「天の御国を現す弟子(2)」
聖書箇所:マタイによる福音書4章17節から25節

【キリストの弟子に召される】

イエスさまが三年の公生涯で行われていたことの一つ目は福音宣教でした。
二つ目は弟子を作ることでした。

私たちはイエスさまを信じるとクリスチャンになると考えています。
クリスチャン(キリスト者)という言葉は聖書に出てきますが、「イエスを信じてクリスチャンになれ!」と書いてある箇所はありません。
クリスチャンのイメージがあまりにも強すぎて、聖書に基づかない勝手なイメージが先走っているように思います。そのようなクリスチャンのイメージ に自分を合わせないで下さい。
イエスさまが求めておられるのは弟子です。私たちはキリストの弟子なのです。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたが たは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいた すべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28章18から20 節

大宣教命令として知られている箇所です。
マタイはイエスさまの最後の命がは「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と伝えています。
イエスを信じてバプテスマを受けることは、イエスの弟子になると言うことなのです。
それがいつしか弟子の代わりに「クリスチャン」が用いられ、クリスチャンのイメージを守ることが信仰の生涯だと勘違いする人が沢山いるのです。

イエスさまの弟子は、第一にイエスを主とし、天の御国の教え、価値観に生きる者です。
天の御国の教え、価値観はマタイでは5章から7章と、たとえ話をとおして教えられています。
天の御国の教え、価値観についても、詳しく分かち合う予定です。

弟子とはどういう者なのかをペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネが弟子として召された箇所から学びましょう。

【イエスさまの呼びかけに応答し、従う者が弟子】

「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を 打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従った。」マタイに よる福音書4章18から20節

弟子達は自分からイエスの弟子になったのではありません。
イエスさまの方からペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを選び、弟子とするために招かれたのです。その招きに応じてイエスさまの弟子になったのでし た。

ハレルヤ!今日ここにおられる、全ての愛する兄弟姉妹はイエスさまに選ばれています!
イエスさまに選ばれないで、ここに来ることは出来ないのです。
イエスさまは、みなさんを一人ひとり、ご計画を持って、弟子として召されたのです。

ペテロとアンデレには「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と呼びかけられました。

イエスさまはペテロとアンデレに「一番大きい教会の牧師にしてやろう」とか「宗教家にしてやろう」とは言いませんでした。彼らは漁師なので、漁師 以外になるのは難しかったのです。

イエスの弟子になるとは、決して宗教家になることではありません。修道院に入ることでも、出家することとも違います。漁師は漁師のままで良いので す!
しかし、弟子になるとは、漁をする対象と目的が高められるのです。
これからは神の御国のために、救いのために、人々の心を捉える漁師に変えられたのです。

キリストの弟子となると、生きる目的が変えられます、より優れた目的に高められます!
今までの仕事は自分の糧を稼ぐため、また自己実現のための手段だったかもしれません。
それが同じ仕事であっても、神の御国を現すため、人々を救う目的へと変えられるのです。
私は以前は肉屋で働いていました。実家が肉屋ですから。今もある意味、肉屋なのです。
以前はお客様の胃袋を満たすために、豚肉、牛肉を販売していましたが、今は神のみことばで皆様の霊と心を満たすために働いているのです。

イエスさまは一人ひとり、特別な計画をもってみなさんを弟子として召しておられます。
弟子とは、あなたを召しておられるイエスさまの招きの声を先ず聞く者です!

「主よいったい何の目的のために私を召しておられるのですか?」と、祈りの中で主に問うてください。必ず主はあなたに計画を示してくださいます。

イエスさまは、あなたを、今置かれている状況の中で、さらに高い目的のために生きるために、呼びかけておられます。招いておられます。祈りの中に イエスさまの御声を聞きましょう。
イエスの御声を求め続けること、聞き従う者がイエスの弟子です。
聖書から、また他の兄弟姉妹の生き方をとおして、ある時は新聞、雑誌を通しても語られる主の御声を聞きましょう。

あなたでしか出来ない、神の国の表現、父の愛の表現があるはずです!
あなたでしか福音を伝えられない人々が、あなたの周りにはいるはずです!
あなたでしか語れない、神の証があるはずです。
主イエスは何をあなたに願っておられるのか、祈りの中で求め、聖霊にある確信が与えられたら大胆に、それに向かって進んでください。

【イエスを信頼して歩む】

「そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っている のをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」マタイ4章21.22節

ヤコブとヨハネの兄弟も、イエスさまによって弟子として召されました。
「船も父も残してイエスに従った」と書いてある箇所を、仏教の出家と勘違いしないで下さい。
弟子となるとは、仕事を辞め、家族を養うなどの責任を放棄することではありません!
この世との関係を一切捨てて、世捨て人になることとは違うのです。

ヤコブとヨハネにとって、船があること、父親の家に住んでいることは大きな保証でした。
ガリラヤ湖で家族と一緒に漁をしていたら、金持ちにはなれなくても、十分に暮らしてはいけたのです。その生活の保証を手放して、弟子達はイエスに 従ったのです。

ここにイエスの弟子としての大切な原則があると思います。
イエスの弟子とは、生活の保証をキリストに置く者であると言うことです。

私たちは自分の持ち物、能力にいのちの保証を求めると、どんどん信仰が薄くなります。
そして、自分を守るだけの消極的な信仰になります。
神に信頼すること、神に期待することが無くなるからです。
「持ち物を全て捨てなさい!」などと、カルト牧師のようなことは言いません。
しかし、持ち物に信頼を置く生き方を捨てなさいと勧めます。

神に信頼して、聖霊の導きと平安の中に、イエスの弟子として歩みましょう。
主が導かれるなら、未知の領域にも踏み込んでください。
朝ごとに新しい神の恵みに満たされ、聖霊の導きを求めて歩みましょう!