「イエスの弟子となった取税人マタイ」

マタイ福音書9章1節から9節


「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい。』と言われた。すると 彼は立ち上がって、イエスに従った。」マタイ福音書9章9節

このマタイとは、マタイによる福音書を書いたマタイのことです。
わずか一節ですが、彼が救われ、イエスに従う弟子とされた経緯がここに記されています。
マタイは収税所に座っていました。彼は取税人でした。

11節に「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか」とパリサイ人が尋ねているように、取税人は罪深い人と同列に されるほど、ユダヤ人から嫌われていました。
取税人もユダヤ人ですが、ユダヤを支配していたローマ、外国人の手先となって同国人から税金を搾り 取っていたために嫌われていたのです。
ローマの手先、売国奴とユダヤ人からは嫌われ、憎まれる存在が取税人でした。
一方、取税人のほうも、ローマがユダヤ人に課した税金よりも多く取り立て、その分を懐に収めて私服を肥やしていました。

収税所はカペナウムの町にあった税務署です。町に入ってくる物品、町から出て行く物品に3パーセントの関税を掛けていました。また通行税をも取り立てていました。
マタイは収税所で働く取税人だったようです。

イエスさまは収税所で働いているマタイに声を掛けられました。
「わたしについてきなさい」と。たった一言でしたが、マタイの人生を根底から変えてしまうことばでした。
彼は仕事中でしたが、「立ち上がって、イ エスに従った」のでした。

マタイ4章にはペテロとアンデレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟が弟子として召された記事があります。
彼らもイエスさまの呼び掛けに対し、直ぐに、船も 網も捨てて従いました。
漁師なら再び漁師に戻れるかもしれません。しかしマタイの場合、一度収税所を止めたら、二度と復職することは出来ませんでした。マタイは完全に仕 事を辞めて主に従ったのです。
主に従うとは、気分の良い時、楽しい時だけ従うのではなく、生涯を掛けて従うことです。
彼は高収入の職業、住み慣れた広い家、この世での保証を全て捨てて主に従いました。


【なぜマタイは潔くイエスに従ったのか?】

マタイの潔い行動を見て、理解出来ない人は少なくないと思います。
自分がマタイだったら、直ぐに従えただろうか?
マタイはなぜ潔く、この世の働きを全て捨ててイエスさまに従えたのか?
マタイから学ぶべきことは何か?マタイの内面を祈りながら、考えてみました。


@マタイは、世にある富の空しさを知り尽くしていた。

「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来 なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まこ とのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』」マタイ 16:24-26

「まことのいのち」は決して金では買い戻すことが出来ない!
これが取税人マタイの出した人生の結論ではないかと思います。
取税人になる前のマタイは、お金があれば何でも出来るとひたすら金を求め、権力を求める人生を歩んでいたのではないかと思われます。

ローマの権力を笠に着て、ユダヤ人からは暴利を貪る取税人。
マタイは自分が望んでいた権力も富みも両方手に入れたのです。
しかし、それでも心の空 しさを埋めることは出来なかった。
そればかりか同国人には憎まれ、自分の回りに集まってくる人間は罪人ばかり。

人よりも良い人生を、豊かな暮らしをと、一生懸命に自分を救おうとした結果が、孤独であり、空しさだった。
マタイはこの世を追いかける人生の空しさを実感していたのではないでしょうか。

「わたしについてきなさい」。マタイにとってイエスさまの招きのことばは、まさに救いでした。人を苦しめ、空しさと滅びを刈り取る人生から、神と 人に仕え、真のいのちに満たされる人生に招かれたのです。

マタイは自分が人生のどん底にいることを知っていました。
このまま進んだら、自分の人生はダメになる、間違いなく終わりだ!
人生のどん底を自覚することが、人生に転機をもたらします。
アルコール中毒や、その他諸々の中毒から解放された人の多くが、どん底を自覚することが解放への切っ掛けとなっています。
どん底を自覚すること、心から「自分はもうダメです!神よ助けて下さい!」と叫ぶこと、これが悔い改めです。

真の悔い改めこそが、神に従っていく原動力となるのです。

神に従う思いが弱いという方、心から従う気持ちがないという方、ぜひ祈り中で、神の霊に自分の心を探ってもらって下さい。自分は神よりも、まだこ の世にあるお金や、権力に人生の救いを求めていないか?
そこまで露骨でなくても、良い外見、良い学歴、人々からの評判をキリスト以上に求めていないか?
キリストのことば、キリストの愛よりも、酒や、薬物、ゲーム、その他自分を酔わせる物を求めていないか。
その行き着く先は何か?
自分の姿を聖霊さまに示していただきましょう。
罪から来る報酬は死です。罪をどんなに求めても、罪があなたを幸せにし、心を満たし、朽ちない人格の実を結ばせることはないのです!このことを聖 霊さまに自覚させていただきましょう。


A福音の価値に気付く

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買 います。」マタ13:44

これはイエスさまの神の国のたとえです。
1億円の値打ちのある宝が、1千万円の値打ちの畑に隠されていたら、迷わず持ち物を売りはたいてお金を作り、宝の隠されている畑を買い取るように、イエスさまの福音の価値に気が付いた人は、自分の人生を神に捧げて、喜んで主に従うと教えておられるのです。
それほどにイエスさまの福音には人生を賭ける価値があるのです!

マタイはイエスさまの福音の価値を知っていたと思います。
彼はカペナウムの収税所で働く取税人、町に入ってくる物や人を見張り、税金を掛けるのが彼の仕事でした。
当然小さな町カペナウムで起きる出来事に ついては一般の人以上に詳しかったはずです。
らい病を患う人をイエスは抱きしめ、そして癒されたこと、ローマの百人隊長のしもべも癒されたこと、 ガリラヤ湖の嵐を静められたこと、罪人を赦し、受け入れたこと、そのほとんどがマタイの耳に入っていたと思われます。

マタイはイエスが誰であるのかを知っていました。預言されていたメシア、キリストであることを知っていました。
それでなければどうして、ことば一 つで病を癒し、嵐を静め、悪霊を追い出すことが出来るでしょう。
彼はイエスが、罪を認める者を誰でも受け入れ、赦して下さることを知っていました。
イエスのもとに来る者が、全て癒され、人生が回復されることを知っていました。
イエスの伝えている神の国の絶大な価値に、マタイは気付いていたと確信します。

神の国の価値に気付くこと、これは神に従う大きな力です!

キリスト教の歴史においても、福音の価値の再発見こそが教会を変革してきました。
マルチン・ルターの宗教改革、ジョン・ウェスレーのリバイバル運動も福音の価値の再発見が原動力でした。
福音には人生を根底から変える大きな力が あること、自分を変え、隣人を変え、社会を変える力があることを覚えましょう。
福音はすでに、皆さんの手の中にあります。
まだこの力を体験していない方は、天の父に祈りましょう。
福音の持っている絶大なる価値、その力を体験 出来るように祈りましょう。