「こうして、あなたがたは、すべての信者の模範になったのです」
テサロニケ人への手紙 第一 1章
牧師 小林智彦

【テサロニケ人への手紙が書かれた背景】

テサロニケの教会はパウロの第二回宣教旅行の際に開拓された教会。使徒17章参照
テサロニケのユダヤ人会堂で三週にわたる宣教の結果、数人のユダヤ人と大勢の
改宗ギリシャ人が救われる。しかしユダヤ人の大きな迫害に合い、テサ ロニケ
を離れざるを得ない状況に追い込まれた。誕生間もない教会から引き離されたパ
ウロは、教会の状況を心配し、何度も戻ろうとするも状況が許さ ず、そのため
弟子のテモテをテサロニケに派遣する。
テモテはテサロニケの信徒たちが迫害の中でも信仰を堅く保ち、パウロとの再会
を心から待ちわびていると言う喜ばしい知らせを報告した。それととも に、教
会の中に再臨に関しての誤解から生じる混乱、また道徳的な問題があることも報
告される。
パウロは彼らに対する愛を伝え、教えと生活の面での誤りを正し、主の御前に
「聖く、責められるところない者」とするために手紙を書い た。(AD50-51年、
コリントにて執筆)

【信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐】

「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなた
がたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の 働き、
愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。(2.3節)」

テサロニケの信徒たちがどのような信仰を持っていたのか、この2.3節にあり
ます。
パウロは信仰・希望・愛をいつも強調しておりますが、テサロニケの教会は、ま
さに信仰・希望・愛に生きる教会でした。
誕生間もないにも拘わらず、彼らの信仰は生きて働くものになっていました。
信仰は頭の中にとどまるものではありません。一時の気休めでもありません。
信仰は私たちの生き方を変え、人生の目標を変え、それに向かって歩ませるもの
です。
テサロニケの信徒たちは、信仰から生まれた働きがありました。

「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡った
だけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっている ので、
私たちは何も言わなくてよいほどです。(8節)」

彼らは誕生間もない教会にも拘わらず、また霊的な父親であるパウロと引き離さ
れたにも拘わらず、そしてユダヤ人からの迫害にも拘わらず、みことば を宣べ
伝えていたのです!彼らの信仰は生きて働いていました。

ユダヤ人の迫害、また霊的な指導者たちの不在というマイナスの状況の中でも彼
らを支えたのは、キリスト再臨に対する強い希望でした。希望は忍耐を 生み出
します!

確かな希望が見えているとき、私たちには驚くほどの忍耐が生まれるのです。
キリストが必ず再臨される希望、この希望こそ、試練の中で私たちを支える力な
のです。

テサロニケの教会は信仰・希望・愛に生きる模範的な教会でした。
「こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になっ
たのです。(7節)」

パウロは「こうして・・・模範になったのです」と言っています。
テサロニケ教会はどうして?短期間に理想的な教会、信徒の模範になったので
しょうか。テサロニケの信徒たちを短期間に成長させたものはいったい何 だっ
たのでしょう。
テサロニケの信徒はすべての信者の模範ですから、私たちも彼らに倣いましょう。

【私たちの福音があなた方に伝えられたのは、力と聖霊と強い確信とによったの
です】

「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たち
が知っています。なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたの は、こ
とばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、
私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのよう にふるまった
かは、あなたがたが知っています。(4.5節)」

パウロはテサロニケで福音を伝えたときの状況を振り返って語っています。
福音は「神の福音」「キリストの福音」ですが、5節ではパウロは「私たちの福
音」と呼んでいます。これは単に救いの真理を伝えたと言う以上に、自 分が体
験した福音、体験した上で確かなものであると証明された福音を伝えたと言う意
味が含まれていると考えられます。

パウロが伝えた福音は、人から伝え聞いたものをただ伝えたのではなく、自分の
体験に基づいて確かめられた福音を伝えたのです。

皆さん、福音はあなたのものとなっていますか?あなたは福音を体験しましたか?

福音とは何でしょうか?第一コリント15章に書かれてあるように、キリストが
私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、三日目に復活され、 多くの
証人の前に姿を現されたことです。この神の福音を信じることによって、私たち
は救われるのです。

そして信じた私たちは体験として、パウロと同じように告白するのです!
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのでは
なく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世 に生き
ているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰
によっているのです。ガラテヤ2:20」

これが「私たちの福音」です!
福音を体験するとき、私たちの人生がそのものがキリストの救いを語り出すのです。
自分と家族、隣人の人生を不幸にし、破滅に導いていた罪、どうやっても止めら
れない、どうやっても変われない罪の人生が明確に十字架で滅ぼされた 体験!
人間的な演技ではない、内面から新しい人に変えられた復活の体験!
これが私たちの福音です!

「私も変えられた!だから、あなたの人生も変わるよ!新しくなるよ!」これが
福音です。
皆さん、キリスト教の宣伝なんかする必要ありません!止めて下さい。
宗教の宣伝ではなく、宗教の勧誘でもなく、福音によって変えられた自分を伝え
て下さい。

皆さん、カステラの空き箱をもらって嬉しいですか?「はい、プレゼントで
す」って、渡されて、家に帰って楽しみに明けてみたら空だった!頭に来ま すね。
宗教の宣伝はそのようなものです。体験のないことばに、人を変える力はありま
せん。

しかし、包装されていなくても、「これ、ちょっと食べてみて」と本当に美味し
いカステラをプレゼントしたら、相手は大満足です。これが「私たちの 福音」
です。
伝え方が下手でも、形がなってなくても大丈夫です。中身のあるものは伝わります。

キリストの十字架に、自分がどれだけ本音で向き合っているかが問われるのです。
神に従いたくない自分、罪を喜ぶ自分、自分中心、人のことを全く考えない自
分、本音の自分を神の前に言い表し、キリストの十字架の死をもって、古 い性
質を滅ぼして下さるようにとひたすら願うことです!

十字架の体験なしには、あなたは変わらない!家族も変わらない!隣人も変わら
ない!
しかしキリストともに死ぬなら、私たちは変えられるのです!

【力と聖霊と強い確信とによったのです】

パウロはさらに、この福音が「力と聖霊と強い確信によった」と言っています。
聖霊による力強い確信が、語るパウロにあり、聞いているテサロニケの信徒たち
にも生まれたのです。

この聖霊による力強い確信の上に、テサロニケの信徒たちは堅く立て上げられま
した。
建物を建てるとき、大切なのは土台です!建物の大きさも、高さも、土台が決め
るのです。神のみことばに対する力強い確信があるなら、あなたの信仰 が揺ら
ぐことはありません。
しかし、みことばに対して確信が持てないとき、信仰は絶えず揺さぶられてしま
うのです。

あなたは、テサロニケの信徒たちのように、聖霊による力強い確信の上にクリス
チャン・ライフを建て上げていますか?あなたの信仰は強い確信に支え られて
いますか?
聖霊による力強い確信を求めましょう!

聖書に対し、信仰にたいして確信を強めるための時間や努力を惜しまないで下さい。
何もしないで、ある時、急に強い確信が生まれることはありません。

神の存在について、聖書の確かさ、また本当にキリストは復活したのかなど重要
な点に関しては、特に時間を割いて確信を得る努力をして下さい。
リー・ストロベルが書いた「ナザレのイエスは神の子か」はお勧めできる一冊です。
また彼の「それでも神は実在するのか」、「宇宙は神がつくったのか」もお勧め
です。
内田和彦師の「キリスト教は信じられるか」も素晴らしい本です。
私たちの信仰は「鰯の頭も信心」のような盲目的な信仰では決してありません。
確かな理性に支えられた信仰なのです!

また聖書の約束について確信が必要な場合は、「確信の学び」を学びましょう。
福音がどれほど人を変える力があるのか?ぜひ教会の兄弟・姉妹の証を聞きま
しょう。
証を求められたとき、恥ずかしがったり、戸惑ったりせずに、大胆に変えられた
自分の人生について分かち合って下さい。それが主の栄光を表すことな のです。

また教会図書にも、イエス・キリストによって人生が変えられた人々の証が本と
なってたくさん納められています。それらを読むこともお勧めします。

聖霊に力強い確信を求めて祈って下さい!求めるなら必ず与えられます。
神とそのみことばに対する確信は、私たちの信仰を支える大切な土台だからです。

【聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ】

「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入
れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、 マケド
ニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。(6.7節)」

テサロニケの信徒たちは力強く証される福音を聞き、創造主への確信、キリスト
の十字架の死と復活の確信、罪の赦しと救いの確信、そしてキリストの 再臨の
確信を得ました。
その時、彼らの心には「聖霊による喜び」が溢れたのだと思います。喜びです!

最後に分かち合いたいポイントは、喜びです。
みことばへの確信が深まると、心に聖霊の喜びがわき上がってきます!
救われた喜び!罪が完全に赦された喜び!創造主を父と呼べる喜び!永遠を神と
ともに過ごせる喜び!喜びが沸いてくるのです!神から来る喜びは救わ れた証
印の一つです。

聖霊による喜びがあるから、私たちはみことばに従えるのです。
テサロニケでは異教と偶像からの劇的な改心が起きたようです。
「あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕える
ようになり」と9節にあります。
多神教から、唯一の神を信じたのです。他の神々をきれいに捨て去ったのです。
何がこの劇的な改心を可能にさせたのでしょうか?聖霊にある喜びです!

嫌々ながら聖書に従っても、必ず後で辛くなるのです。
牧師や他の信徒を恨みたくなります。
しかし、聖霊にある喜びがあったら、自ら進んでみことばに従います。

聖霊の喜びです!あなたは聖霊の喜びに溢れていますか?
テサロニケの信徒たちは、聖霊の喜び、再臨の希望に満たされて迫害の中でも耐
えました。

皆さん、聖霊の喜びは神とみことばへの強い確信から生まれます!
ぜひ、神ご自身と、みことばに対する確信を深めていきましょう。
確信が深まるにつれ、あなたの心には聖霊から来る深い喜びがわき上がります。