「愛のうちに歩みなさい」
エペソ人への手紙5章2節
牧師 小林智彦

【愛のうちに歩みなさい】

「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」エペソ人への手紙5章2節

「愛のうちに歩みなさい」とパウロは私たちに命じています。
この「愛」は、キリストの愛。無条件のアガペーの愛です。

前回「神にならう者となりなさい」とは、神の無条件の赦しにならうことだと話しました。
私たちが自分を傷つける者さえも赦せるようになるには、神の赦しを先ず体験することが必要だと分かち合いました。赦された者は、人を赦せるように変えられるのです。

私たちが人を赦せないのは、自分が赦されたことを知らないからです。
しかし、自分には赦されることが必要であること、そして神が完全に赦して下さったことを体験するなら、私たちは赦しに生きるように変えられていくのです。

私たちがアガペーの愛に生きるには、先ずキリストの無条件の愛を受けることです。
愛されたことがないのに、愛することは出来ません!
しかし、愛され、愛の中に自分が生かされているなら、愛を行うことは自然です。

クリスチャン・ライフはキリストの愛を体験して初めて始まります。
キリストの愛を体験せずに、キリストの愛のうちに歩むのは不可能です。
キリストの愛を知らずに、聖書の戒めを守ることは苦痛以外の何ものでもありません。

クリスチャン・ライフに疲れ、燃え尽きる人がいます。
礼拝に来るのが辛い、聖書を読むのが苦痛だ、賛美が苦しい、信徒同士の交わりが疲れる。
クリスチャン・ライフが辛い人は、キリストの無条件の愛、アガペーの愛を知らないのかもしれません。(色々な理由があるので、決めつけるわけではありません)

キリストの愛が心の中で泉のように湧き上がっているなら、神を礼拝することは喜び以外の何ものでもありません!

私たちは人に言われて礼拝するのではありません、義務だから礼拝するのでもありません、礼拝せずにはいられない!賛美せずにはいられない!キリストのことを思わずにはいられないのです。そして疲れません。

キリストの愛を知らない、神の愛を体験していないなら正直に認めることが大切です。
他のクリスチャンの物真似をしていても、決してキリストの愛は体験できません。
聖書の戒めを頑張って守っても、キリストの愛は体験できません。辛くなるだけです。

大切なのはキリストの愛を体験していないなら体験していないと認めることです。
そして神に求めることです!「愛を知らないから、愛を教えて下さい」と求めて下さい。
真剣にキリストに向き合って下さい。キリストの愛を求めて聖書を読み、祈って下さい。

信じられることは固く信じて下さい。信じられないことは信じられないと正直に神に告白して下さい。そして聖書が本当だったら証明して下さいと神に求めて下さい。
そしてあらゆる牧師や、クリスチャンに尋ね、信仰の良書を読みあさって下さい。

あなたがキリストとその愛を真剣に求めるなら、神はあなたに顕れて下さいます!

「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。」エレミヤ29章12節から14節

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」
ヤコブ4章8節

神を心から求める者に、神は必ずご自身を顕して下さいます。これは約束です!
神は幻の中に夢の中にご自身を顕し、奇跡を起こし、不思議の中からあなたに語られます。
しかし、最も確かにご自身を顕して下さるのはみ言葉を通してです。

聖書を神からのラブレターだと思って読んで下さい。(本当にその通りです!)

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」第一ヨハネ4章9.10節

イエスがどのように人々を愛されたのか、イエスがどのように弟子たちを愛したのか、聖書から読み取って下さい。


イエスは自分を裏切った弟子のペテロを赦し、彼を信頼して教会を委ねました。
そのペテロは私であり、あなたなのです。
疑り深いトマスを叱らず、ご自身の傷跡をトマスに示されました。
そのトマスは私であり、あなたなのです。
イエスは人々が毛嫌いし、村八分にしていたらい病人を愛し、抱きしめ、癒されました。そのらい病人とは、私でありあなたなのです!

イエスを求め、イエスに出会った全ての病人は癒されました!
なぜならイエスはその病人の全ての病気を、身代わりに背負われたからです。
その病人とは、私であり、あなたなのです!

聖書は心から神を求めるもには神の愛を啓示する書物です。
聖霊はあなたの心に、聖書を通して神の愛を示されます。
聖書をむさぼるようにして読んで下さい。(特に新約聖書)

イエスはなぜキリスト(救い主)と呼ばれるのでしょうか?
なぜイエス・キリストはあなたの救い主、神なのでしょうか?
それはイエス・キリストのように、あなたを心から愛している方はいないからです!
イエスの愛はあなたを救い、あなたの人生に本当の意味と目的を与えるのです。

キリストの愛を知らない方は、求め続けて下さい!
キリストの愛を既に知っている人も、キリストの燃える愛に満たされ続けましょう!

【キリストはあなたがたを愛して・・・】

「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。ですから、彼らの仲間になってはいけません。
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」エペソ5章3節から8節

私たち人間は、愛されなくては生きていけない存在です。
いつでも愛を必要としています。誰かから認められること。誰かから仲間として受け入れられること。ありのままを赦され、認められる愛が必要なのです。
私たちは愛されて、初めて人を愛せるようになります。

誰もが愛を求めています。愛がない人生は辛いからです。
生きるのが辛いのは(もちろん病気や、失業、貧しさが原因の時もあります。しかし、健康で仕事もあり、必要が満たされていてもなお生きるのが辛いのは)、愛が無いからです。

愛されない辛さはとても辛いです。病気や失業よりも辛いかもしれません。
愛されていたら病気さえも乗り越え、人生の様々な困難もやり甲斐に代わるからです。

愛されない辛さ、愛を求めても答えられない辛さを誤魔化すために、多くの人々は薬物やアルコール、性的関係に助けを求めます。

飲み水が無くなったら、渇きを癒すために泥水でも人は飲むのです。
しかし、それは一時的なものでやがて激しい渇きがまた襲って来ます。
泥水は飲めば飲むほど、健康を害します。病気になり、やがて死んでしまいます。

なぜ不品行(ギ=ポルネイア=ポルノの元の意味、姦淫とも訳される)、汚れ、むさぼり、偶像礼拝を私たちは求めるのでしょうか?

そこに愛を求めるからです。
本当の愛と本当の神を知らないから、偽りの愛、偽りの神に愛と救いを求めるのです。
私たちは皆、そういう存在でした。パウロも言っています。
「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。8節」

私たちはキリストに出会って、本当の愛、本当の神を知ったのです!
キリストの愛を知ったら、他の神々が与える御利益や、魔術、オカルトが与える力などは泥水にしか過ぎないことが直ぐに分かるのです!

天の父の愛を知ったら、薬物で人生の辛さを誤魔化さなくても済むようになります。
天の父の愛を知り、心が満たされたら、愛人をつくって慰めを受けなくても良くなります。ホストクラブや酒浸りの生活から解放されます!

なぜなら神は愛だからです!神こそ愛の源です!

私たちはこのキリストの愛、天の父の愛に触れて偽りの愛から解放された者です。
ですから、まだ暗闇の世界に未練のある人は、頑張って止めるのではなく、純粋なキリストの愛に満たされ続けて下さい!

暗闇の世界に未練があるのは、まだまだ天の父の愛が足りないのかもしれません。
谷川の水を飲めば、泥水を絶対に飲みたくないと強烈に思うはずです。
それでもなお泥水に未練があるなら、まだ本当の美味しい水を知らないのでしょう。

キリストの愛を受けましょう!聖霊があなたの心にキリストの愛を注ぎます。
それを求め続けて下さい。

愛を求め続けていた女性がサマリヤという町に住んでいました。
彼女は愛されない辛さ、激しい渇きを癒すために異性に救いを求め、異端の宗教に救いを求めていました。しかし渇きは癒されませんでした。
町の人からは誤解され、村八分にされていた女性を救うために、イエスはわざわざ彼女の元を訪れます。そして言いました。

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ福音書4:13.14

イエスが与える水とは、イエスの愛です!

あなたは、この水を飲みましたか?
イエスの愛が泉のようにあなたの中から湧き上がっていますか?

キリストの愛を受けることは簡単です。
心からイエス・キリストに向かって、私に愛を下さいと祈ることです。
そしてイエス・キリストがあなたを愛するために、何をされたのかを聖書を通して知ることです。キリストがあなたを愛して十字架に架かって下さったその愛が分かる時、あなたの心から愛の泉が決して枯れることなく湧き上がります。これは神の約束です!

キリストの愛は私たちに生きる力を与え、隣人を愛する喜びを与えます!
キリストの愛を受けて、キリストの愛に歩みましょう!