に早速取り掛かりました。
しかしサマリヤ人たちの熾烈な妨害に会い、再建工事は約16年もの間中断するのでした。
工事中断が 長くなるにつれ、人々の信仰も徐々に冷めて行きました。荒廃した町を立て直し、
荒廃した田畑を耕すことも大変な作業でした。
神中心の思いが、徐々に自分の生活を立て直すこと(それは必要なことですが)、
自分の暮らしを少しでも豊かにすることに移行しました。
神中心ではなく、徐々に自己中心に堕落していったのです。
ユダヤ人の心が神から離れ、自分中心に堕落した時、神のことばがハガイとゼカリヤに下りました。
これがハガイ書、そしてゼカリヤ書が書かれた背景 でした。

【もっともらしい言い訳】

「万軍の主はこう仰せられる。この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」
ハガイ書1章2節

ペルシャ帝国では、神殿再建の許可を出したクロス王が戦死し、王位継承をめぐって混乱がありました。
その混乱を利用してサマリヤ人たちは、巧みに 工事差し止めの命令を新しい王から頂いたのでした。
ペルシャ王の命令にはユダヤ人たちも逆らうことが出来ません。
しかし、それを良いことにユダヤ人たちは、神中心から自分のためだけに生きる自己中心の生活へと堕落して行きました。

ユダヤ人たちには神殿再建を止めるもっともらしい理由が出来てしまいました。
神中心に生きなくても良い、もっともらしい理由が出来たのです。
この神中心を止めさせるもっともらしい理由こそ、霊的な戦いであると私は確信します。

ユダヤ人は神に選ばれた民です。彼らが民族、国を形成し、
ユダヤの土地とエルサレムが与えられたのは神の栄光を表す目的のためでした!
ユダヤ民族を通して、生きて働いておられる真の神がおられること、
そして神の約束のことばは必ず実現することを歴史の中に刻みつけるために、彼ら は選ばれたのです。

神とそのみことばを第一にするなら、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、
主を愛(申6章5節)」するなら、ユダヤ人は世界で 最も祝福された民族となり、
しかし神を退け、偶像(心の肉欲を満足させる象徴)を拝むなら、
世界で最も呪われた民族になるように彼らは選ばれたの です。

ハガイの前の世代のユダヤ人たちは、まさに神を捨て、偶像礼拝に走りました。
その結果、預言されていたように新バビロニヤに国も神殿も滅ぼされ、
遠く離れたバビロンで捕囚生活を余儀なくされました。しかし神の憐れみの約束 によってバビロンから解放され、
再び神を中心に生きる道が開かれたのです。
しかし彼らは早くも堕落し始めたのです。偶像礼拝をするまでに堕落はしなかった。
しかし、自分の欲望を第一とする、堕落の道へと一歩一歩と進み始めていたのです。

神中心から離れさせ、自己中心に歩ませるもっともらしい理由に、私達も気を付けなくてはなりません。

パウロがエペソ6章で教えているように、私たちは霊的な戦いの中に置かれています。
その戦いとは、「神を第一に生きるか?自分の欲望を第一に生きるか?」の優先順位の戦いとも言えるのです。

この世の中には私たちの心を神から引き離し、自己中心、絶えず自分、
自分に走らせる自己中心な思いや物に満ちあふれています。
もっともらしい理由によって私たちの思いを神から引き離そうとしてきます。

当時のユダヤ人にはエルサレムに神殿を再建する働きが与えられていました。
私たちはどうでしょうか?私達にも一人ひとりに神殿建築の仕事が与えられています。
第一コリント人への手紙3章の9節から17節を読みましょう。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」
第一コリント3章16節

私たちの内にある霊的な神殿を建て上げること、これが私たちに与えられている第一の仕事です!
霊の神殿とは何でしょうか?その完成された姿はどの ような
ものでしょう。
霊の神殿とは主イエスの似姿、主イエスの人格に似たものになることです。
神を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛する、神の愛に満ちた人格が私たちが建て上げる霊的な神殿なのです。

パウロは私達に勧めています。
「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、
私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救い を達成してください。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」ピリピ2:12-14

私たちは主イエス・キリストを信じるだけで救われますが、それで完成したのではありません。
もちろん神の子どもでありますが、建築にたとえるな ら、やっと神の国に敷地を得た程度です。
そこに土台を据え、土台はみことばですが、神への礼拝、
みことばの実践を通してキリストの似姿へと建て上 げられていかなくてはならないのです。

神はそのために助け主である聖霊を通して、様々な導きを与えて下さいます。
それを、もっともらしい理由や言い訳で断らないようにしましょう!

私たちの信仰生活には様々な問題がやってきます。
仕事が忙しい、日曜出勤、健康上の問題、気分が優れない、地域の活動に参加しなければならない等々・・・、
もちろん私たちは律法主義者ではないので、日曜日の礼拝を絶対に守りなさいなどということはありません。
日曜日に仕事の方、土曜・日曜日が最も大切なサービス業に従事している方もい らっしゃるでしょう。
その方は何の良心の呵責も覚えずに働いて欲しいと思います。
仕事も大切な神から与えられている奉仕の一つです。
しかし土日が休めないことを理由に、徐々に神さま中心がズレてくるなら要注意です。
日曜日以外にも、今年から木曜日の夜に祈り会を始めることになりました。
今までも祈り会がありましたが、不定期だったのを木曜日の夜8時からにしました。
ぜひ積極的に活用し、お互いの神殿を建て上げて行きましょう。
もし木曜日も難しいという方がいらっしゃるなら、牧師に相談下さい。

【稼ぐ者が稼いでも、穴のあいた袋に入れるだけ】

「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。
今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲ん だが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。」ハガイ書1:4-6

「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍 の主の御告げ。――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。それゆえ、天はあなたが たのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物 にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた。」ハガイ書1:9-11

ボタンの掛け違いと言う言葉があるように、神との関係が正しくないのに、
また人間関係が神の愛を土台としていないのに、人生が正しく成長し、成功 するはずはないのです!

私達にはユダヤ人に課せられた旧約聖書の激しい呪いはありません。
しかし、私達にも「蒔いたものを刈り取る」と言う原則があります。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く 者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれ ば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないま しょう。」ガラテヤ6:7-10

この原則は私達にも適用される原則です。
礼拝を通して神を第一にし、神に捧げ、仕えること。
神の愛、神の恵みを信仰を持って受け止めること。みことばを守り行うこと。
神の愛をもって隣人を愛し、赦すこと。
これをしなければ呪われたり、神の愛が差し引かれるのではありません。
しかし、自己中心に生き、自分の欲望のままに生き、隣人を利用し、憎しみ、赦さないなら、当然その結果を私たちは受けるのです。

【山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ】

「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。」ハガイ書1:8

第一のものを第一にしましょう!神との関係を正しくし、神を礼拝し、神のみことばに聞き従いましょう。
神の愛に満たされ、神の愛に生きましょう。 私たちは神の霊が住む霊的な神殿なのです!
神の栄光が輝き出るように、しっかりと主イエスに似たものに変えられて行きましょう。

神を第一にする時!あなたの人生は変わります。これは神の変わらない約束です。

【彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった】

「『そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民のすべての残りの者とは、彼らの神、主の御声と、また、 彼らの神、主が遣わされた預言者ハガイのことばとに聞き従った。民は主の前で恐れた。そのとき、主の使いハガイは、主から使命を受けて、民にこう 言った。
「わたしは、あなたがたとともにいる。――主の御告げ。――』主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの 子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった。」ハガ イ書1:12−14

畏敬の念をもって神のみことばに聞き従う者に、神はともにおられます!
今日の説教で分かち合ったみことばと、みことばの原則に従って下さい。
神はあなたとともにおられ、みことばを守り行う力、霊の神殿を建て上げる力を与えて下さいます。

総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを模範としましょう。
彼らは神のみことばに従い、ペルシャ王の工事差し止めの命令を恐れずに神殿を建て始めたのです!
私達も彼らを見倣い、みことばに聞き従うものになりましょう。