「積極的なライフ・スタイル(1)宝を天にたくわえる人生」

聖書箇所:マタイ福音書6章19節から23節


「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさ い。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかり は目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなた のうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」マタイ福音書6章19節から23節

山上の説教(マタイ5:1-7:29)は神の国に生きる私たちの価値観を明確に教えています。
イエスさまは律法学者・パリサイ人たちの教えの間違い(5:17-48)、ユダヤ人たちの宗教的な偽善(6:1-18)について指摘され、神の国 に生きる者はどうするべきかを教えられました。

今日、皆さんと分かち合う箇所は、積極的にどのように人生を歩むべきかを教えています。
私たち神の子供たち、またイエスに見習う弟子としての歩みについてです。

@地上に宝をたくわえるのをやめなさい!

イエスさまはハッキリと、地上に宝をたくわえることをやめなさいと命じています。
地上に宝をたくわえるとは、自分自身のためにだけ宝をたくわえることを意味します。

なぜイエスさまは、地上に宝をたくわえることを止めなさいと命じているのでしょうか。
地上の宝はいくらたくわえても、虫が付いたり、錆が出たりして価値がなくなり、盗人に盗まれることがあるからです。
地上の宝は永遠ではなく、私たちの人生を保証する物ではなく、かえって宝がなくなることへの心配や不安を増し加えるのです。

(人生への適用)
価値が決して減ることがない宝、決して奪われたり、無くしたりすることがない宝は地上に存在するでしょうか?

必要以上の宝(やがて無くなる)を、蓄えるために生きる人生は賢いでしょうか?
なぜ地上に宝を蓄えようとするのでしょうか?本当は何が欲しいのでしょう?

A宝を天にたくわえなさい!

イエスさまはハッキリと神の子供たち、イエスを見習う弟子たちに「宝を天にたくわえなさい」と命じておられます。
これが私たちの生き方です!イエスさまはその理由も明確に私たちに教えておられます。

虫が付いたり、錆びたりすることが無く、盗人に盗まれる心配が無いからです!
天にたくわえられた宝は価値が無くなることはありません。永遠に残る本当の宝です。

B天にたくわえられる宝は、あなたの心を健全にする。

イエスさまが天に宝をたくわえる理由として、もう一つ教えておられるのは、天にたくわえられる宝は私たちの心を健全にすることです。
イエスさまは宝のあるところに、私たちの心もあると言われました。
いつも関心を持っているもの、絶えず考えているもの、それが宝です。

私は学生の頃、オートバイに乗っていました。バイクは私の地上の宝でした。
バイクに乗ること、出かけることが一番の楽しみであり、絶えず週末に走る場所を考えていました。
バイクの調子が悪くなると心配になり、どのメー カーのエンジンオイルを使うか気遣っていました。
バイクにワックスまで塗ってピカピカにしていました。
バイクに傷が付くと、思い切り落ち込みました。
駅前や、人通りの多いところに駐車しておくと、イタズラされないか心配で心配でたまりませんでし た。
バイクは私の宝でした。いつも心がそこにあったからです。
しかし、それは地上の宝だったので、私の心にはスピード中毒や心配、不安を与えるものであり、心を喜びや平安と言った健全なもので満たすことはありませんでした。

天に宝がたくわえられると、私たちの心は絶えず天に向けられます。
目が天に向けられるのです。無くなることのない天の宝は、私たちの心を無くなることのない喜び、平安、愛で満たし、健全にするのです。宝は天にた くわえましょう!

(適用のために)あなたの宝は何ですか?
あなたの宝はあなたに何を与えますか?
あなたの宝はあなたを健全にしていますか?

【天に宝をたくわえる生き方とは?】

それでは具体的に、天に宝をたくわえるとはどのような生き方であるか考えてみましょう。
天に宝をたくわえるとは、私たちの人生、私たちの財産、時間や能力をも含めて、天の父が喜ばれ、天の父に報いられるように用いることです。
天に宝をたくわえるとは、私たちの生き方、また選択に関わっているのです。

イエスさまは財産を持つことを否定していません。禁欲主義を勧めてはいません。
イエスさまは積極的に財産を、宝を持つことを勧めているのです。
しかしそれをどのように用いるのか?何の目的でたくわえるのか?それが重要なのです。

仮に1億円あったとします。それを自分のためだけに用い、蓄えておくのか?
それとも、神の国と神の義のために用いるのか?ここが問題なのです。

天の父を喜ばせ、隣人を愛し、仕えるために、私たちの財産、時間、能力を積極的に用いることをイエスさまは私たち神の子供たちに命じているので す。
これがイエスさまの生き方であり、イエスさまの生き方に習う者の歩みなのです。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるため なのです。」マルコ10:45

イエスさまは自分自信のために財産をたくわえることをしませんでした。
イエスさまには地上の財産と呼べる物が無かったようですが、時間、能力、体力、そしてご自身の命までも天の父の御心のために、また私たちの救いの ために捧げられました。
イエスさまが命を与えて下さったから、私たちは罪赦されて、神の子になったのです。
私たちはそれぞれ、与えられた物や能力に応じて、イエスさまの生き方、天に宝をたくわえる生き方に従っていきたいと思います。

(適用)あなたは自分の仕事の目的を何処においていますか?
自分の喜びのため、少しでも余計にお金を稼ぎ、人々からの賞賛を得るためですか?
あなたの仕事の目的を天にまで引き上げてみましょう。
そのために自分の心の態度、仕事への姿勢をどのように変えるべきでしょうか?
天の父に知恵と導きを求めて祈りましょう。また、その変化を分かち合って下さい。

【二人の主人に仕えることは出来ない】

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神 にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイ福音書6章24節

私たちの性質をよく知っているイエスさまは、私たちの主人は神であるか、金であるかを問うています。
どちらも愛して、仕えることは出来ないので す。

金を愛するなら、もしかしたら全世界を得るかもしれません。しかし、真の命を失います。ほとんどの場合、全世界を得るどころか、金を愛しても報い はありません。
いくら金を稼ぎ、富を得ても、永遠の住まいに持っていくことは出来ないからです。
地上を自分のためだけに生きるなら、天に持っていけるのは永遠の後悔だけです!

しかし、私たちが心から神に仕え、神を主とするなら、私たちは富の正しい管理者になります。自分の時間、能力を神のために賢く用いる者になるので す。
神を主人として、神に仕える人生を送るなら、天には永遠の報いが待っています。
そして天に宝をたくわえる人生は、私たちの心を健全にし、明るくし、喜びと平安で満たしてくれるのです。

「今日のキリスト者にとって、最も気を付けねばならないものは何か。共産主義や自由主義といったイデオロギーではない。仏教やイスラム教などの他 宗教でもない。国家主義や日本人の精神構造と言った問題でもない。それは物質主義、快楽主義、拝金主義である。この拝金主義は、マモニズムと言わ れ、イエスが語られた「マモン(富み)」から来ている。キリストの信仰を持てば、神の祝福を受けて全てが上手く行き、この世の事柄においてもすべての点で繁栄していく、と主張するキリスト者たちがいる。いわゆる"Prosperity Christianity (繁栄するキリスト教)"である。この神学は、現代のキリスト者が聞くべきメッセージを含んではいるが、同時に落とし穴も孕んで いる。マモニズムのキリスト教的変形になりやすいからである。(注 信仰の目的が神の栄光ではなく、自分の繁栄のためにすり替えられてしまう危 険。また信仰が持っている物やこの世の成功で計られる危険など。)
1970年代に、北米を中心にシンプル・ライフ運動が展開された。富める先進国に住むキリスト者に簡素な生き方をすように、チャレンジしたので ある。福音主義者は、この運動を一時のブームに終わらせないで、自らの本性が変えられる
まで、イエスのメッセージに聞き続ける必要がある。」中澤 啓介著 マタイの福音書注解(上)p458

私たちは自分自身のためにはシンプル・ライフ、しかし神の国の発展のためには大胆に、積極的に生きる者でありたいと願います。