「積極的なライフ・スタイル(2)心配しない人生」

聖書箇所:マタイ福音書6章25節から34節


「幸いなるかな!」で始まる山上の説教は、私たちの真の幸いは何であるかをイエスさまが教えている幸福論です。
禁欲主義や偏った宗教的な教えで私 たちを縛るのではありません。
イエスさまは私たちに、幸せに至る積極的な生き方を示しています。

【心配しない人生】

@心配するな!

「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着よう かと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」マタイ福音書6章25 節

イエスさまは私たちに、「心配してはいけない!」とハッキリ命じておられます。
イエス・キリストにあって救いを受け、罪の赦しと永遠の命を受けた私たちにとって、最も相応しくない生き方は、自分のいのちのことで心配すること です。

皆さん、心配は心の悪い癖です。心配は私たちの大切な時間、精神力を奪い去ります。
心配は報いの全くない、精神的な重労働です。心配は命をすり減らし、健康を害します。
だから、イエスさまの言われるように心配するのを今日から一切、止めましょう!

A心配はいらない!

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるので す。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」マタイ6章26節

先週は宝を天にたくわえる人生について分かち合いました。
山上の説教を聞いていた弟子たちの中には、財産を持つ者も少なからずいたのでしょう。
しかし圧倒的多数は、その日その日を生きるのに必死な貧しい者たちだったと思われます。

今よりも遙かに生活の保証が少ない、福祉などない時代に住んでいた人々にとって明日のことを考えるのは心配の方が大きかったと思われます。

しかし、イエスさまは心配いらないと力強く約束して下さっています。
その証拠として、天の父が養っておられる空の鳥を示されました。
空の鳥には財産がない、保証もない、種まきや刈り取りも出来ない。
それなのに生きているのは天の父が鳥たちを養っておられるのです!
そしてイエスさまはハッキリとあなたがたは鳥よりも、もっと優れた者だと言われました。

人間は鳥よりも何が勝っているのでしょう。
人間には天の父から自然を支配する権威と能力が与えられています。
種を蒔けば、必ず刈り取りが来るという法則を利用することが出来るのです。

そして何より私たちが鳥よりも勝っているのは、私たちが神の似姿に創造され、
神は私たちに最も大切な御子イエスを与えて下さったことです。
私たちは神の一人子イエス・キリストの十字架の死と復活によって罪赦され、永遠の命を与えられ、神の子とされたのです。鳥よりも遙かに私たちは勝 り、愛されているのです!

しかし、鳥の方が人間よりも勝っているところが一つだけあります。
それは、心配しないことです。
空の鳥は心配せず、天の父の養いを心から信頼し、最善を尽くして生きているのです。

人間は鳥よりも遙かに優れた能力、遙かに優れた愛を受けながら、心配によって大切な人生を無駄に過ごし、うつむいて過ごしてしまうのです。なんと 残念なことでしょう。

皆さん、心配いりません!あなたは鳥よりも遙かに優れた存在。
あなたは御子イエスを犠牲にしてまでも天の父が愛された貴い存在!
天の父はあなたを養って下さいます!必ず日々の必要を満たして下さいます!
心配するのを止めましょう。

B心配は意味がない!

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆり がどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、こ のような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがあ りましょうか。信仰の薄い人たち。」マタイ6章27節から30節

心配は意味がありません!心配によって少しでもいのちを伸ばすことがいからです。
却って心配は、私たちのいのちを削ります。時間と精神力を奪うからです。

イエスさまはあのソロモンを例に出して、自分のためには少しも苦労しない野の百合の方が美しいと言われました。
ソロモンを引き合いに出したイエス さまの真意を明確に理解することが出来ないのですが、
この文脈から考えるならソロモンは着物のこと、自分のいのちのことで心配し、思い煩っていた と考えられます。
どんなに財力を誇り、どんなに知恵があり、どんなに美しい服で着飾っても、心が神を離れ、
不安に突き動かされて生きているなら、野の百合一つほど の美しさも無いのでしょう。

野の花には財力も、知恵もありません。自分で動くことすら植物には出来ません。
しかしソロモンより野の百合が勝るところは、神を信頼してありのままの自分を生きることです。
野の百合は神がデザインされた、そのありのままの姿 を誇って咲いているから美しいのです。

不安に突き動かされ、心配が心を覆っているなら、あなたの本当の輝きは掻き消されてしまいます。
野に咲く花一つ一つさえ、美しく装われる天の父は、神の似姿としてあなたをさらに美しく装って下さるのです!

心配ではなく、神のみことばと信仰にある平安で心を満たしましょう!
キリストに似たものに成長する、これこそ本来の私たちの姿です。

【神の国とその義とをまず第一に求めなさい】

C心配は人生の優先順位の乱れから生まれる。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めてい るものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だからあすのための心配は無用 です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。」マタイ福音書6章31節から34節

心配は生きる目的を見失うこと、人生の優先順位の乱れから生まれます。
健康で長生きすること、これは聖書でも神の祝福として書かれています。
健康で長生きすることは私たちが願うべき、大切なことです。
しかし私たちの生きる第一の目的は、決して健康で長生きすることではありません。

ただ少しでも長生きしたい、健康でいたい!
何の為ですか?何の目的の為に健康で長生きしたいのですか?
健康で長生きが人生の最大の目的なら、健康で長生きは立派な偶像です!

聖書は、人間が神に造られた本来の目的、優先順位に従って生きる時、喜びと平安に満ちた人生を歩めると教えています。その反対に、神に背を向け、 自分勝手な人生の目的に向かって乱れた優先順位で生きる時、心の中には恐れや不安を
初めとして、様々な悪い思いに満ちると教えいます。

健康で長生きが人生で一番の目的になるから、何を食べようか、何を飲もうかと心配が生まれるのです。優先順位が乱れているのです。

私たちの人生はただ意味無く健康で長生きする為にあるのではありません!
神の国と神の義、即ち愛に生きることが第一の目的なのです!
神を愛し、隣人を自分のように愛することが、神の国とその義とを求めることです。

私たちは神と隣人を愛し、より良く仕えるために健康で長生きすべきなのです。
そして私たちが愛に生きる時、神は私たちのいのちの必要を備えて下さるのです。

自分を第一にする時、心配は生まれます。自己中心は怒りや、憎しみ、敵対心、自己保身、消極的で否定的なあらゆる悪い思いを生み出します。

しかし、神の国とその義とを第一にするなら、神と隣人を愛する生き方を第一の目的にして生きるなら、愛と喜び、平安など聖霊にある豊かな人格の実 が結ばれ、心だけでなく体も祝福を受けるのです。

神と隣人を愛し仕える人生、これこそキリストにあって救いを受けた、私たち神の子に最も相応しい生き方、ライフ・スタイルなのです!