「限りないイエスの愛(1)」

マタイ福音書8章1節から13


【差別・偏見を乗り越えるイエスの愛】

「イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。『主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。』イエスは手を伸ばし て、彼に
さわり、『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
イエスは彼に言われた。『気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そし て、モーセの命じた供え物をささげなさい。』」マタイ8章1から4節

当時のイスラエルでは「らい病」は罪の結果と考えられ、大変な差別と誤解を受けていました。
旧約聖書のレビ記には「らい病」を患う者への記述があ ります。

「患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている。』と叫ばなければならな い。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」レビ記13章 45.46節

らい病人は自ら「汚れている」と叫び、人を自分から遠ざけなければならなかったのです。
らい病人は家族からも離れて暮らし、町や村から離れた場所で、人を避けて暮らさなければなりませんでした。
また旧約聖書には罪を犯した罰として「らい病」が発症した記述があることから、
「らい病」は神の罰、罪の呪いであると大変な誤解を受けていまし た。

当時のイスラエルにおいて「らい病人」ほど、差別と誤解を受け、遠ざけられていた人はいなかったと考えられます。
そのらい病人がイエスさまの前にやって来たのです。
人々に囲まれて山を下りてきたイエスさま。このらい病人も、遠くからイエスさまの話を聞いていたのかもしれません。
イエスさまの教えは無条件の愛 が中心でした。
彼もイエスさまの語られる愛に励まされ、人々の中に出て行く勇気を得たのかもしれません。
「イエスさまなら、自分の病を癒して下さる」と信じて、彼は信仰の一歩を踏み出しました。差別と誤解を受けている人が、
人前に出て行くというのはなんと勇気のいることでしょうか。信仰によらなければ、 決して踏み出させない行動でした。

人々の視線が自分に集中するなか、彼は「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」と言うのが精一杯だったのでしょう。
彼の信仰 に対して、イエスさまは予想しなかった驚くべき行動を取られます。

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり」とあります。
「さわる」と訳されていることばハプトー(ギ)は「つかむ」「捕まえる」、「すがりつく (ヨハ20:17)」と訳されていることばです。

このらい病を患っていた男性は、どれほど驚いたことでしょうか!
家族や友人からさえも遠ざけられ、人々との接触が禁じられていた彼が、いまイエスさまによって抱きしめられているのです!
これは親しい親友におけ る挨拶です。
イエスさまは彼の願いをしっかりと受け止められ、言われました。
「わたしの心だ。きよくなれ」と! 男性は癒されました。
私は彼が癒されたのは「らい病」だけではなかったと思います。
彼自身の差別と誤解によって傷ついていた霊と心が、何よりも癒されたのだと確信します。
彼はイエスの愛によって、神と人に愛される、人としての尊厳を回復したのです。

イエスさまの差別と誤解を乗り越える愛の応答によって、彼は癒されました。
残念なことに、今日でも差別や誤解によって苦しんでいる人は少なくありません。
私たちの中にも、もしかしたら人種や性別の違いにより、学歴や経歴によって、
また患っている持病や障害によって不当な差別、偏見、誤解に苦しんで いる方がいるかもしれません。
イエスさまは、決して人を偏り見ることがないことを覚えましょう!
イエスの愛は全ての差別、誤解の溝を乗り越えてあまりあるのです。
イエスに愛されない人は一人もいません。
あなたの過去が、あなたの抱える問題が、あなたの置かれている状況がどのようなものであれ、
イエスの愛は変わらず、あなたを愛し、あなたを友とし て受け入れて下さるのです。
これが「イエスの心」です。

私たちは、このような大きな愛で愛された者として、社会の偏見、差別、誤解を乗り越えて隣人を愛する者となりましょう。
確かに私たちはプロテスタ ン・トキリスト教でありますが、
この信仰がカトリックの人々やイスラム教の人々への偏見や差別を生み出すことがあっては決してなりません!
信仰の 違いが、愛を妨げるなら、その信仰はイエスの心と離れていることを覚えなければなりません。
私たちはイエスの愛に生きましょう。

【百人隊長のしもべの癒し】

イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。
「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」
イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。
ただ、おことばをいただかせてください。
そうすれば、私のしもべは直りますから。
と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、
そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来 い。』と言えば来ます。
また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちに こう言われた。
「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
あなたがたに言 いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」
すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされ た。
マタイ福音書8章5節から13節

百人隊長とは、ローマ軍の百人隊長です。名前は出てきませんが、彼はイスラエル人から見るなら外国人、異邦人でした。
当時のユダヤ人は自分たちの 民族を神に選ばれた種族と誇り、外国人を神の恵みから退けられた民としていました。
しかし、この記事では大逆転が起きています!救いの真理が明らかにされています。

ローマの百人隊長のしもべが中風を病み、ひどく苦しんでいたとあります。
中風とは、脳出血や脳梗塞による運動機能、言語機能の障害をきたした状態のことです。
今日は優れた医療やリハビリのプログラムがありますが、それでも完全な回復は難しいようです。
当時は不治の病と考えられていました。
百人隊長もあらゆる手を尽くして治療の方法を探ったのでしょうが、全ては無駄に終わったのでしょう。
最後に辿り着いたのがイエスさまでした。
彼はイエスさまの話を伝え聞いたのか、または直接話を聞いたのかは分かりませんが、
この方こそ病をも支配することができる、神のことばを語る方と の確信を持ちました。

彼は百人隊長、ローマ軍の中でも位の高い者です。彼にとってユダヤ人は支配民族です。
ローマ人も当然プライドを持っていました。しかし百人隊長はイエスさまに対し「主よ」と呼び掛け、
「あなたを私の屋根の下にお入れする資格はあり ません」と謙りました。
彼は心からイエスを救い主、癒し主として信じていたのです。
百人隊長は「ことばの力」を知っていました。彼は兵士ですから、上官のことば、命令が絶対であることを知り、
同じように神のことばにも絶対的な力 があることを確信していました。
これは優れた信仰に対する理解です。

ローマ皇帝は確かに巨大な軍隊を動かし、国を支配する力あることばを持っている。
しかしそれはあくまでも人間的な力であり、病や、命そのものを支配することは出来ない。病を癒し、
人を活かす命のことばを語ることが出来るのはイエスしかおられないと、彼は正しい信仰を持ったのです。
そして、この信仰をイエスさまは認め、誉めて下さいました。
なぜなら信仰の核心を突いていたからです。

百人隊長の信仰に答えて、イエスさまは救いの偉大な真理を明らかにされました。
「あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、
天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
しかし、 御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」マタイ8章11.12節

ユダヤ人にとって神から捨てられたと考えられていた異邦人が神の国に入り、
神の国に入るのが当然と思っていたユダヤ人は外の暗闇に放り出されると いうのです!
偉大な信仰の真理とは、救いはイエス・キリストに対する信仰によると言うことです。
生まれや、自分の属する民族や国によるのではありません。
だれでもイエスを神のことば、人を生かし、命を与える神のことばを語るお方、
また神のことばが人となられた救い主として信じるなら救われます!

ユダヤ人からは神から捨てられた者と思われた者でも、イエスに対する正しい信仰を持つなら救われます!
人々からどんなに拒絶され、蔑まれていて も、イエスへの信仰がその人を救いに導くのです。
イエスの愛と救いを阻むものは何一つありません!
しかしどんなに優れた家系であっても、イエスに対する信仰がないなら救われないのです。
これが信仰の真理です!

皆さん、一人ひとりにお尋ねします。
あなたにとって、イエスはどういうお方ですか?
いのちのことばを語り、病をもいやす、力あることばを語る救い主として信じていますか?
あなたはイエスのことばによって生かされ、新しい者に変え られていますか?
イエスはあなたを救い、罪から解放し、神の子としての新しいいのちを与えることが出来ると信じていますか?

いましばらく時間を取って、自分にとってイエスさまはどのようなお方なのか、自分の信仰を確かめてみましょう。
そして、自分の信仰をイエスさまに 告白しましょう。
声に出しても、出さなくても構いません。心からの信仰の告白を主に捧げましょう!

主イエスは言われます『「あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、しもべは癒された」』。
あなたのイエスへの信仰が、あな たを癒
し、あなたを救い、あなたを全く新しい神の子としますように、神の御霊があなたをいのちの信仰に導くことを祈ります。