「キリストにある豊かないのち!」
ヨハネ福音書10章10.11節
牧師 小林智彦

明けましておめでとうございます。
今年一年も皆さまの上に神さまの愛と恵が豊かであるように祝福します。

【キリストにある豊かないのちを持つ!】

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。
 わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」
ヨハネ福音書10章10.11節

さて2011年のエクレシア教会目標聖句はヨハネ福音書10章10.11節です。
目標とするのは、イエスが来られた目的である「豊かないのち」を持つことです。

キリストは私たちがいのちに溢れ、さらに優れたいのちを得るために来られたの
です。
キリストはこの目的を成し遂げられたでしょうか?
答えはもちろん「はい!」です。
なぜならイエスの十字架上での最後の言葉は「完了した。(ヨハネ19:30)」だか
らです。

イエス・キリストは私たちがいのちを、それも豊かに持つために地上に来られ、
いのちを阻んでいた罪を十字架での死と復活によって滅ぼされました!

いのちの豊かな流れはイエスによって、すでに私たちのところまで来ているのです!
私たちが信仰によって、キリストのいのちを受け入れるだけなのです。
蛇口を開けば、勢いよく水道の水が流れるように、信仰によってイエスを受け入
れるなら、いのちの水は豊かに私たちの中に流れ、キリストの復活のい のちは
私たちを満たします。
この水は私たちのうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出すのです。(ヨ
ハネ4:14)
これは神の約束なのです。

イエスを信じ、受け入れるだけで救いは完成します!
なぜなら救いは私たちの努力ではなく、神の一方的な恵だからです。
恵はただ受け取るだけで良いのです。

しかし既にイエスを救い主として信じた方の中には、確かにイエスを信じている
のに、救われた実感が乏しい方、救われる前と救われた後の変化が今ひ とつ分
からない方もいらっしゃるでしょう。

イエスはハッキリと「永遠のいのちへの水がわき出す」と約束しているのに、イ
エスを信じ受け入れた後でも、いのちの豊かさを体験されていない人が 確かに
おられます。

イエスを受け入れて、救いの喜びで満ち溢れている人、イエスを受け入れても、
失望して教会を去る人、何故このような違いがあるのでしょう?
信じる者の中に注がれるはずの豊かないのちを妨げるものがあるのでしょうか?
もしあるとしたら、それはイエスの側ではありません。
なぜならイエスは「完了した」と宣言されたからです。
未だに完了していないのは、私たちの側にあると言えるでしょう。

これは非常に難しいテーマです。これは語る方も聞く方も注意が必要です。
なぜならイエスを受け入れても、変化が感じられない場合、多くの人は自分を責
めてしまうからです。自分の信仰が弱いから、自分は愛されていないな ど、聖
書が決して言っていない理由を見つけて自分を責めてしまいます。

私たちが神の子として成長するのも恵です。努力や頑張りではありません。
私たちが神のいのちに満ち溢れるのも恵です。信仰深さや、修行に拠るのではあ
りません。
私たちのうちに流れるいのちは神からのものであり、努力で変わるものではあり
ません。

私たちに求められているのは、@認めること、A手放す(十字架に付ける)こと、B
受け取ることです。
神のいのちの流れを妨げるものを手放し(十字架に付け)ましょう!
いのち流れは回復し、キリストのいのちは豊かに流れます。

キリストを心に受け入れることで、心に神から流れるいのちの川が流れています。
しかし私たちの心の中にある、いのちを妨げる岩やゴミが流れを弱め汚している
のです。

【いのちの流れを妨げ、清い流れを汚すもの@】

神のいのちの流れを妨げ、清い流れを汚すものは何でしょう。

第一に挙げられるのは、偶像礼拝です。
第二は赦さない心です。(傷に対する罪深い反応)

【神のいのちの流れを妨げる偶像礼拝】

偶像礼拝は神のいのちの流れを妨げます!また、堰き止めてしまいます。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主
である。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分
のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地に あるも
のでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それ
らを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの 神、主であるわ
たしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで
及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵 みを千代にまで施すか
らである。」出エジプト記20章2節から6節

この箇所はモーセの十戒として有名です。これは霊的いのちの原則です!
しかし間違って欲しくないのは、戒めを守るから救われるのではありません。
私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって、すでに救われているのです!
戒めを守るから神に愛されるのでもありません。すでに愛されているのです!
戒めを救いや愛の条件とすることを律法主義と言います。
律法主義は本当の霊的成長、いのちの回復をもたらしません。
なぜなら自分の努力や頑張りに頼るからです。

罪に頑張りや努力で立ち向かうと、必ず負けてしまいます。
頑張りや努力で義人になれるのなら、キリストが十字架で死ぬ必要はないのです!
キリストの十字架の死こそが、罪を滅ぼす神の手段なのです。
このことを先ず覚えましょう。

さて十戒の最初の二つの戒めを引用しました。
十戒はどれもが大切な霊的真理ですが、始めの方ほど優先順位は高いと考えられ
ます。
いちばん始めの戒め、それは「わたしのほかに、ほかの神々があってはならな
い」です。

父・子・聖霊なる三位一体の唯一の神以外に、神とするものがあってはならない
のです。日本は多神教です。イスラエルが脱出したエジプトの神々より も多い
神々がいます。
聖書の真理から言うならば、神々と呼ばれるものは堕落した天使たちです。

主なる神を、神々と同列に置くなら、主の大いなるいのちも祝福も堕天使と同じ
レベルに制限することになります。

神々と呼ばれるものは全て主なる神の被造物にしか過ぎず、無から有を生み出
し、死んだものを生かす力を持ってはいません!

もし未だに神々を信じているのなら、それらはいのちを与えることが出来ない偽
りの神であることを認め、十字架に手放しましょう。

こう祈るのです。「天の父なる神さま。私は偽りの神々を信じていました。これ
が罪であることを認めます。イエスさまが私の罪を取り除くために十字 架で死
なれたことを信じます。偽りの神々への信仰を十字架に付けます。手放します。
この罪を滅ぼして下さい。
全ての神々との関係をキリストの十字架によって断ち切ります。この罪を赦して
下さい。どうかいのちの流れを豊かに回復して下さい!」※これは祈り の一つの
例です。

また神々にまつわる全ての偶像、神像、お守り、占い、タロットカード、偶像の
絵などがあるのなら全て捨てて下さい。豊かないのちの流れを堰き止め ないで
下さい!

もし未練があるなら、私たちの救い主の偉大さを聖書から学んで下さい。天の父
なる神が私たちを救うために、どれほど大きな愛と恵を与えられたか思 い出し
て下さい。
そして、神々と偶像から自分を切り離すために、先ほどの祈りを祈って下さい。
また牧師と一緒に祈ること、また経験豊かな信仰者と一緒に祈ることを勧めます。

多神教の日本にあっては、唯一の神だけを信じることを排他的と考える人たちが
います。
全く排他的ではありません。結婚もどうでしょう?一人の女性だけを愛すること
は排他的ですか?自分の両親だけをお父さん、お母さんと呼ぶのは排他 的ですか?
大切なものは一つだけなのです。

私たちが信じる神は、天地を造り、私たちを造り、無から有を生じさせ、死を命
に変える唯一の父・子・聖霊なる神だけなのです!
【心に秘めた偶像】

「イスラエルの長老たちの幾人かが来て、私の前にすわった。そのとき、私に次
のような主のことばがあった。『人の子よ。これらの者たちは、自分た ちの偶
像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わ
たしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。それゆえ、彼 らに告げよ。
神である主はこう仰せられると言え。心の中に偶像を秘め、不義に引き込むもの
を自分の顔の前に置きながら、預言者のところに来るすべ てのイスラエルの家
の者には、主であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。偶像のため
に、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家 の心をわたしがとらえる
ためである。それゆえイスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔
い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきら うべきものをあなたがたの前か
ら遠ざけよ。」
エゼキエル書14章1節から6節

明らかに偶像と分かる仏像や神像の他に、心の中に秘めた偶像があるとエゼキエ
ルは指摘しています。これは見分け難い偶像です。

正直に告白するなら、私も様々な偶像を心の中に秘めていたと思います。
それはクリスチャンになっても、牧師になっても同じです。
絶えず聖霊様に心の中を吟味して頂かないと、様々なものが心に秘めた偶像にな
ります。

中学生から大学生ぐらいまでは「力」が心の中の偶像でした。中学生の頃は「空
手バカ一代」を聖書のように読んでいました。格闘技が大好きで、プロ レス番
組は欠かさず見ていました。ジャッキーチェンやブルース・リーは私のヒーロー
でした。
映画を見た後は、自分がブルース・リーになったように感じ、彼らの真似をしま
した。
心の中で、強い人に憧れ、力を礼拝していたのです。

「それのどこが悪いんですか?」と思う人がいるでしょう。
良いか悪いかの議論は止めましょう。大切なポイントはいのちの流れを妨げる
か?です。

「力」を崇拝していた時は、自分の中にある弱さを認めることが出来ませんでした。
弱い自分を認めたくなかったのです。ありのままの自分を認めることが出来ませ
んでした。弱さにこそ働く、神の恵みと神の力を受けられなかったので す。

何かを偶像にして、その偶像に仕えると、心をいびつにします。不自然になります。

牧師になっても心に秘めていた偶像は、「教会成長論」です。
教会成長論とは一言で言えば、教会を私有化し、私有化した教会を巨大にするこ
とです。メガ・チャーチ信仰です。これは偶像でした。それも悪質の偶 像です!
キリストのいのち、聖霊の自由な働きではなく、テクニックで人の心を操作する
ことです。これは心から悔い改め、再び自分の中に入り込まないように 気を付
けています。

人為的な霊的成長などあり得ないのです。マインド・コントロール以外の何もの
でもない。
日本の教会は徹底的に教会成長の偶像を捨て去り、悔い改めなければならないと
確信します。

心に秘めた偶像は強力です。そして、それに気が付かない場合が多いのです。
もし、自分の肩に力が入りすぎていたり、無理な生き方をしてつかれている場合
は、心の中に秘めた偶像がないか聖霊様に吟味して頂いた方が良いで す。

「男らしさ」「女らしさ」なども偶像です。
「男は○○であるべき!」「女は○○であるべき!」これは偶像になりやすいです。
神のいのちを受けて、自分らしく生きるのが一番良いのです。
それを「男なら○○であるべき」は否定し、殺してしまうのです。

心に秘めた偶像が無いか?一番の見分け方は、イエス・キリストを見上げること
です。
聖書の中で、イエスのことば、イエスの行動をよく見て学んでいると、いのちを
殺す考え、いのちを妨げるものが一体何かが見分けられるようになりま す。

イエス・キリストこそ見えない神の形なのですから、この方を見つめ続けましょう。
イザヤは偶像を礼拝するものは偶像に似ると警告しています。
偶像を礼拝するものは偶像のように、喋ることも動くことも考えることも出来な
くなります。偶像にはいのちがないからです。

人間は神の似姿として創造されました。私たちの霊は、偶像であっても悪霊で
あっても、それらを礼拝するなら似ていくのです。それが私たちの霊の性 質です。
偶像ではなく、唯一の生ける神、私たちの主イエス・キリストを礼拝しましょう。

日曜日の礼拝だけでなく、毎日毎日、イエスを礼拝しましょう。見続けましょう。
皆さんが好きなアイドル(偶像)がいたら、欠かさずテレビを録画したり、雑誌
を買い、ポスターを部屋に貼り、ファンレターを書いたりするはずで す。同じ
アイドルが好きな人と友だちになり、いつも自分のアイドルについて話すはずです。
また自分のアイドルをどんどん友だちに宣伝したりします。これは最高の礼拝です。
私たちはイエスさまを同じように礼拝しましょう。