「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい(1)」
エペソ人への手紙4章3節
牧師 小林智彦

「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」エペソ4章1から3節

【神の栄光を表す歩み】

「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」
私たちは、神の体であるエクレシア(教会)を建て上げ、エクレシア(教会)を通して、神の栄光を表すために、一人ひとりが選ばれ、救われ、呼び集められました。

エクレシアを通して神の栄光を表す歩みの一歩目は、互いに忍び合う、愛の実践でした。
今日は二歩目を分かち合いたいと思います。
それは、「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保つ」ことです。

これがエクレシア(教会)が神の栄光を表す二歩目です。
これはわたし達の栄光の歩みです。

【教会は平和のきずなで結ばれる】

私たちは一人ひとり人格を持った個人です。年齢、性別、生まれも育った環境も違います。
違いを持った私たちが、キリストの体を建て上げるために集められました。
私たちがバラバラ、無関係のままだったら、決してキリストの体(教会)にはなりません。

私たちをキリストにあって一つに結びつけるものは何でしょうか?
キリストの平和です!

キリストの平和によって、私たちは結び合わされ、互いに建て上げる関係になるのです。
それではキリストの平和とは具体的には何でしょう?

「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
エペソ4章30から32節

私たちの間にキリストの平和があるなら、聖霊は豊かに私たちの関係に働かれます!
しかし私たちの間に「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり(悪口や責めることば)、相手に対する悪意」があるなら神の聖霊は働けないのです。

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、悪意」は神の聖霊を悲しませます。
そして一致に向けた聖霊の働きを妨げてしまうのです。

【教会は建築中、決して完成されてはいない!】

教会は決して完璧ではありません!完成を目指して歩んでいるのです。
つまり、建築中なのです!
これはわたしたち一人ひとりも同じです。私たちは恵によって神の子どもにされました。
しかしイエスさまのように完成された存在ではありませ。誰もが未完成です。
完成を目指して、一歩一歩、歩んでいる者です。

建築中のビルを見学に行くと良いと思います。
一階部分は出来ていても、二階部分は鉄骨がむきだしになっている状態です。
これがいま現在の私たちの姿であり、教会のありのままの姿です。

建築中の建物に、完成された建物に求めることを求めることは出来ません!

しかし、多くの人は教会に完璧を要求します。
クリスチャンに対しても、お互いに完璧を要求します。
それは無理な要求です!なぜなら建築中、工事中だらからです。

私たちは教会を、クリスチャンを偶像化(神のような完全なもの)してはなりません!
教会を完璧、完成されたものだと勘違いするから、不完全な部分だけが見えるのです。
そして不完全な部分を非難、責めたくなるのです。

教会を非難すればするほど、聖霊を悲しませるのです!
問題を指摘することによって、非難することによっては教会は建て上げられません。
非難する人は、自分自身が教会の一部分であることを忘れてしまっています。

教会は一部の人が熱心に何かをすれば建て上げられるものではありません。
互いに一致を求めて愛し合い、仕え合わなければ建て上げられることはありません。

教会は不完全です!そして私たちは不完全な教会を非難するために来たのではなく、不完全な部分を完成するために神によって呼び集められたのです。
非難ではなく、自分の問題として愛を持って取り組むべきなのです。

エクレシアの中に問題を見つけたら、非難するのではなく、自分に与えられた課題として取り組みましょう!

私たちは問題を非難するために集められたのではなく、建築中の教会を建て上げるために集められているのです。


【平和は復活のいのちによって可能になる】

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(23節)」

平和(ギリシャ語エイレーネ)はヘブル語シャロームの訳語と考えられます。
シャロームは祝福の挨拶であり、神との正しい関係によって霊的にも物質的にも満たされている状態をさしています。

教会の中には嘆き、叫び、怒りたくなるようなことが起きるかもしれません。
しかし、感情的に相手を非難し、非難するだけなら、物事は何も改善されません。

私たちはエクレシアの中で傷つけられ、失望した時、何処に行くべきですか?
先ず天の父のふところに行くべきです!

自分の中にある否定的な感情、傷つけら、失望した思いを天の父に分かち合いましょう!父なる神に祈りの中で聞いてもらい、慰めを神から受けましょう。
敵意や怒り、憎しみを全てイエスさまの十字架に背負ってもらいましょう。

十字架の死の後には、聖霊により復活のいのちが注がれます!
罪、重荷を祈りと告白を通してイエスさまに背負って頂くと、心がスッキリします。
教会の課題に、キリストの愛といのちを持って取り組む力が与えられます。

キリストの平和によって、聖霊のいのちに満たされて、私たちのバラバラな関係が埋められ、修復され、結ばれます。そこに神の栄光は表されるのです!

先ず十字架に向かい、非難、敵意、憎しみに死にましょう。
聖霊の命を受けて、キリストの平和によって互いを、教会を建て上げましょう。
そこに神の栄光は表されるのです!