「神のすべての武具を身につけよ!」C
エペソ人への手紙6章10節から20節
牧師 小林智彦

【神のみ言葉の剣】

「また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」エペソ6章17節

霊的な戦いにおける最後の武具、それが「み言葉の剣」です。
剣は攻撃を防御するためにも、攻撃するためにも用いることが出来ます。
パウロが教えている霊的な武具の中では、み言葉の剣が唯一の攻撃に用いる武具です。

神は私たちが霊的戦いに勝利するために、み言葉の剣を備えられました。
私たちはこの剣の使い方を覚え、それを必要な時に鞘から抜かなくてはならないのです!どんな優れた剣を持っていても、持っているだけでは何の役にも立ちません。
剣を鞘から抜き、敵に向かって振り下ろす時、剣は本来の力を発揮するのです。

「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」ヤコブ4章7節

み言葉の剣を持って、私たちが悪魔に立ち向かう時、私たちは霊的戦いに勝利するのです!

【神のみ言葉と霊的な戦い】

パウロはなぜ、神のみ言葉を悪魔に立ち向かうための武具に例えたのでしょうか?

霊的な戦いとみ言葉の大切さを理解するために、聖書の他の箇所を開きたいと思います。
ヨハネ福音書10章1節から11節を開きましょう。

「羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」ヨハネ書10章3〜5節

羊は私たちクリスチャンの喩えです。羊飼いは、もちろんイエスさまです。
そして羊を奪おうとする盗人が登場します。

羊が自分の羊飼いの声を聞き分け、従うなら良い牧草地に導かれ、安全です。
しかし羊飼いが盗人の声に騙され、盗人の後について行くなら、盗まれ、殺され、滅ぼされるのです。

私たちはイエスさまの声を聞き分けなければなりません。
聖書を良く読み、天の父なる神の愛に満ちた心、イエスさまの救いの確かさ、聖霊の力と助けを良く知らなければならないのです。神の言葉に親しく触れ続けるのです!
そうするならば、偽牧師の声、偽キリストの偽りの声を聞き分けることが出来ます。

「私こそ再臨のキリストです!」と名乗る偽キリスト、偽物がたくさんいます。
韓国には偽キリストが50人もいるそうです。日本でも勢力を伸ばすカルトもあります。
また聖書の一部だけを都合よく使った宗教は日本に沢山あります。

統一協会は偽キリストです。モルモン教、エホバの証人は自分たちこそ真のクリスチャンと自称しながら、イエスの神性を否定しています。幸福の科学もキリストの言葉を一部利用しながら、教祖自身が宇宙の最高神であると自称しています。

聖書は彼らをハッキリと何と言っていますか?彼らに付いていくとどうなりますか?

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです(10節)」

キリストを都合よく利用する宗教は、宗教とは呼べません。カルト宗教です。
カルト宗教の特徴は、教祖の欲望を満足させる為に、人を恐れで支配することです。

統一協会は霊感商法で多くの人々の人生を破滅に陥れました。
救われるためと称して、何百万もする壺や印鑑を買わせ、信者に販売を強要しました。
信者は恐れで支配されているのです。

エホバの証人が街灯で熱心に宗教の宣伝をするのも、人々の救いのためではなく、自分の救いのためです。彼らは救われている確信、救いの平安がありません。
自分が救われるために熱心に努力しているのです!

そして福音的な教会から、カルト宗教に陥る人も少なくないのです。
だから!私たちは羊飼いの声を正しく聞き分ける必要があるのです。

統一協会の文鮮明も、モルモンのジョセフ・スミス、エホバの証人のラッセルも始めは福音的な教会の牧師や信徒でした。しかし彼らは偽りの声に導かれてしまったのです。
そして彼らの偽りの教えに多くの人が騙され、救いの平安を失い恐れに支配されています。

教会がカルト化する危険もあるのです!
だから皆さんは偽牧師に騙されないように、その教えを正しく吟味できるように、神の言葉を良く学び、神の言葉に親しむことが大切なのです。

偽物を見抜くコツは、本物に親しむこと以外に無いそうです。
本物、有名ブランドのカバンや服に成功に似せた偽ブランド。中古品を扱うプロは、ひと目で見抜くそうです。それは本物を良く見て、良く触っているからだそうです。

私たちも神の言葉である聖書を日々読むこと、み言葉を通して毎日、心が天の父の愛で満たされ、イエスの救いの確かさに励まされ、聖霊の力に満たされていたら、偽物の教えを聞き分けることが出来ます。

イエスのことば、神の言葉は私たちを安らかに豊かな牧草に導きます。
神の言葉は私たちの心に平安を与え、安心を与え、慰めと平安、励ましと力を与えます。

しかし、聞いていると平安が奪われそうになる、恐れと不安が心に広がり、何かをしなければならないと圧力を掛けられる。それは、神からの言葉ではありません!
勇気を持って偽りの教えを拒絶して下さい!

神はあなたを恐れさせて自分に従わせよう、支配しようとは決して願わない方です。
御霊のあるところには自由があります(Uコリ3:17)
もし私たちが神に対して不従順だとしても、神は私たちを呪いで懲らしめるでしょうか?そんなことは決してありません!神はあなたを変わらずに愛して下さいます!
神の愛は変わることがありません。無条件の愛です。
ただもし私たちが自分の意志で罪に歩んだ場合、当然その償いはしなければなりませせん。
しかし、それは神からの呪いや、救いを失ったことでは決してありません。

天の父なる神の無条件の愛をみ言葉によって確信して下さい!
イエスの十字架の死と復活がもたらした救いの確かさの中に安らいで下さい!
聖霊があなたに注ぐ復活の力で満たされて下さい!
神の言葉によって、これら全ての恵を自らのものとし、耐えずみ言葉に導かれて下さい。決して盗人に喩えられている悪魔・サタンに騙されないで下さい。

【主イエスが受けられた悪魔の試み】

私たちの主も悪魔・サタンから試みを受けられました。
そして主イエスは神のことば、聖書のみ言葉によって悪魔・サタンに勝利されたのです。
マタイによる福音書4章1節から10節を開きましょう。

悪魔の最初の試みは「石をパンに変えて、飢えを満たしなさい」というものでした。
なぜこれが誘惑・試練になるのか?しかし、これは救い主としての働きには大変な誘惑でした。

救い主キリストは私たちの罪を身代わりに十字架で背負うために、神が遣わされました。
救い主が十字架以外で死ぬことはあり得ないのです。飢え死にすることはないのです。
もしイエスが飢え死にすることを恐れて、自分の為に奇跡を行って飢えを凌ぐなら、イエスは自分の救いの主としての使命を疑っていることになるのです。
また自分を導き、守りを与える聖霊を疑うことになるのです。

イエスは飢えていても、決してこの誘惑に負けるわけにはいきませんでした。
イエスはそこで旧約聖書を引用して誘惑を退けました。

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」マタイ4章4節

イエスは神の使命、神の救いの約束を背負った者です。神が遣わされた者は、決してパンが無くても飢え死にすることはない!さらに優れた食物、神の言葉によって生かされているのだ!と悪魔を退けたのです。

吸血鬼ドラキュラに十字架を示すと、吸血鬼が怯えて逃げていく映画がありますが、み言葉をただ呪文のように唱えれば、悪魔・サタンの誘惑に勝利する分けではありません。

自分が堅く神のみ言葉を信じ、そのみ言葉を確信しなければなりません。
み言葉の確信によって、悪魔に立ち向かうのです。

悪魔・サタンはイエスを試みたように、私たちも試みてきます。悪魔はワンパターンです。
悪魔・サタンは私たちが神を第一にする生き方から引き離そうと試みてきます。
一番の誘惑は経済の誘惑です。イエスと同じように神の言葉を取るか、パンを取るかです。

私は仕事も礼拝の一部であると確信しています。
なぜなら礼拝とは神に仕え、人に仕えることが礼拝だからです。
私たちは英語を教えるのも礼拝、会社で仕事をするのも礼拝だと確信しています。
自分の仕事を通して神の栄光を現すこと、神の似姿に造られた人に仕え、神が御子イエスを与えるほどに愛された人々に仕えていくこと、これは礼拝の一部なのです。

ところが、この仕事を通して神の栄光を現す目標をサタンは誘惑してきます。
もっと低い目標に引き下げたり、意味を見失わせようと試みてきます。

仕事が自分の地位と給与を引き上げるための手段になるなら、私たちは誘惑に負けてしまったのです。神の言葉ではなく、パンの為だけに自分の時間と労力を削るだけになります。

私たちを生かすのは天の父です!日々の必要は父が満たして下さるのです!
その確信に堅く立ち、自分の仕事を通して神の栄光を現し、人々に仕える時、私たちは職場の不正に流されることなく、自分の利益の為だけに働くという低い動機から守られるのです。