「最高に幸せな生き方」

マタイ福音書7章7節から12節


【積極的に求める生き方】

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受 け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」マタイ福音書7章7.8節

山上の説教でイエスさまは、私たちクリスチャンのあるべき姿を教えておられます。
今日はその最後になりますが、それは「積極的に求める生き方」です。

「求める、捜す、たたく」、これらは行動が伴う、積極的な祈りであると言えるでしょう。
祈りとは、決して静まって願い事を神に伝えることだけではありません。
私たちクリスチャンの祈りは、もちろん静まって神のみことばを思い、神の御心を求め、自分の思いを神に分かち合う時もありますが、行動の伴う祈り もあるのです。

私たちの必要は祈る前から神はご存じで、私たちに最善のものを最善の時に用意されています。
私たちは静まって祈り、この確信が与えられたなら、大胆に神が備えて下さったものを受け取りに出なくてはならないのです。

神はモーセを指導者としてイスラエルをエジプトから解放しました。
約束の地まで荒野を通らなくてはなりませんでしたが、神は天からのパンを降らせました。
神はイスラエルの日々の必要を用意され、それを豊かに与え られたのです。
それならばイスラエルは何もしなくても良かったのか?
寝ていても、自然にお腹が満たされたのか? そうではありません。
毎日、イスラエルの民は、神が与えたマナを拾い集めに出かけなければなりませんでした。

神は私たちの必要をご存じで、それを既に備えておられるのです!
私たちがすべきことは、信仰を持って神からの答えを受け取りに行くことです。
その答えは、ただ待っているだけでは、やってこないことがほとんどです。

皆さんの必要は何ですか?神は必ずそれをご存じで、既に用意されています!
もし健康が必要ならば、神は健康を用意されています。
トレーニング施設に行って、汗を流して健康を求めて下さい。必ず与えられます。
仕事を必要としていますか?神は必ず素晴らしい職場を用意しています。
先ず祈りながら、自分は何をしたいか、何が出来るかを明確にして下さい。
そして確信をもってハローワークに、祈りの答えを求めに行ってください。
必ず素晴らしい職が用意されています。最善の仕事があなたを待っています。

素晴らしい家庭を求めていますか?素晴らしい伴侶を求めていますか?
神は必ずあなたに素晴らしい家庭、素晴らしい伴侶を用意されています。
先ず静まって祈り、妄想や情欲を十字架に付けて滅ぼしましょう。
自分のために伴侶を求める古い性質に十字架に死にましょう。
伴侶のために、自分を捧げられる復活の力を主から受け取りましょう。
それから教会の主催するパーティーや、活動に積極的に参加して伴侶を捜してください。
主が備えてくださる素晴らしい伴侶に、必ず出会うことになるでしょう。

皆さん、祈った後、ただ待っているだけでは不十分です。
祈りの答えを求めましょう、祈りの答えを捜しましょう、時にはたたきましょう。
必ずあなたは主の答えを受け取ることになるでしょう。これは主の約束です!

【最高の生き方を求める!】

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」マタイ福音書7章12節

私たちは日々の必要を神に求めることも大切ですが、それは願う前から備えられています。
私たちが日々の必要以上に、もっと真剣に願い求め、探し、たたかなければならないことがあります。
それは最高の人生を求めることです!最高の
生き方を求めることです!

長生きは素晴らしいという話をしました。しかし生きる意味を見失いながら、ただ長生きすることは幸せでしょうか?
それは幸せではなく、辛いことだ と思います。
生きることに確かな意味を見いだし、確かな目標に向かって進んでいる人には健康で長生きは神からの祝福になるのです。
これは全てに当てはまりま す!

生きる意味を見いだすこと、人生の目標を見いだすことこそ、最も大切なことなのです!
生きることに意味を見いだせない人、人生に失望している人は、何を食べても美味しくなく、どんな素晴らしい人と出会っても感動は生まれません。
意味ある人生だからこそ、生きる価値があり、人との出会いに感動するです。

最高の生き方を求めること、これこそ私たちの人生に意味を与えるのです。
イエスさまは山上の説教の結論として、7章12節の真理を教えられました。
これこそが私たちが求める最高の生き方、探し求める最高のライフ・スタイルです。

「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
(12)」

これは、6章33節の、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と同じ意味です。
愛とひと言でも言い換えられるのですが、7章12節の方が具体的で分かりやすいです。

私たちの人生は愛に生きる時、初めて意味ある人生になります。
自分のためだけに生きる生き方は意味がありません!それは幸せではあり得ません。
自分のために生きれば生きるほど、人生は孤独で空しく、意味が無くなります。

しかし神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する生き方は、心に喜びをもたらします。
生きる意味を与え、確かな目標、希望を心の中に生み出します。

「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(12)」
これが愛です。これが神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することです。
これが神の国と神の義を求めることです。

いま隣に座っている兄弟姉妹を見てください。そして自分をその兄弟姉妹に置き換えてみて、何をして欲しいか考えてみてください。
そしてそれを実行 してください。
もし私たちが、このエクレシアの中で先ず、このみことばを互いに実践するなら、この教会は本当にキリストの体になります。

目に見えない神を表すために神が立て上げた教会としての役割を果たすようになります。
どんなに素晴らしい教会堂があり、伝統のある教団に属する教会、学歴のある牧師がいたとしても、7章12節のみことばを互いに実践しなければキ
リストの体ではないのです。

しかし、どんなにみすぼらしい教会堂、歴史も伝統もない単立教会、学歴の無い牧師の教会でも、互いに7章12節のみことばを行うことを求め、探 し、挑戦するなら、そこは本当に神の国、キリストの体になるのです!

私たちは愛を行うことを求めましょう!
愛されることは求めなくて良いです。なぜならキリストにあって、天の父は完全な愛をあなたに示されているからです。
これを上回る人間の愛は無いの です。
これほどの愛が示されながら、まだ親や伴侶、異性から、回りの人からの愛を求めて生きているなら、ずっと失望するだけです。

神の愛に留まり、神と隣人を愛する人生に歩み出しましょう。
自分は何をして欲しいのか?あなたしか分かりません。それを隣人にしてください。
このみことばに生きる時、あなたは愛を体験し、与える以上に与えられ、それに上回る祝福を神と隣人から与えられることを体験するでしょう。

「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(12)」

これが人生、最高の幸いです!最高の生き方です。
この生き方を求めて歩みましょう。