「神にならう者となりなさい」
エペソ人への手紙5章1節から21節
牧師 小林智彦

【神にならう者となりなさい】

「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」エペソ5章1節

「神にならう者となりなさい」、これはわたし達にとって、人生の最高の目標です!
しかし、私たちは被造物です。私たちを造られた創造主のように成れるでしょうか?
神の創造の業にならうことは出来ません。
パウロは一体、神のどの部分にならうようにと私たちに勧めているのでしょう。
直前の箇所に、その答えがあると思います。

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ4章32節

神がまず私たちを赦して下さった!神の赦しにならうことをパウロは勧めているのです。

パウロが勧めるように、私たちが「赦し」を目標として真剣に取り組むなら、私たちを取り巻く人間関係は劇的に変化するでしょう。

赦しがあれば、人間関係は壊れません!家庭は崩壊しません!紛争も起こりません!
赦しを知らないから、人間関係がストレスになり、家庭は崩壊し、争いは止みません。

赦しは私たちの精神を穏やかにし、人間的な成熟を与え、豊かさをもたらします。
赦しを知らない時、私たちの心は耐えず過去に引きずられ、今を楽しむことが出来ません。
赦しを知らない心は、やがて孤独になり、人を責める苦々しい思いに満ちます。

赦しを拒絶する時、私たちは自分で進んで見えない牢獄に入るようなものです。
しかし神の赦しを知り、赦しを選ぶ時、私たちの心は解放されます。
赦しはあなたを自由にし、あなたを解放します。赦しに取り組みましょう。

【神があなたがたを赦して下さったように】

「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ4章32節

神がまず私たちを赦して下さった!これが赦しの土台であり、エクレシアの土台です。
私たちは自分がまず赦されたこと、日々、赦しが必要であることを覚えましょう。

私たちが赦されるには、どれほど大きな代価が必要だったでしょうか?
私たちが赦されるには、私たちの良い行いでは全然足りません!
たとえ私たちが、自分の全財産を投げ出しても、罪の負債にはとうてい及びません!

私たちが赦されるには、罪の無い方の命が必要だったのです。
キリストが身代わりに死んで、罪の代価を支払ったので、私たちは赦されました。
私たちは神の一人子を十字架に付けなければ赦されないほど、罪深いのです!
私たちは神の一方的な憐れみによって、赦され、神の子どもにされたのです。
私たちの努力や、良い行いの故ではありません。神の憐れみのみです。
神の憐れみによってのみ、私たちが生かされているなら、どうして私たちが同じ罪人を裁くことが出来るのでしょうか?

神がまず私たちを赦して下さったように、私たちも赦しに生きましょう!
赦しに生きる時、私たちは自分の心を憎しみ、怒り、復讐心から解放します。
赦さない心は、相手も自分もともに滅ぼしてしまいます。

赦さない心は、赦しの神である天の父を見え無くさせます。
赦さない心は、神の憐れみと恵を拒絶するからです。


【十字架による赦し】

赦しを妨げるものに、私たちの正しさがあります。
「自分が正しく、相手が間違っている」と思うと、赦す気持にもなりません。
自分が正しいと思うと、まず相手の行動が変わることを求めます。
「相手が謝ってきたら、赦してやろう」、「自分の過ちを認めたら、赦してやろう」です。
自分の正しさが残っていると、神の無条件の赦しにならうことは出来ません。

自分の中にある正しさは、相手への怒り、憎しみ、復讐心を引き起こします。
そして怒りと、憎しみ、復讐心が自分の心を縛り、愛と喜びから遠ざけてしまうのです。

自分の中にある正しさ!これを解決しなければなりません。

神は私たちをイエスにあって完全に赦されました。
神はご自身の正しさを、どのように解決されたのでしょうか?

神は私たちに対して怒られて当然です。
神の正しさ、神の義を通して私たちを見られたら、正すべき不正は幾つも見つかります。
しかし神は私たちに怒りではなく、恵を与えておられます。無条件の愛です。

神はご自身の正しさをうやむやにされたのでしょうか?正しさを捨てたのでしょうか?
そうではありません!神はご自身の義を、正しさを十字架によって解決されたのです。
私たちへの怒りを、私たちに代わってイエス・キリストに注がれたのです!

キリストの十字架によって、神の正しさは守られ、怒りは解決されたのです。
私たちも神にならう者になりましょう!

神が当然主張できる正しさ、怒りを十字架で解決されたのなら、私たちも神にならう者になりましょう!

私たちも自分の正しさを十字架に付け、怒りを十字架で受けとめてもらいましょう。
自分も神に赦された罪人であることを認め、相手も同じ罪人であることを覚えましょう。
赦しだけが人を変えます。赦しだけが人間関係に和解と回復をもたらします。
赦しは自分の心に解放と癒しをもたらします。

【自分の十字架を負う=古い自分をキリストの十字架に付ける】

いま、祈り時をともに持ちましょう。

赦しと聞いて、直ぐに反応する心の部分はありませんか?
思い出すだけで、苦々しい思いが沸き上がる心の部分はありませんか?
赦しを拒絶している心を、憎しみに縛られている心をいま解放しましょう!

赦しは選択です。赦す決断から赦しは始まります。

心に浮かぶ相手への憎しみ、怒り、復讐心をいまキリストの十字架に付けましょう。
相手を裁き、相手を傷つける権利をキリストの十字架に放棄しましょう。
相手を呪うことで、自分が憎しみに束縛されていることに聖霊によって悟りましょう。
その憎しみの束縛から一人ひとりを解放して下さい!

憎しみと怒りを握りしめさせる原因となった、相手からの否定的な言葉、破壊的な言葉、受けた暴力、裏切り、天の父に注ぎ出しましょう。
天の父はあなたを押しつぶす、全ての否定的な思いを受けとめて下さいます。

相手は罪人、しかし自分もまた赦しの必要な罪人であることを悟らせて頂きましょう。
相手が本当に悪事を悔い、正しい生き方が出来るように、相手のために祈りましょう。
それが赦しです!