「あなたの罪は赦された」

マタイ福音書9章1節から8節


【あなたの罪は赦された】

「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見 て、中風の人に、『子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。』と言われた。
(1.2節)」

罪意識、罪悪感は私たちにとって、大きな問題です。
多くの人が過去の過ち、犯してしまった間違いにより、過去に縛られながら生きています。

友人と川で遊んでいたとき、何気ない悪ふざけで友人が溺死してしまった。
それは決して犯罪と呼べる物ではなく、不幸な事故であったのですが、罪意識を抱えたまま生き続けた方の話を聞いたことがあります。

両親が離婚してしまった子供たちの多くが、離婚したのは自分が原因だと、自分が良い子でなかったからだと、自分を責めています。勿論その罪意識は 正しくありません。
しかし「自分が悪かったから・・・」、「自分のせいで・・・」という罪悪感からどうしても抜け出せない。それは心に刺さったトゲであり、絶えずチ クリチクリと痛み続け、絶えず否定的な意識に自分を引き戻してしまう。

今回の震災で、家族を失った多くの人が、「自分が代わりに死ねば良かった・・・」と生きていることに罪悪感を抱えながら生きているのです。

私たちは赦されなければ生きていけない存在です!
過去の過ちから、過去の不幸な出来事から、赦されなければならない。
「あなたは生きなければならない!あなたは生きていて良い!」と明確に人生を肯定し、生きることを赦し、認めて下さる存在が必要です。

「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。(2節)」

イエスさまは私たちの全ての罪を赦して下さる方です。
私たちの弱さ、過ち、不完全さを知りながらも「あなたは赦されている」と私たちの人生を肯定し、励まし、受け入れて下さる方です。

イエスが赦されたのは、この中風を患う方だけではありません。
神を求め、神に救いを求める者、全てに「あなたの罪は赦された」と言われるのです。
全能の神があなたを赦されているのです!
この言葉を自分の霊に、自分の心の奥底に語り続けて下さい!

全能の神があなたを赦され、肯定されているなら、誰があなたを否定し、あなたが生きることを否定出来るでしょうか。

イエス・キリストにある赦しを受け取って下さい。

自分を責める否定的なことば、絶えず過去の過ちに引き戻そうとする否定的な思いに、主の赦しの宣言をもって立ち向かって下さい。あなたは赦されて いるのです!


【律法学者たちの間違い】

「すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪い ことを考えているのか。(3.4節)」

イエスの赦しの宣言に対して、喜べない人たちがいました。律法学者たちです。
なぜ彼らはイエスの赦しの宣言を喜べず、否定的に思ったのでしょう。
律法学者とは旧約聖書を知り抜いた聖書の専門家、宗教家でした。

彼らは罪が赦されるには律法、旧約聖書の教えに従って犠牲を捧げなければならないと考えていました。そして、罪を赦すことが出来るのは神だけであ り、その宣言は祭司にしか赦されていないと考えていました。それは正しい考えでした。
彼らの間違いは、イエス・キリストこそが神の備えた完全な犠牲であり、イエスは神が人となられた神ご自身であり、神と人の間に立って罪を赦す大祭 司としての権威を持っていることが分からなかったことです。

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々 を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。また、このようにきよく、 悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの大祭司たちとは違い、キリストに は、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一 度でこのことを成し遂げられたからです。律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子 を立てるのです。」ヘブル7:24-28

イエス・キリストは永遠に存在される大祭司です。イエスを通して神に近づく者を完全に救うことが出来るのです。それは不完全な犠牲ではなく、完全 な犠牲としてご自身を捧げられたからです。これはイエス・キリストの十字架の死を指しています。
私たちが神の御前に罪が赦されるのは、神が罪を見過ごしたり、大目に見られるからではありません。罪の無い方、イエス・キリストが私たちの罪を身 代わりに十字架に背負い、全ての罪の負債、全ての罪の罰をご自身の命で償って下さっ
たから赦されたのです!

あなたの罪はキリストの流された十字架の血によって、完全に赦されています!


【赦しは一方的な神の恵み!】

律法学者たちのもう一つの間違いは、聖書の律法を守ることによって罪が赦されると考えていたことでした。確かに旧約聖書には罪が赦されるための犠 牲について書かれています。
しかし、それは不完全であり、完全な犠牲は人の努力によるものではなく、神の一方的な贈り物である御子イエス・キリストでした。人の努力によるの ではありません。

罪は、決して行いによって赦されるのではなく、神からの一方的な恵みです。
礼拝を忠実に守っているから赦されるのでも、戒めを守っているから赦されるのでもありません。

自分の努力や行いに赦しの根拠を置く時、私たちの心は律法学者のように、行いに束縛され、神の恵みを見失ってしまうのです。礼拝を守ること、神の みことばを守ることも、いつしか義務や強制のように感じられ、喜びを失ってしまいます。

赦しは神の一方的な恵みです!私たちはすでに赦されているのです!
良いクリスチャンになったら赦されるのではありません。すでに赦されているのです。
赦されている喜びの故に、私たちは心からの礼拝を主に捧げ、主のことばに従う心が生まれるのです。多く赦された者は、多く愛するようになるので す。(ルカ7:47参照)

神の赦しの大きさを知れば知るほど、私たちは神に仕える思いが沸き上がるのです。
パウロは自分を罪人の頭だとテモテへの手紙の中で述べています。
パウロは自分の大きな罪が、キリストの考えられない大きな恵みの故に赦された!
この赦しこそが、キリストに従い、福音を宣べ伝える彼の原動力なのです。

しかし、これは自覚の問題です。パウロが律法学者よりも罪が重いのではありません。
パウロも律法学者も神の目からは同じ罪人です。
自分の行いに頼る高慢な心が、自分の罪深さを見え無くさせているだけなのです。
聖霊だけが私たちに、自分の本当の姿を明らかにして下さいます。
神の恵みを信頼し、心を開いて主の赦しを受け入れましょう。
赦しを知る時、真の解放と、神への愛が沸き上がってくるのです!


【赦しは人を生かす】

「イエスは彼らの心の思いを知って言われた。『なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。「あなたの罪は赦された。」と言うのと、「起きて歩 け。」と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。』こう言って、それから中 風の人に、『起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。』と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。(4-7節)」

イエスさまは、目に見える癒しの奇跡を通して、赦しが口先だけの言葉ではなく、権威のある赦しであることを証明されました。
イエスさまは私たちの罪の赦しが確かであることを、ご自身の復活を通して証明されています。もし私たちの罪が赦されていないのなら、キリストも復 活することはありません。
しかしキリストは私たちの罪と死を滅ぼし、勝利の復活をされました!
私たちの罪は確かに赦され、キリストの復活の命を受ける者にされたのです。

完全な赦しは罪悪感、罪意識からの解放をもたらすとともに、天の父なる神との関係の回復をもたらします。イエス・キリストによって、私たちは神を 父と呼び、天の父は私たちをご自分の子供とされたのです。

私たちはいつでも天の父に祈り、礼拝を捧げることが出来ます。
天の父の導きを求め、父から助けを受けることが出来るのです。
イエス・キリストを通して心から神に近づきましょう!天の父をさらに求めましょう!
天の父との深い愛の関係、それこそが私たちの霊に確信と力を与えます。