「天の御国を現す弟子(1)」
聖書箇所:マタイによる福音書4章17節から25節

【イエスさまは天の御国を伝え、御国を現された】

イエスさまの公の生涯、救い主キリストとして活動された期間は約三年でありました。
バプテスマのヨハネから洗礼を受けた時から、公生涯は始まりました。

イエスさまの来られた目的は、私たち人類を罪と死の滅びから、ご自身の血をもって買い戻すことにありました。イエスさまだけが罪のない、神のひと り子でした。
罪のないイエスさまだけが、全人類の罪を身代わりに背負うことが出来たのです。
イエス・キリストは私たちの罪を十字架で背負い、身代わりに罰と死を受けられました。

キリストの流された血潮によって私たちの罪は赦され、キリストの身代わりの死によって、私たちは永遠の滅びから救われたのです!
キリストは死んで三日目に、罪と死を滅ぼし、復活されました!
イエス・キリストを救い主として信じる者はだれでも、罪の赦しを受け、キリストの復活のいのちを受けるのです。信じる私たちはキリストによって、 神の子とされたのです。
イエス・キリストが来られた目的は、私たち信じる者がいのちを得、またそれを豊かに持つためでした。(ヨハネ福音書10章10節を参照)

キリストの購いの御業(ご自身の血をもって私たちを罪と死の滅びから買い戻すこと)は、公生涯の最後、過ぎ越しの祭りの時に成し遂げられました。 僅か三日間の出来事です。
しかし、決定的な救いを成し遂げました。(私たちは主の復活を今月24日(日)に祝います。)
さて、それでは約三年の公生涯、その大半をイエスは何をなしておられたのでしょう。

先ず一つ目は、福音の宣教です。

「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。(17節)」

イエスさまは天の御国(神の国)の到来を告げ、天の御国がどのような物であるのかを体験させました。そのことを通して、ご自身が天の御国の主であ ることを証明されたのです。
具体的には23,24節です。

「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリ ヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて 来た。イエスは彼らをお直しになった。」マタイ4:23.24

イエスは天の御国の価値観を分かち合い(マタイ5章から7章の山上の垂訓、一連のたとえ話)、天の御国を体験させました(病の癒し、悪霊の追い出 し、奇跡など)。

私たちも、このイエスさまの働きを継承しなければなりません!
イエスさまの地上の体はエクレシア(教会)です、私たちは主の業をも行う者です。

天の御国を地上に示す働きを、教会は長い間、忘れてしまっていました。
これを再び取り戻すことは、救いを伝える上でとても重要です。
しかし、もちろん聖霊さまの導きと、愛によらなければなりません。

病の癒しや悪霊追い出しを強調しすぎて、カルト的になったり、聖霊よりも悪霊を強調するようでは間違った方向に傾いてしまいます。
しかし、これらを全く否定すると、教会は宣教のための大きな力を失います。
聖霊さまの導き、愛の配慮が何よりも大切です。

これは私の体験から言うことですが、御国を体験させること(病の癒し、悪霊追い出し、奇跡)はその教会が置かれている国の文化に大きな影響を受け ると思います。
私はブラジル、またフィリピンの教会にいた時、病の癒しや悪霊追い出しを頻繁に目にしました。しかし日本では病の劇的な癒しや、悪霊の追い出しは ほとんど見ません。
これは文化が大きな影響を与えているのだと思うのです。

ブラジルの文化は(私は文化人類学者ではありません、主観的な意見です)、開放的でストレートな表現を好むのだと思います。だから癒しも分かりや すいのです。
生まれつき目が見えない人が、祈ってもらって見えるようになった!
聖書に出てくる癒しの奇跡が、今日でも起きているのです。このような証を直接、聞きました。
悪霊の追い出しもそうです。フィリピンで、私が初めて教会に来た男性に祈ったところ、映画のエクソシストのようなことになり、その男性は悪霊から 解放されたのです!
一番驚いたのは、その男性のために祈った私自身でした。私も不信仰から解放さ
れました。
しかし、日本で同じように祈っても、同じようなことは起きないのです。
(※日本でも、悪霊はイエスを信じる信仰によって完全に追い出されています!)
文化が大きな影響を及ぼしているのだと思います。

日本人はほとんどが公の前で自分の感情を分かち合うことを恥じます。
自分の内面をさらけ出すことは、解放の喜びであるよりも、恥と感じる方が強いのです。
ストレートな感情表現を好まれません。これはユダヤ人の文化と大きく違うのです。
私は以前、日本の文化があまりにも聖書に登場するユダヤ人の文化と異なるので、日本の文化の方が劣っている、間違っていると思ったのですが、今は 違います。
文化に優劣も無ければ、良いも悪いもありません。日本の文化には良い面がたくさんあります!もちろん複雑で消極的な面もあります。
しかし、天のお父様は日本の文化も愛しておられると私は確信するようになりました。

今回の震災を通して、多くの日本人が被災された人の痛みを自分の痛みとしています。
多くの見舞金が集まり、ボランティア活動にも積極的に参加し、支援物資も山のように被災地に送られています。愛を進んで実践する素晴らしい文化が 日本にはあるのです。

私たちは日本での宣教が全く進んでいない現実を知っているのですが、それは日本の文化に合わせて神の御国を伝えていなかったことが大きな原因では ないかと思うのです。
日本の文化に合わせて御国を体験させる、御国を伝えることが大切なのです。

今までの日本の教会は、アメリカで大きくなった教会のスタイルをそのまま真似て導入しようとしたり、ある時は南米のアルゼンチンで流行した悪霊追 い出しを、そのままの形で取り入れようとしたりと、物真似ばかりして来ました。そしてことごとく上手く行かない!
なにも実を結ばず、なにも根付かずに終わり、教会はさらに縮小しています。
あまりに目に見えるものだけに心を奪われてきて、聖霊さまの導きを無視してきたのです。私たちは聖霊がどのように日本で、神の御国を表現されるの かを求めなければなりません。

私は先日ゲスト・スピーカーとして来られたカーク山口師の癒しの祈りは、私たちエクレシアが続け行うべき、神の御国の表現の一つだと思いました。
カリスマ伝道師が癒しのために祈るのではなく、私たちが必要ある人達のために、心から信仰をもって手を置いて祈ること。派手さも、何の演出もあり ません。
神の御国を表現するというのは、天の父の愛の表現と同じなのです。愛の現れなのです。
(※賜物としての癒しも聖書にあるので、特別に癒しを行う牧師や信徒も大切です)

また癒しの理解についても、私たちは日本の文化に合わせる必要があります。
聖書の舞台となったイスラエルの文化は、ストレートです。白か黒かハッキリしています。
イエスさまも彼らの文化に合わせて御国を示されたのだと思います。
足が不自由な方が目に見える形で癒され、立ち上がる。目が見えなかった人が見えるようになる。悪霊も目に見えるような形で出て行く。
ブラジル、フィリピンも似ていると思います。ストレートで分かりやすいのが好まれる。
アメリカの癒しの集会なども、杖をついて来た人が、癒されて杖を投げ出して踊り出す。
車いすでやって来た人が、車いすから跳ね起きる。見ていて分かりやすい。

しかし、これを日本でやると問題が起きます。インチキじゃないの?
癒されなかった人はどうなるの、不信仰なの?救われていないの?
一部の人は癒されて、なぜ一部の人は癒されないの?
このようなことを全く考えないで、癒しの集会を喜べたら良いのですが、どうしても考え、時には悩むのが私たち日本人の文化ではないでしょうか。
しかし、私はこのような文化を神様に感謝するようになりました。
私たちは癒しについて深く考え、悩み、聖霊さまに癒しの深みまで導いて頂きましょう。
父の愛と癒しは大きく、そして深いのです。

私たちはキリストにあって、だれもが癒されるのです!
しかし手を失った人の手が生えてきたり、足を失った人のあしが生えるような癒しでは必ずしもありません。そうではなく、手を失った人が、手がない ままでも、手がある人以上に生きていることを喜べるようになること、足がない人が足がないままでも、今までよりも元気に力強く、いのちに溢れるこ とがキリストにある癒しだと確信するのです。

このような目に見える表面上の変化を求める癒しだけでなく、私たちの存在そのものが癒され、自己中心から神中心へ、自己愛から隣人愛へと生きる目 的が変えられ癒される、いのちの質的な変化、癒しを追い求めていきましょう。
(※もちろん、奇跡的な癒しは聖霊さまによって今日でも、日本においても起こります)

星野富弘さんは主にあって癒された人の一人です。
彼は体育教師をしていた時に、事故で首からしたが完全に麻痺しました。
彼は寝たきりの状態でイエスを信じ救われましたが、体に目に見える変化はありません。
しかし、彼は癒されたのです!彼はイエスを信じることにより、自分が生かされていることを心から感謝する者に変えられました。
自分が動かせる口を通して、神への賛美、周りの人々への感謝を詩にして書くようになったのです。自然の美しさを色紙に書き、美しい詩を書き添えま した。
彼の絵と詩は、多くの人々を感動させ、そして彼の生涯を通して多くの人がイエスに心を開いているのです。富弘さんは、健康だった時よりも遙かに多 くの人に出会い、影響を与えています。これこそキリストが私たちに与える癒しの姿だと確信します!
私たちはこのような本質的な部分の癒しを求め、また伝えていきましょう。

私は日本がリバイバルすることを心から願っています。
日本では表面的な、外国の物真似は通用しません。しかし福音の本質的な部分が明らかにされるなら、多くの日本人がイエスさまに心を開くと確信する のです。

イエスさまが御国の福音を伝え、それを人々に体験させたように、私たちも日本の文化、心情にあわせて福音を伝えましょう。目に見える表面的なもの ではなく、私たちの内面を造りかえるキリストの愛、キリストの癒しを先ず自分が体験し、伝えていきましょう。