「霊的な知恵と理解によって、真の知識に満たされますように」
コロサイ人への手紙から
牧師 小林智彦

今週はコロサイ人への手紙から、キリストを知ることの大切さについて分かち合
いたいと思います。

【コロサイ人への手紙手紙が書かれた理由】

コロサイ人への手紙をパウロが書いた理由は、コロサイ教会に異端の教えが忍び
込み、健全な信仰が歪められようとしていたからです。

コロサイ教会に忍び込んだ異端の特徴は2章に書かれてあります。

「私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやま
ちに導くことのないためです。」2章4節
「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意
しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世 に属す
る幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません」2章8節

この異端は、哲学的な議論によってキリストの神性を否定し、コロサイの信徒た
ちの健全な信仰を歪めようとしたようです。

また2章11節には割礼について書かれてあり、16節からは「食べ物と飲み物
について、・・・祭りや新月や安息日について」とあるように、ユダヤ 教の律
法や伝統を守らせる律法主義も含まれていたようです。

また18節には異端者達が「御使い礼拝」をし「幻を見たこと」など、霊的な体
験を重んじていたことが分かります。

パウロはコロサイ教会の現状をエパフラス(1章7節参照)から聞き、教会を異
端から守るために祈りを込めてこの手紙を書きました。

パウロはこのように祈っています。

「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのため
に祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解 力に
よって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。」1章9節

私たちがこの手紙から学ぶべき大切なポイントは、キリストに対する正しい知識
をもつことの大切さです。

イエス・キリストが神であることを異端は否定します。
これは現代の異端であるモルモン教、エホバの証人、その他キリスト教系カルト
にも当てはまることです。

異端やカルトがキリストの神性を否定するのは、キリストの十字架の死と復活に
よる救いを不完全であると否定するためです!

キリストの救いが完全であるなら、異端の出る幕はないのです。
なぜならキリストによる救いが完全なら、信じるだけで人は救われるからです。
しかし、キリストの救いを不完全とすることによって、救いを完成するために異
端の教えが必要だと、彼らは強調するのです。

異端やキリスト教系カルトは、キリストの救いの不完全さを説き、救われるため
には宗教的な行いや霊的な体験が必要であると教えます。
多くの人々が今日も異端の教えによって宗教の霊に束縛されています。
恐れによって、教祖に服従させられ、時間もお金も人生も奪われているのです。

メッセージの中でも何度も語りましたが、異端宗教の虜にされている人たちの中
には、少なからず正統的な教会から流れてしまった人がいるのです。と ても残
念なことです。

私たちはキリストに対する正しい知識を聖書からしっかりと持ち続けましょう。
キリストに対する正しい知識、これがクリスチャン・ライフの土台を堅固にします。
またキリストに対する正しい知識は、私たちの生き方を変え、実を結ばせる力です。
キリストに対する正しい知識を祈り求めましょう。

【霊的な知恵と理解力による真の知識】

「どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに
関する真の知識に満たされますように。」1章9節

パウロは霊的な知恵と理解力によって、真の知識に満たされるようにと祈ってい
ます。

パウロは人間的な知恵(だましごとの哲学)と霊的な知恵(ソフィア)を対比させて
います。
霊的な知恵とは、一体どのような知恵なのでしょう。どのようにして得るので
しょうか。

霊的な知恵について聖書は繰り返し、「主を恐れることは、知恵の初め」(詩編
111編10節)と教えます。主に対する信仰こそが,知恵の出発点で あり,本質で
あると教えています。
またエレミヤの「見よ.主のことばを退けたからには,彼らに何の知恵があろ
う」(エレ8:9)は、知恵が神のみことばを尊び、聞き従うところにあ ることを
教えています。

神を恐れる、つまり、神を心から敬い、信じることなしに霊的な知恵は与えられ
ません。
人間の生まれながらの知恵だけでは、神の真の知識には達しないのです。
私たちは心から神を信じ、み言葉に聞き従いましょう。そこに霊的な知恵は生ま
れます。

霊的な理解力はどうでしょう。同じく詩編111編10節の後半にこうあります。
「主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。」

神の知恵を行うこと、これが明察(理解)を得ると詩編の作者は教えています。
つまり理解(明察)とは、神の知恵を実際の生活に適用することと言えるでしょう。
知恵が頭にあるだけでは、本当の理解になりません。それを行って初めて理解す
るのです。
そして神の御心に関する真の知識は、信仰とみ言葉を自分の人生に適用した結
果、得られるものと言えるでしょう。

私たちは信仰により、み言葉である聖書から知恵を受けましょう。
そして、その知恵を生活に適用するのです!それが本当の理解です。
信仰を持ってみ言葉を人生に適用すると、驚くべきことが起きます。
それが神を知る真の知識になるのです。

霊的な知恵と理解力によって、神への真の知識が増し加わるならば、異端の教え
に惑わされることはありません。

【キリストに関する真の知識に満たされよう】

パウロはコロサイ人への手紙の中で、特にキリストの神性と、キリストの十字架
の死と復活が私たちにもたらした救いの完全さを強調しています。
パウロはコロサイ教会の人々にこの二つのことに関して特に正しい知識に満たさ
れるように願ったのです。それはコロサイの信徒だけでなく、私たちへ の願い
でもあるのです。

私たちも霊的な知恵と理解力によって、キリストの神性、そしてキリストの十字
架の死と復活に対する真の知識に満たされましょう。

キリストの救いを体験して心が聖霊に満たされた人が、教会の帰り道で「木々が
神を賛美しているように見えた」と言う証を何度か聞いたことがありま す。
(注)このような体験をしないと救われないのでは決してありません。

「木々が賛美しているように見えた」、これは救われた方の世界観が劇的に聖霊
によって変えられた結果と言えるでしょう。これもキリストを知る真の 知識の
一つです。

キリストを本当に知るなら、当然私たちの世界観は変化します!

キリストを知らない前、神の存在を否定していた時は世界は偶然に出来たと言う
進化論的な世界観を持っています。木が植わっていたら、それは人間が 植えた
か、たまたまそこに生えているだけ、何の意味も見いだせません。

ところが、キリストに対する真の知識に満たされだすと・・・

「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も
支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子に よって造
られ、御子のために造られたのです。(コロサイ1:16)」

道端に植えられている木々も「御子のために造られた」、イエスを賛美している
ように見え始めるのです!

これが霊的理解です!

霊的な人、神の真の知識に満たされた、霊的に成熟した人の特徴は、あらゆる事
柄の中に神を見いだす人と言えるでしょう。

自分の人生の中に、神の計画を見いだし、今日出会う人々の中にも神の導きを見
いだす人。
日常の些細な出来事の中にも、神の御手を見いだすことが出来る人は御霊に満た
された人です。

私たちがキリストの神性と、キリストの救いの確かさを本当に理解するなら、私
たちの世界観は劇的に変化し、それに伴い、私たちの人生は劇的に変化 します!
キリストを知って、人生が変化しない人は一人もいないのです。

キリストを本当に知るなら、道端に植えられた木々も、野原に咲く花々、空に飛
び交う鳥たちも皆キリストによって造られ、キリストの栄光を表すため に造ら
れたことが見えてきます。そして何よりも、自分自身がキリストによって造ら
れ、キリストのために造られたことが見えてくるのです!あなたの 中にはキリ
ストの刻印が刻まれています。

イエス・キリストは天と地とそれに満ちる全てのものを創造された創造の神!
そして私たち一人ひとりを計画を持って創造された創造主!
霊的な知恵と理解力によって、この真の知識に満たされるように求めましょう。

【キリストの十字架の死と復活を知る】

「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れた
のなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、『すが るな。
味わうな。さわるな。』というような定めに縛られるのですか。そのようなもの
はすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと 教えによるも
のです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉
体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉の ほしいままな欲望に
対しては、何のききめもないのです。」
コロサイ人への手紙2章20から23節

最後に私たちはキリストの十字架の死と復活を知っているか、その知識に満たさ
れているかを自分の心に問うて見ましょう。

キリストが十字架で死んだことはクリスチャンでなくとも知っています。
復活されたことを認めているのはクリスチャンです。
しかしパウロはさらに一歩進んで、キリストの十字架の中にあなた自身を見てい
るか?と問うているのです。

キリストは、ただ一人で十字架の上で死んだのではありません!
キリストはあなたと一緒に十字架で死んだのです。

キリストの十字架の死の中に自分自身を見いだせないなら、あなたはまだ罪の中
に生きているのです。

罪から解放されようと、あらゆる修行、善行、奉仕を行っても、何の解決になり
ません。罪に苦しむあなたを、さらに苦しめるだけになるでしょう。

霊的な知恵と理解力により、古い自分をキリストの十字架の死の中に見いだすこ
とです!
古い自分、罪に流され、罪を慕う自分はキリストとともに死んだことを見いだす
のです。
キリストの十字架にともに付けられ死んだ古い自分の姿が明らかに見えるように
なればなるほど、私たちはキリストの復活のいのちに満たされて生きる のです!

キリストともに死ぬことが、キリストともに生きることです。
古い自分を十字架に付けることなくして、キリストの復活に生きることはありま
せん。

神の真理はハッキリと宣言しています。

「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリスト
を死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリスト ととも
によみがえらされたのです。」コロサイ2章12節

霊的な知恵と理解力によって、キリストの十字架の死の中に、そしてキリストの
復活の中に自分自身を見いだしましょう。この真の知識に満たされるこ と求め
ましょう。

「主を恐れることは、知恵の初め」です!キリストの十字架と復活を信仰を持っ
て見上げ、心からみ言葉を受け入れましょう。聖霊がみ言葉の真理をあ なたの
心に啓示し、力を表して下さいます。