「キリストにある豊かないのちを持つ(2)」
ヨハネ福音書10章10.11節
牧師 小林智彦

【キリストにある豊かないのちを持つ】

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。
わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたし
は、良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」ヨハネ福音書10章10.11節

今年2011年のエクレシア目標聖句はヨハネ福音書10章10.11節です。
エクレシアの神の家族がキリストの復活のいのちに溢れますように祝福します!

さて先週も強調したように、イエスが私たちにいのちを与える働きは「完了し
た」のです。
神と私たちの間には、罪による断絶状態があります。
人間の努力や修行、あらゆる良い業、良い行いを持っても、神に達することが出
来ません。
しかし、神の側から私たちに救いの道を開いて下さったのです。

その道がイエス・キリストです!

イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してで
なければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)」と宣言されました。

誰でもイエスを救い主として信じ、心にイエスを主として迎え入れるなら救われ
ます。
神とイエス・キリストといういのちのパイプで結ばれるのです!
聖霊なる神はキリスト、いのちのパイプを通して、豊かないのちを私たちに注が
れます!
これがキリストが十字架の死と復活を通して完了した完全な救いなのです。

今年の目標聖句に戻りますが、目標は「キリストにある豊かないのちを持つです!」
なぜこれを目標にしたのか、それはキリストのいのちに溢れる人がいる一方、
同じ救いに与りながらも失望して教会を去る人、希望を持てない人、罪に押しつ
ぶされている神の子が少なくないからです。

何が問題なのでしょう?

キリストの救いに問題があるのでしょうか? そうではありません!
なぜならキリストは「完了した」と宣言されたからです。
また、キリストの救いの業が完全であるのは、歴史を通して証明されています。

何が問題なのでしょう?

救いを受け取る私たちの側にある。このことを私たちは認めなければなりません。
キリストのいのちの流れを受けつつも、まだそれを妨げている岩、
流れを汚すものが私たちの心の中にあることを認めなければなりません。

キリストが与えた豊かないのちを持つために、私たちがなすべきことは四つです。
@認めること、A気持を受け入れてもらうこと、B罪を手放すこと、C受けることです。

良く聞いて下さい!
決して頑張ること、無理すること、問題が無い人を演じることではありません。

「私は大丈夫ですから!」本当に大丈夫ですか?自分で問題ない人を演じてませ
んか?
クリスチャン・ライフは辛くないですか?イエスはあなたの喜びですか?

@まず、ありのままの状態を認めること。それが罪から来ていることを認めるこ
とです。
Aそうせざるを得なかった気持を天の父に聞いてもらうこと、辛い思いを注ぎ出
すこと。
B罪を十字架に手放すこと。C復活のいのちを受けることです。
私たちは、すでに注がれているキリストのいのちを、一滴も漏らすことなく受け
ましょう。

【何がキリストのいのちの流れを妨げるのかA:隣人との関係】

何が私たちの心に注がれるキリストのいのちを妨げるのでしょう。
先週は偶像が神のいのちを妨げることについて分かち合いました。
これはモーセの十戒の前半部分に書いてある戒めです。

最近の電気製品はとても良くできています。なかなか故障しません。
故障かな?本体は異常がないことが多いのです。電池も問題がない。
何が問題なのか?電池と本体を結ぶ接触部分が汚れている。それで電気が流れない。

モーセの十戒はまさに神と自分、自分と隣人が正しい形で接しているかを示します。
十戒に反している部分は、いのちの交流が妨げられているのです。

私たちを造られ、いのちを創造した創造の神以外に、神々を信じるなら、創造主
から来るいのちは半減してしまいます。
なぜなら被造物の神々と主を同列に置いているからです。大幅に神のいのちの流
れは堰き止められるでしょう。
偶像を自ら手放すこと以外に解決はありません。
私たちが創造主の偉大さを心から覚えて罪を認め、神々と偶像を捨て去るなら、
神から来るいのちは川のように、豊かに私たちに注がれます!

さて、今週分かち合いたい部分は、十戒の後半部分です。これは人間関係です。
いのちは関係の中に生まれ、関係の中で育まれ、成長します。
いのちは単独では存在し得ないのです。

神との関係、隣人との関係が健全な時、私たちの霊は健全でいのちに溢れるのです!

隣人との関係が健全かどうかを示してくれるのが、十戒の後半部分です。

「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、
あなたの齢が長くなるためである。殺してはならない。姦淫してはならない。盗
んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人の家を欲し
がってはならない。」
出エジプト記20章12節から17節

【あなたの父と母を敬え】

今日、特に心を吟味して欲しいのは第五の戒めである「あなたの父と母を敬え」
です。
この戒めは私たちのいのちと、大きな関係があります。
なぜなら戒めに続いて祝福の約束があるからです。「あなたの齢が長くなるため
である。」

これは私の個人的な考えですが、人間の寿命は父なる神が定められていると私は
思います。
短いか長いかは神の定めるところです。
それではなぜ、「齢が長くなる」と言われているのか?その意味するところは、
定められた寿命まで、
人生を喜びに溢れ、活き活きと生きられるの意味だと解します。

父母を敬うことがいのちと大きな関係があることは、他の聖句でも同じです。

「自分の父や母をのろう者、そのともしびは、やみが近づくと消える。」箴言20:20

ここまで両親との関係を強調しているのは、親子関係が人間関係の始まりだから
です。
いちばん始めの人間関係、それが親子関係なのです。
親子関係は私たちの人間関係の土台であり、あらゆる人間関係に強い影響を及ぼ
します。

また私たちの存在自体も、両親から始まります。私たちの肉体のいのちは両親か
ら引き継いでいるのです。

申命記27:16には「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。」とあります。
なぜなら自分の存在の土台、自分のいのちの始まりを否定し、汚しているからです。

キリストを信じることによって、救われ、神の国で栄光の体を受けることが保証
されていても、
自分の両親を呪っているなら、この世では惨めな敗北者になってしまうのです。
なぜなら!自分で自分のいのちを呪い、いのちの流れを汚しているからです。

かなり否定的になりましたが、その逆も真理です。それは敬い、祝福することです。
両親を敬うなら、人生をいのちの喜びに溢れ、活き活きと生きられるのです。
それは自分のいのちを祝福し、いのちの流れを豊かにすることなのです。

これが真理であることを@認めましょう。これは神が定めたいのちの法則です。
もし自分が両親を敬わず、呪っていたら、正直に神の前に認めて下さい。
今はイエス・キリストにある恵の時代です。罪を認めることは裁かれることでは
なく、
神の赦しと恵、回復を受けるための第一のステップです。

【A心を注ぎ出す】

ある牧師が、教会の若者達に両親との関係を尋ねると、残念ながらほとんどの若
者が両親と
良い関係を持っていないことが分かり驚いたと語ってくれました。

大草原の小さな家に出て来る家庭のように、お父さんとお母さんが愛と信仰に溢
れた家庭なら、
心から両親を敬い、いのちに溢れた人生を送ることが出来るのでしょうが、現実
は難しいです。

問題のない親子関係は存在しません。旧約聖書に出て来る家族ですら、ほとんど
すべて不健全な家庭です。
最初の両親アダムとエバ、その息子カインは弟を殴り殺しました。
人類最初の家庭から不健全な家庭だったのです!だから神の救いが必要なのです。

なぜ両親を敬えないのか?なぜ両親を呪いたくなるのか、侮辱するのか、当然そ
の理由があるはずです。

両親が仕事で忙しく、自分の相手をしてくれなかった。友だちにいじめられた時、
支えてくれなかった。寂しかった。愛されていなかった・・・。
両親からバカにされた、いつも叱られた、虐待を受けた。
始めから父親がいない、母親がいない・・・。さまざまなケースがあると思います。

両親を敬えない場合、必ずその人しか分からない理由があります。
辛い気持、寂しい気持、怒り、苦しみ、憎しみがあるはずです。
聖霊様に心を探っていただき、そのマイナス感情を天の父に注ぎ出すことです。

マイナスの感情が心にある時は、心からの悔い改めが出来ません。
頭だけの悔い改めで終わってしまいます。しかし、いのちは心の奥底から流れます。
辛い気持を批判せずに聞いてくれる信頼できる信仰者の存在は助けになります。
そして何よりも、辛い気持を心から天のお父さんに分かち合える関係を築いて下
さい。

辛い気持を神と人に分かち合うだけで、受けとめてもらうだけで心は楽になります。
癒されます。辛い気持に気付いたら、決して抑圧しないで下さい。隠さないで下
さい。
感情に良いも悪いもありません。それがあなた自身なのですから。

【両親を裁いていた罪を手放す】

辛い気持、悲しい出来事、それを分かち合うだけで心は楽になるのですが、それ
で終わらないで下さい。
私たちの目標は「キリストにある豊かないのちを持つ」です。
いのちの流れを堰き止め、妨げ、汚している罪を取り除かなくてはなりません!

両親を敬えない原因は、両親を裁く罪にあります。
人を裁くことは罪であると聖書は教えています。人を正しく裁けるのは神だけです。
人の裁きは不完全で、人を裁く時、自らに呪いをもたらします。

「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めて
はいけません。
そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦さ
れます。」ルカ6章37節

人を裁くなら、同じ裁きの基準で自分も罪に定められます。
そして罪に伴う怒りや憎しみのマイナス感情に縛られてしまうのです。
裁く罪を十字架に手放し、赦すことです!そうすればあなたの心も解放されます。
いつまでも神に代わり、人を裁き続けるなら、あなたの心は罪に束縛されてしま
います。

「しかし、両親から受けた虐待はどうなのですか?それは犯罪ではありません
か?それも赦すべきなのですか?」
そのように思われる人も当然いるでしょう。

そのような場合であっても赦すべきです。裁いてはいけないのです。
しかし、赦すとは、「犯罪行為を許可すること」ではありません!
犯罪行為を容認したり、許可しては絶対にいけません。
赦すとは、そのような罪を犯してしまう人を憐れみ、立ち直ることを願うことです。
赦すとは自分で復讐せず、神に裁きを委ねることです。

両親を裁いていた罪を認め、罪をキリストの十字架に手放しましょう。
十字架こそ、罪の最終処分場です。罪はキリストの十字架以外で断ち切ることも
滅ぼすことも出来ません。

単純に、信仰をもって祈って下さい。
「私は、両親を裁いていました。この罪を手放します。十字架で滅ぼして下さい!
 今まで赦さなかった私、裁き続けていた私を赦して下さい」と。

両親に対して苦々しい思い、辛い思いが出てきたら、神にその思いを注ぎだし、
裁いていたら裁きの罪を十字架に付けるのです。解放されるまで祈り続けて下さい。

【いのちを受ける!】

十字架の祈りは、私たちが天に帰る日まで続けなければならない祈りです。
天に帰る日まで、私たちの救いに完成はないからです。
しかし、赦さない罪、裁く罪を十字架に付け、キリストの死が罪を滅ぼして下さ
るたびに、
私たちの心にはキリストのいのちがより大きく、より深く流れ込んできます。
キリストのいのちを妨げていた罪の岩、いのちを汚していたものが取り除かれる
からです。

赦しを求めて祈り続けましょう。イエスさまも「主の祈り」の中で教えておられ
ます。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを
赦しました。」マタイ6章12節

また続けて教えておられます。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりま
せん。」マタイ6章14.15節

キリストの豊かないのちを妨げる、赦さない罪、裁く罪を十字架に付け、
滅ぼしてもらいましょう。両親を赦し、祝福し、良いところを覚えて感謝しま
しょう。
あらゆる隣人に対して、赦しを実践しましょう。
キリストのいのちは豊かに、溢れるほどに、あなたの中に注がれます!