「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」
エペソ人への手紙5章21節から6章9節
牧師 小林智彦

【キリストを恐れ尊んで・・・】

5章21節から6章9節まで、私たちが所属する人間関係が述べられています。
夫婦関係、親子関係、主人と奴隷の関係です。主人と奴隷の関係は今日存在しません。
しかし主人と奴隷の関係は、今日の労使関係に当てはめることが出来るかもしれません。

パウロはこれら全ての関係の中で「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」を実践するようにと私たちに命じているのです。

キリストと私たちの関係は、私たちの属する人間関係に大きな影響を及ぼします。

私たちがキリストとともに歩んでいるなら、当然、私たちを取り巻く人々との関係に変化が現れるのです。

私たちがもしキリストを知っていると言っても、人間関係に何の変化も現れないなら、その信仰と知識はいのちの無いものかもしれません。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」
第一ヨハネ4章20.21節

とても厳しい言葉です。しかし私たちの信仰が何を目指すかををハッキリと示しています。
それはキリストの愛を受けることと、キリストの愛に生きることです。

聖霊に満たされるとは、キリストの愛に満たされることです。
キリストの愛に満たされたなら、その人は必ず隣人を愛するようになります。

孤独な愛の人、隣人と関わりを持たない愛の人、心を閉ざした愛の人はいないのです!
愛は隣人との関係の中に必ず現れるのです。

その愛が現れる場所、決して理想でなく、現実として現る関係こそ夫婦の間であり、親子の間であり、職場なのです!

牧師であったとしても、神学の知識や聖書の知識があっても、大きな教会を牧会していたとしても、家で妻に暴力を振るい、子どもたちを虐待していたなら、その人は神を知らないのです。神について知っているかもしれません、しかし神の愛を知らないのです。
これは天の父なる神の御前に誤魔化せないことです。

教会や人前では良い人、親切な人、謙った人であっても、家に帰ると両親に暴言を吐き、親を召使いのように使っているなら、その人は愛を知らないのです。
その人にはキリストの愛は溢れてはいないのです。

親子関係、夫婦の関係は一番近い人間関係です。だから誤魔化しが効かない。
ありのままの自分が出て来る。良い人を演じられない、愛の人を決して演じられません。その自分が本当の自分です。その本当の自分は愛の人なのか?愛の神を知る人なのか?

伴侶への愛、両親への愛、子どもへの愛、職場での愛、それらは全て私たちがキリストから受けている愛に比例するのです。

パウロは私たちに「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」と命じています。
キリストも誤魔化すことは出来ません。主は私たちの心をご存じです。

いま私たちは主イエスの前に、正直に自分と隣人の関係を告白しましょう。
そして自分の中に愛がないことを正直に、主に告白しましょう。

愛の源は天の父そのものです!イエスは父なる神と私たちを繋ぐ道です。
愛は神から出ているのですから、まず心にイエスを迎え入れましょう。

伴侶を、両親を、子どもたちを、会社の上司、部下を愛せる愛を下さいと祈りましょう!
熱心に諦めないで祈りましょう。

私たちの近い人間関係に愛の実が結ばれるまで、この祈りを止めてはなりません。
自分の努力や頑張りではなく、神の愛に押し出されて心から愛せるように、キリストの愛を求めましょう。心を変えて下さいと祈り続け、祈りを止めないで下さい!

【互いに従いなさい】

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。(22節)」
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」エペソ人への手紙5章22,25節

パウロは夫婦関係を先ず取り上げ、その中で「互いに従うこと」を命じています。
この箇所を律法的だと思う方もいるでしょう。
何処が福音(良い知らせ)なのか?何処に恵があるのか?と思われるかもしれません。
しかし、これこそキリストの十字架と復活によって新しくされた関係なのです!

旧約聖書の創世記には、夫婦の関係は罪によって呪われてしまったと書いてあります。

「女にはこう仰せられた。『わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。』」創世記3章16節

「夫は妻を支配することになる」、これは罪の呪いの結果なのです!
夫婦は罪の呪いによって、愛ではなく支配と支配される関係に堕落してしまったのです。

「夫を恋い慕う」、この言葉だけを読むと妻の愛らしい姿を思い浮かべるのですが、そうではありません。この言葉は創世記4章7節にも使われています。

「そこで、主は、カインに仰せられた。『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。』」創世記4章6.7節

この妻が夫を「恋い慕う」のは、罪が罪人を「恋い慕う」のと同じなのです。
つまり堕落に導く誘惑なのです。妻は夫を自分の思いに引っ張り込もうとする、しかし、夫は力ずくで妻を支配する。つまり夫婦の間でどちらが支配するかの争いが起きると言うのです。これが罪の堕落によってもたらされた呪いなのです。

この呪いのもとにある夫婦関係を祝福に満ちた関係に主イエスは変えて下さるのです!
呪いによって夫に支配されていた妻が、キリストによって解放され、主に従うように夫に従うように変えられるのです!それは強制ではなく、信仰による自発的な応答なのです。

夫の中にキリストを見る時、それは可能になるのです!

夫も呪いの支配からキリストによって解放されます。
支配権を自ら放棄して、妻を心から愛し、仕えるように変えられるのです!
夫がキリストを見習い、主の愛を実践する時、家庭は呪いから祝福に変えられるのです!

キリストのいない家庭は、支配を巡る呪いに縛り続けられるでしょう。
キリストは呪いの束縛を打ち砕き、愛と従順の祝福を家庭にもたらすのです!

パウロは夫婦の関係をキリストと教会の関係を通して、私たちに教えました。
私たちが属する全ての関係の中に、私たちが信仰をもってキリストを見いだすなら、呪いから祝福への変化が始まるのです。

祈りましょう!


【黙想の祈り】

先ず聖霊様に私たちの心を照らして頂きましょう。
私たちは既に神に愛され、赦されています!私たちは神の恵みの中で神の子とされました。
恵の光の中で、自らの心を聖霊に照らして頂きましょう。
神はあなたを決して責めません、恐れの霊は神からのものではありません。
神はあなたを責め、罰するために来られたのではなく、私たちを助け、自由にするために来られたのです。主の霊とことばに心を開きましょう。

自分と自分を取り巻く人間関係を覚えましょう。
あなたとあなたの隣人の間にはキリストの愛が溢れていますか?
それとも、隣人に対する怒り、憎しみ、非難の思いでしょうか?

あなたは両親が変わること、伴侶が変わることを願い、自分が先ず変わり、自分が先ず愛し、仕えることを忘れていなかったか覚えましょう。

両親への不満、伴侶への不満、会社の上司や同僚に対する不満を私たちはキリストの十字架に持っていくことをせず、相手への復習のために握りしめてはいないでしょうか?

いま隣人に対する不適切な態度、愛のない態度や行いを全て主の前に認め、赦しを願いましょう!主よ、愛に生きていなかった私を赦して下さい。

隣人との間にある、愛を妨げる呪いを全て十字架に付けます。
愛はあなたから来ます!いま聖霊によって隣人を愛し仕える愛で満たして下さい!

主よ、伴侶の中にあなたを見ることが出来るように助けて下さい。
両親の中に、会社の上司の中にあなたを見ることが出来るように助けて下さい。

人を支配する立場にある人は、その支配権を主に委ね、人を支配する支配権を十字架に放棄しましょう。

キリストの愛によって、私たちを取り巻く全ての関係に癒しと愛と祝福が流れるように、祝福を求めましょう。